見出し画像

幼き日の衣服事情

今日は、いつも楽しみにしているnoterさんの記事を読んで、これまでなら絶対思い出すことがなかったであろう幼いころの私を垣間見ることになりました。

一人目はさぼさん。おしゃれなお母さんに買ってもらったセーターとジャンパーのお話。小学生のころってこんなんだったな・・・とほっこり。

もうひとりは、はそやmさんの毛糸玉のお話。こんな毛糸がいっぱいあるのよね。そして、思い出す幼き日のこと。

***

母は手先が器用で、洋裁も和裁も編み物もやっていました。
だから幼い日の服は全部母の手作りでした。
小さい頃はネル地の着物が冬のパジャマ替わりだったのです。
まるで江戸時代の子供みたい。(~_~;)
そういうのも全部、母が作ってくれていました。

黒いミシンはカタカタカタ、軽快な音を立てて、どこまでも走っていき、ある日突然私や弟の服になりました。
それは、とってもわくわくしたし、嬉しかった。
とくにお気に入りの柄で作ってもらったスカートはテンションあがりました。

冬は編み機を出して、キャリッジという部分を右に左に、シャーっという音を立てて動かして編んでいきます。
子ども心にその仕組みが知りたくて、よくひっくり返して叱られたものです。
セーターを作ってもらうより、母の傍で見ている方が楽しかったな。
毛糸を腕に巻き付けて、毛糸玉を作るのを手伝うのも大好きでした。

そんなこんなで、あまり自分の着ているものに意識をしたことはなかったのです。小学校は制服だし。

しかし、夏祭りとか私服で出かける機会が増えてくると、周りの同級生があか抜けて見えます。
おしゃれで洗練されていて(当時はこういう言葉は知らなかったと思いますが)、なんか違う。
既製品というヤツですね。
お店で買った洋服だったんです。
急に羨ましくなりました。

それから、母の手作りの服がなんともみじめで粗末なものにみえました。
そう感じ始めたのと、母の仕事が忙しくなったのと同時期だったんだろうと思いますが、ほどなくして手作りの服はなくなりました。
内心ほっとしていた気もします。

母はどんな気持ちで子供たちの服を作ってくれていたのかな。
既製品を買う経済的余裕がなかっただけかもしれませんが。

***

社会人になって編み物を始めました。
翌日仕事があっても寝食忘れてやってしまうので、バランスとるのが大変だったなぁ。
採寸して製図して、ゲージとって、本格的に編みました。
日本ヴォーグ社がやっていた資格を目指して、いろんなものを編みました。

両親にもいっぱい編んであげました。
今でも、着てくれています。「手編みは暖かいよ。」と言って。

母は作る人だったから、作り手の気持ちがわかるのかな。
作るときって、その人の喜ぶ顔を想像して作るもの。
それが何よりのエネルギーになるもの。
だから、大事にしてくれているのかな、と思います。

幼い私には、当時の母の思いなんてわかりようもなかったけれど、今は想像することができます。
愛されて育ったんだな・・・と。
そういうこと何も言わない母だけど。

明日は大雪だそうで、デイサービスも休むと宣言しています。
なら、両親と雪を見ながら、幼い日の話をしてみようかな。



タイトル画像は”soup of the day.”さんにお借りしました。


お気軽にコメントお待ちしています。
かる~いノリでいただけると、かる~く返します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?