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宇宙に深呼吸して

私が後生大事に持っている「なまけ者のさとり方」という本。
1991年2月25日17刷で30年以上前のもの。
ずっと手元に置いてて、ことあるたびに開いていた。
もうボロボロ。
にもかかわらず、内容は未だに消化できていない。
きっといつか、すーーーと理解できる日がくると信じて、思い出しては開く。

この宇宙はそれが何であるかはともかく、ただ1種類のものからできています。それが何かは、実は定義できません。それにここではせんさくする必要もないのです。宇宙には1種類のものしか存在しないと仮定すると、いったいこの世界をうまく説明できるかどうか見ていくのが、この本の目的なのです。
一つひとつの生きものの基本的な営みは、拡張することと収縮することです。広がることと縮むこと、と言ってもよいでしょう。拡張した生き物は「スペース」となって四方に浸透してゆきます。収縮した生き物は濃縮し、「かたまり」になります。私達は個人としてもグループとしても「スペース」「エネルギー」「かたまり」のうちのどれかになって見えます。そしてそれは、私達が自分で選んだ拡張と収縮の割合によって決まってきます。またその時にどんなバイブレーション(振動波)を私達がだしているかによっても決まってくるのです。それぞれの生き物は自らのバイブレーションを、自分でコントロールしているのです。

なまけ者のさとり方 タデウス・ゴラス著 山川紘矢・亜希子訳 pp.14

私はこのくだりが大好きで、ここだけ読んで寝てしまうことも多い。
幼いころ体験していた、自分がとてつもなく大きく広がる感覚、一瞬にして米粒のように小さくなってその大きなものを見上げている感覚を説明してくれていたからかもしれない。
もう二度とあの感覚は味わえなくなってしまった。

きっと真実(というものがあるならば)は同じで、いろんな人がいろんな表現で説明しているだけなんだろうと思う。
また受信する方も、自分に合う表現の内容を好んで受け取っているだけであって
その時々で同調するものが異なるだけ。
おんなじものを違う角度からみているだけなのに、こっちの景色が正しいとか、そっちはまやかしだ、なんていう必要はないのに。

宗教でも科学でもチャネリングでも、自分の信じたいものを信じ、そこから真実にたどり着けばいいこと。
そして、どんな道でも間違いはなくて、いつかは同じところにたどり着く。遠回りしても、遠回りなりの味わいがある。
そんなゲームの場なんだろうと思う。

目を閉じて、宇宙に思いを馳せ、自分の感覚を広げる。
深呼吸をして、横隔膜を広げる。
かたまりかけた思考を少しだけ拡張させてみた。
鉛のように沈んでいた思いを吐き出してスッキリしたら、
これ以上もうそこにフォーカスするのは止めとこう。


タイトル画像は”ryo harada”さんにお借りしました。
限界集落の夏の夜は、宇宙が近い。

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