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偽りの部屋

 浮気をしているのかもしれない。私は居ても立っても居られず、駅のホームから改札へと戻った。

「いちおう、はじめまして、だね」彼の顔をまじまじと見る。少し照れた様子の彼の顔は、画面越しで見るのとあまり変わらなかった。遠距離恋愛ってことになるのかな。知り合ったのはネットでだし、告白は電話だった。もちろん返事はOK。細かいことは言ってられない、お互いもう二十台後半だもん。でも岡山と東京は遠かった。告白から半年経って、やっと彼の住む東京まで来れた。一応、一泊の旅行ということになっている。

「荷物、持とうか」彼は大きなボストンバッグを持ち上げ、ショルダーストラップに首を通す。

 彼の家に泊まることになっているから、ホテルは取っていない。夕食を外で済ますと、彼に連れられて大きなマンションに着いた。エントランスでICカードをかざすと、自動ドアが開く。なんと彼の家は、オートロック付きの賃貸マンション。エレベーターで5階に上がったあと、「ここだよ」と彼はドアを開けた。中はワンルームだけれど、結構広い。そして何よりもモデルルームかと間違いそうになるくらい綺麗だった。

「めっちゃ綺麗じゃん」
「よかった。でも、そのうち引っ越そうかと思ってるんだ」
「え!なんで? こんな良いところもったいないよ」
「うん、でもさすがに二人では住めないからね」

 未来のことを話しながら、彼の部屋で一晩過ごした。
 翌日、帰る準備を済ませると、私達が飲み食いしたままになっていることに気付いた。「あとで片付けておくから」という言葉に甘え、そのままにして彼の家を出る。

 駅に着くと、品川駅までの切符を買った。
「ほんとに品川まで送っていかなくていいの?」
「いい」
「わかった、じゃあ気をつけてね。今度はもうちょっとゆっくり会えるといいな」名残惜しそうに彼は手を振る。
「うん、じゃあね」改札で手を振っている彼を背に、ホームへの階段に向かう。

 ホームで電車を待ちながら、昨晩のことを思い出す。すると、あることに気付いた。「そういえば、歯ブラシが一本多かった、ような」
 改めて考えると、他にも不審な点がいくつも思い当たる。あまり部屋を探ってほしくなさそうだったし、置いてあった物も、彼の好みではない気がした。考えれば考えるほど、疑念は疑惑へと変わっていく。
――浮気をしているのかもしれない。そう思うと私は居ても立っても居られず、駅のホームから改札へと戻った。そのままマンションへと向かう。

 マンションを外から眺めると、ちょうど彼が部屋に入っていくところが見えた。追いかけようとしたが、エントランスの自動ドアに阻まれてしまう。
そうだ、このマンションはオートロックだった。忘れ物をしたと言って電話で呼び出そうか。でも彼は不審に思って"証拠"に気付くかもしれない。

 どうしよう――しばらくマンションの外で悩んでいると、10分もしないうちに部屋のドアが開いた。私は慌てて隠れる。ドアから姿を現した彼は、エントランスから出ると、駅とは反対に向かって進んでいく。女は近所に住んでいるのだろうか。私は気付かれないように彼を追いかけた。

 しばらくすると、彼は2階建ての木造アパートの階段を上り始めた。ポケットから鍵を取り出すと、そのままドアを開けて入っていく。
「合鍵かよ」
 私は静かにアパートの階段を上って、ドアの前に立つ。愛しの彼氏に遠路はるばる会いに行って、まさか浮気相手と鉢合うことになるなんて、想像もしてなかった。遠距離恋愛で浮気されるなんて、他人事だと思っていた。
 一戦交えることになるかもしれない、この先起こる最悪の事態を思い描いて、大きく深呼吸をする。
 私は覚悟を決めて、インターフォンを人差し指で強く押した。

「はい」サンダルを履くような音がして、ドアが開く。
 彼はただただ驚いている。
「え? ど、どうして」その凍りついた表情を見て、私は確信した。
「ここは誰の家?女?」彼を睨みつけ、ドアを大きく開けた。
「それは……」彼は目を逸らす。
「なんかおかしかったんだよね。だから、浮気しているんじゃないかって」
 彼は後ずさるようにして仰け反った。私は隙間から部屋の中を見ようと目を凝らした、けれど暗くてよく見えない。ん? 暗い?
 彼に視線を戻すと、彼は大きくため息をついた。そして申し訳なさそうにして、口を開く。
「違うんだ。本当は、ここが僕の家なんだ。あそこは、友達の家」
 彼の口から出た言葉は、理解できなかった。
「は?どういうこと?」
「見栄を張ったっていうか」
「ほんとに?」私は下駄箱の上に置いてあった郵便物を手に取って確認する。そこには書かれていたのは、彼の名前。
「うん、騙してごめん」
 気が抜けて倒れるかと思った。なんだ、そういうことだったのか。
「じゃあ、上がっていいよね?」
「いいけど、汚いよ。だから――」
 彼が言い終える前に、私は靴を脱ぎすてて部屋に入る。
「うわー、ほんとに汚いね」ザ・男の部屋って感じ。
「何? この袋」袋をつまみ上げる。
「ダ、ダメダメ!」奪い取られた。

「はー。じゃあさ、掃除してあげよっか」振り返って彼を見る。
「え? それは、悪いよ」
 胸の鼓動が速くなってきた。一呼吸おいて、ずっと抱えてきた言葉を出す。
「私も住むから」
「は?」
「着替えもたくさん持ってきたから」ボストンバッグをドサっと床に置いた。
「あ、一泊にしては大きいと思ってたんだ」
「あと実は、年もちょっとだけサバ読んでたりして……」
「え!?」
「あはは、それはウソなんだけどね」

 彼はほっと胸を撫で下ろす。そんな彼を尻目に、私はカーテンを開けた。

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