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ひとみをとじて。

瞳を閉じる

よく歌詞に登場するこのフレーズ


これは一体どういう状態なのか疑問に思う

辞書的な意味で言えば
瞳孔(黒い部分)を閉じること

目を閉じる、瞼(まぶた)を閉じるとは…
違うのだろうか

一身

五臓六腑、四肢、
視覚を司る目以外の感覚器官(センサー)に
意識を持っていくためには
目を閉じる必要がある

最近はそう思う。

他人は自分の写し鏡
鏡ばかり見ているとどうしても
自分の外面だけに意識が向いてしまう
自分の内側と対話して
己のありのままの心と体の形質を
知ろうとするならば、
鏡を見るのをやめなければならない

そう。そうなんだ。とは思うんだ。

一身というのは全身のことである

瞳を閉じて
一身を開く


人見

私達は、他人やものを見る目を持っている

色眼鏡、バイアス、価値観、窓
そう言った言葉で比喩される
目を持っている

人見とは、内から外を眺める所を言う。
例えば、戦国時代に自陣の幕内から
外を見渡す時の隙間をイメージしていただくと
わかりやすい。

内側の眼

坂本九の曲で『心の瞳』
という歌がある

冒頭とラストのフレーズが同じ
「心の瞳で君を見つめれば」
である。

心の「人見」として照らした場合に
心というのは、それ自体
自分の内側(内面)であるにもかかわらず
人見はさらにその内側である。

心という中心のそれまた中心

それが「人見」であり「瞳」である。

瞳を閉じる
というのは単に
目や瞼を閉じて視界をシャットダウン
するという行為ではない。

自分の心の、ど真ん中だけが残るまで
全てをシャットダウン。

坂本九も、平井堅も、レミオロメンも
瞳を閉じるという歌詞をかいた。

そしてその後には「君」という歌詞が
付随するのだ。

自分の、ど真ん中に
辿り着いた先に
君がいるなんて
浪漫のある歌詞をかくもんだ。

そう。そうなんだ。とは思うんだ。

瞳。
一身。
人見。
ヒとミ。
キとミ。
きみ。
君​。