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値引き

『他店より高い商品がございましたら、ご遠慮なく販売員にお申し付けください』そう書かれた広告が、自動ドア横のガラスに何枚も貼られている。僕と上司の工藤さんは、家電量販店の前に立っていた。その謳い文句は、僕達の足を止めるには充分すぎるほどの存在感があった。

「ここ、入ったことないんですよね」僕は建物を見上げる。
「俺もないな。ポイントカードがあるから、いつも同じ店使うしな」
「ですよね。まあでも時間あるし、行ってみましょうか」
 自動ドアを通り店内に入る。案内表示を一瞥すると近くのエスカレーターで二階に上がる。
 展示してあるパソコンや新型のテレビをぶらぶらと眺める。
「安いかどうかわかんねーな」値札を見ながら工藤さんが呟く。
「そうすね、いちいち調べるのなかなか面倒ですね」
「普通は買う物決めたあとに調べるんじゃないの」
 とりとめのない会話をしながら奥へと進む。僕達は自然とゲームコーナーへと向かっていた。

「あ、あそこゲーム売り場っすね」
 奥の壁に沿って大きな棚が並んでいる、新作ゲームが置いてあるようだ。近くのディスプレイには、今度発売されるゲームのプロモーションビデオが流れていた。辺りをぐるっと見渡すと、通路の間に大きな箱のようなものが置いてある。

「ワゴンありますよ」僕は箱に近づいた。
 ワゴンコーナーはいわば在庫処分品が置いてあるところで、格安価格専用の場所である。数百円の値段が付けられていることも珍しくない。箱を覗くと大量のゲームがびっしりと詰め込まれていた。タイトルがわかるように背表紙が見えるように箱に納められている。

「いっぱいあるなぁ、なんか良いのあるかな」
 僕達は箱の端から順番に見ていく。
「あ、これ!」
 僕は反射的に商品を手に取り値札シールを見る。思いがけず声が出た。
「新品で7200円!?」
 想像していたものよりも大きな数字が書いてある。
「高くないですか、ワゴンじゃないじゃん」僕は苦い顔をする。
「他の店だと、たしか1000円くらいだったような」
 僕は同意をするように頷く。他のお店で見かけた時は、たしかにそのぐらいだ。ここにある商品は、ワゴンコーナーに置いてあるにも関わらず、なぜかほとんど値引きされていない。一体どういうことなんだろう。他のゲームを手に取って確認する。それも同じように定価に近い値段がつけられていた。
 ふと一つの考えが頭をよぎる。
「あ、もしかして広告に書いてあるみたいに、他の店の値段を見せて値引きしてもらうんですかね」工藤さんを見る。
「なるほどね。じゃあさ、ワゴンに置く必要なくないか」
いわれてみるとそうである。値引率が高いであろう商品がそこに置かれてはいるが、買う側にしてみれば棚に置かれているのとなんら変わらない。僕は手に取ったまま他の商品を見ていた。

「っていうか、それ買うの?」急に聞かれて戸惑った。
「どうしようかな、値段調べてみます――やっぱ他だと1000円くらいすね」
 僕はスマートフォンの画面を見せる。

「おまえさ、それどうすんの」こちらを真っ直ぐ見ている。
「え?」僕は困惑した。
「それ、割引きしてもらうの?」
 質問の意図がまったく理解できなかった。他の店だと1000円である。差額にして6200円、値引きしてもらった方が得なのは明白だ。
「どういう意味ですか?」僕は聞き返す。

工藤さんはゲームを手に取り、こちらに向き直す。
「俺達が作ったこのゲームを、わざわざ値引きしてもらうのかって聞いてんの」
 そう、このゲームはウチのチームが作ったものだ。発売に4年ほどの期間を要した。開発は難航し、一時は中止になる可能性もあった。幾多の苦難を乗り越えてなんとかリリースされたこのゲームが、目の前のワゴンにある。

「たしかに、なんか気が引けますね。まじで大変でしたしね」
「だろ。どんだけ働いたか、思い出すだけで疲れが出てくるわ」
 僕は決断を先送りにするように商品を箱に戻した。それにしても、結構な数が置いてある。
「ざっと見て、40本くらいありますね。これ、このまま売れなかったら捨てられるのかなあ」僕は話を逸らした。
「他の店だとここまで余ってないよな」
「わざわざ値引きしてもらう手間かけるなら、他の店で買うってことですかね」
「機会損失も甚だしいな。もしや、相場を知らない人に買ってもらう作戦だったりするのか」
「孫に頼まれて買いに来たおばあちゃんとか。値段、比べなさそうですもんね。ガラケー使ってそうだし」
「えぐいなあ」

 寿司詰めにされたパッケージを眺めると、なんだか悲しい声が聞こえるような気がした。僕は改めて商品を手に取る。
「一本、買っていこうかな。新品だし、綺麗な状態で手元に置いとくのも悪くないかなって。会社から貰ったやつは開封しましたし」
「で、どうすんの」間髪入れずに、さきほどと同じ質問が飛んできた。
「思い入れあるしなあ」
 僕は思い出す。毎日遅くまで働いて、休日も出勤して。家に帰っても仕事が頭から離れず、眠れない日々を過ごすこともあった。そうして完成させたこのゲームには、僕達のエネルギーが詰まっているように感じる。そう思うと、7200円払ってもいい気がしてきた。値下げさせてしまったら、詰め込んだなにかが失われてしまうのではないだろうか。

 しかし、すぐさま思い直すことになった。正直なところ僕の懐は寂しく、1000円で買えるものをわざわざ7200円も払って買うほどの余裕はなかった。
「でも今月ピンチなんですよねえ、悩ましいなあ」
 様々な想いと現実とが頭の中でせめぎ合っていた。僕は腕を組んで思いを巡らせていた。

 長い長い葛藤の末、値引きしてもらうことに、僕は決めた。
「決めました。割引きしてもらいます。背に腹は代えられませんし」
 値下げさせても、僕達が頑張ったことには変わりはない。
「ま、そうだよな。どうせ他の店で買うと安いしな」
「はい。それで一つ救えるのなら悪くないかなって。そうだ、工藤さんも一つ救ってやりましょうよ」
 僕は工藤さんの方を見る。
「うん、そうしようか。俺も保存用に一つ買うわ」上機嫌に見えた。
「で、工藤さんはどうするんです?」僕は工藤さんの顔を見る。
「なにが?」
「値引きしてもらうんですか?」ニヤついてしまう。
「二人で同じ商品レジに持って行って、別々の値段で買うのもおかしいだろうが」工藤さんは、少し焦ったような表情を浮かべた。
「ですよね」
 清々しい気持ちだった。ほんの少しだけれど目の前にいる悲しい顔をした子に、手を差し出すことができたような気がした。

 僕は店内を見渡すと、通路の先に店員を見つけた。
「あ、すみませーん」
 店員を呼び、僕はスマートフォンの画面を見せる。
「このゲームなんですけど、他の店だとこのくらいの値段なんですが」

 そう言って僕は顔を上げた。店員がゆっくりと口を開く。
「あ、ゲームは値引きできないんですよ」
 店員は申し訳なさそうに会釈して去っていく。僕と工藤さんは、その場で立ち尽くしていた。

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