見出し画像

ありがとうウルトラマン【シンウルトラマン微バレ感想】

朝からシンウルトラマンを観に行った。遅かれ早かれ行くつもりだったのだが、実は前日の夜はあまり眠れず、変なテンションで突発的に観に行ってしまった。
映画館に行く道のりでふと不安になる。鑑賞中眠くなったらどうしよう?
基本的に映画館で寝たことはないが、やや気が遠くなった経験はある。眠くならないまでも集中力が切れるのは嫌だった。
映画館に着いたら、もうすでに予告が始まっていた。ジュースも買わずに劇場に飛び込む。映画館のシートはフカフカだ。眠りを誘うシートだよなぁ、と思ってしまう。

杞憂だった
ぐっとスクリーンに集中した2時間だった。最後には手に汗握ってウルトラマンを応援していた。とにかくウルトラマンへの愛を感じたし、さらにウルトラマンが好きだった子どもの頃の自分も肯定してもらえたような感覚になった。 

子どもの頃に放映されていた作品といえばティガ、ダイナ、ガイアのTDG三部作だ。この3作品は昭和ウルトラマンと違い、宇宙からの来訪者というより出自不明のヒーローという趣が強い(出自が明らかなガイアも地球出身)。だから我々の世代はどちらかというとウルトラマンは宇宙人というより光の戦士という印象が強いかもしれない。
そんな私は怪獣図鑑や昭和ウルトラマンの名場面ビデオを借りては擦り切れるまで見たクチだ。ところどころの原作リスペクトネタにもしっかり反応してニヤニヤしてしまった。
もう一度見て小ネタを確認したくなったのはシンゴジラと同じだった。

どうも賛否両論あるようだし、私自身も、ん?と思った部分もあったが、結構好きな作品になったので、賛多めに感想を書きたいと思う。

ただシンゴジラのような作品を期待して見ると肩透かしを食らうだろう。シンゴジラと比べると所々チープに見える部分が見られるが、私はこれは仕方ないと割り切った。(というか東宝の財布の紐が渋い) 
というより作品の主題でコレジャナイと思われるかもしれない。

シンゴジラの主題は自然災害のような脅威が襲いかかったとき、人類はどうパニックになり、どう乗り越えようとするか?ということである。
対してシンウルトラマンはその脅威を乗り越えた後の話だ。当然シンウルトラマンはシンゴジラの直接の続編ではないが(冒頭マニアックなネタで匂わせてくるが)。

私はシンウルトラマンの主題は2つあると読み取った。
1つは対話することのできない脅威を乗り越えた先に対話できる脅威が現れたらどうするか?という話だと解釈した。シンゴジラの話の次の段階だといえる。
対話できない脅威=シンゴジラ=災害に対して、巨災対のメンバーはとにかくできることを模索していった。神頼みではなく、今できることを全てやり尽くしてシンゴジラを乗り越えた。
しかし本作では禍威獣と表記される怪獣たちとの対決はサラッとした描写で済まされる。庵野さん的には、そこらのドラマはシンゴジラで充分描き切ったということなのだろう。代わりに、ウルトラマンやメフィラス、ザラブといった対話のできる外からの侵入者、外星人たちに振り回される人類に焦点が当てられる。

本作の人類もできることを存分にしていくが、悉く外星人たちに上回られる。対話できたところで彼らの技術力は圧倒的に上で、生物としての完成度も段違いだ。もはや家畜と言わんばかりに舐め腐ってくる。権謀術数を使って人類を分断してくる。これは自然災害とは違う。劇中のセリフにもあるが、外星人と人類の関係は人類と虫に例えられるほどだ。こんな状況は誰だって絶望する。

そんな虫ほどに弱い人類を守るのがウルトラマンだ。でもウルトラマンは孤独だ。知らない星で、ただ一人。同族はいない。人類からは神頼みのようにすべて頼られてしまうし、その人類が敵にまわらないとも限らない。そんな状況でウルトラマンは戦う。
もう1つの主題はどうしてウルトラマンは人類のために戦うのか、だ。

仮面ライダーやスパイダーマンにもヒーローゆえの孤独、というドラマがある。それでも彼らは地球で生まれ育って、地球の文化をしっかり享受できている。スーパーマンの出自はクリプトン星だが、赤ん坊の頃からの地球育ちだ。彼らが故郷たる地球を、同胞たる人類を守るのは当然のことと理解できる。

しかしウルトラマンは完全に異なる星からやってきて、地球の文化の理解度は0なのだ。知識として習得していても、文化を実感できるかどうかは話が違う。当然地球に愛着だってない。
よくわからん星、よくわからん文化をなぜウルトラマンは守るのか?

2時間という尺は短く、ウルトラマンと人類(主に禍特対のメンバー)との関係性の醸成の過程の描写が不足していると感じたが、それでもウルトラマン好きなせいか、歴代のウルトラマンたちの奮闘も同時に思い出してしまって勝手に頭で補完していたのだろう。ウルトラマンの覚悟を目にしたとき、私の涙腺は爆発しそうになった。

あと、なんなんだ米津玄師。なんであんなにウルトラマンへの解釈が深い歌詞書けるんだ。

──「ウルトラマン」シリーズについてはどうでしょうか? 親しみはありましたか?
幼稚園くらいの頃にすごくウルトラマンが好きだったらしいんですけど、あまり覚えていなくて。ソフトビニール人形を持っていたし、当時までのウルトラマンの名前を全部言えるような子供だったらしいです。でも、そのことはまったく覚えていないし、幼稚園以降はウルトラマンというものをそれほど通らずに育ってきた。ウルトラマンというものに対する距離感はそのくらいにはなってしまうんですけれど、そういうことも含めて曲を作っていこうと考えました。つまり自分がウルトラマンというものを覚えていないというところを立脚点にしようと。それが自分なりのウルトラマンに対する姿勢で、逆に言うとそこを経由しないと、この作品の主題歌はできないだろうと思いました。

米津玄師「シン・ウルトラマン」主題歌シングル「M八七」インタビュー|強い覚悟を持って鳴らす祝福の


いや、ウルトラマンとの距離感遠いな。で、あれを出力できるのかよ。どうなってやがんだ読解力。
曲めっちゃいいからエンドロールまでどうぞ立たずに。本当に飲み物買わなくてよかった。お小水を我慢しながら聞くのはもったいない。

久しぶりに実家の自室からウルトラマングッズを引っ張り出したくなった。
シンウルトラマンにはノスタルジーと希望がつまっている。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?