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キャリアを楽しく・真面目に考えて人生を駆けぬける「カケル」です。

今回は、労働観について考えて行きます。

 我が家の娘が仕事は楽して稼げるのが一番という話をしていて、今の仕事がとても「楽」で時給が1,500円だから、このままアルバイトしていればいいやという考えだったのでちょっとこの労働観を考えたくなりました。

人間は、いにしえより労働をしてきました。労働は、時代や国によって様々な考えがありますので紹介していきます。

古代ギリシャ

 古代ギリシャの都市国家では、食べ物を作る農耕作業をはじめ労働は奴隷がおこなっていました。その労働は、自然に支配され、身体を酷使し、人間の生理的な欲求を満たすだけの目的から軽視されてきました。苦役しての労働でした。

古代・中世のキリスト教

 キリスト教において労働はまず、聖書の一節「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に送るときまで」がベースにあります。神に背いて木の実を食べてしまったアダム。その時以来、人間には罰として労働が課せられました。

 そして、中世の時代になって労働は祈りや瞑想とともに重要な行いになりました。

近代のキリスト教世界

 与えられた仕事にできるかぎり励むことを宗教的使命ととらえていく流れが出来ています。さらには、禁欲と勤勉な労働によってもたらされる富の増大を積極的に肯定する考え方が盛り上がりを見せます。富の増大としての労働です。

 かつては祈りのもとに労働があったものが、その重心は次第に入れ替わって「働け・成功せよ、かつ祈れ」となってきました。

近代(職業倫理の世俗化)

 フランス革命を始めとする市民革命により、人々は政治的平等や経済的自由を手にします。そこでは、職業倫理が宗教から切り離され、労働の意義づけが一気に世俗化していきます。

 個々の人間にとって、仕事や事業は、成功者になるための手段として賞賛されるものになりました。

近代(工場労働者の人間疎外問題)

 産業革命後、封建制度から解放された市民の多くは企業に雇われ、工場で働くことで生活を維持する存在になりました。

 資本家から搾取され、機械のベルトコンベアに合わせて単調反復される労働は、人間の疎外感をまねいているといえます。

現代

 現代は、仕事が自己実現や社会貢献の機会だと思う人たちが増えてきています。それは、忠誠心そのものが組織から仕事そのものに変わってきたといえます。

 一方、ブラック企業という会社も存在しています。不当な低賃金、悪質な労働環境を働かせている状態です。また、企業に勤める従業員が自ら、社畜といって組織に飼いならされていると状態を表しています。

未来

 これからの人々の労働観は、どう変わってくるのでしょうか?古代からの苦役としての労働もなくならないでしょうし、ベーシックインカムが導入されたとしても、働くことをやめないとでしょう。

100年前のケインズの予言で

働かないことに耐えらるのは少数

と言われています。そのためケインズは、皆で仕事を分け合っていくことを提案していました。


最後に

 今後、you tuberのように「好きなことをやって生きていく」という考えのもと「趣味としての仕事」「ゲームとしての仕事」が普通の労働観になるかもしれませんが、うちの娘はまだ、苦役としての労働観で止まったまま。。。。(TT) 古代ギリシャかよ!


最後まで、読んでいただきありがとうございます。

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