見出し画像

ゲーム「オイシイ」を振り返って

お久しぶりです!配信が始まってから、バイトと配信で気づいたら1ヶ月以上が経っていて、なかなかnoteを書けていませんでした。これからは基本的に週1ペースで更新していけたらと思っているので、配信もこちらも共々よろしくお願いします!

3月31日に、初ゲーム配信をやらせていただきました。(リンクはこちらです。ぜひ見てくださると嬉しいです!)「オイシイ」というタイトルの鬱ゲーです。公式の紹介文では、1人の少女にとって世の中が少し生きづらくなるお話、とされていて、「毒親家庭」についてのゲームだと聞いたので、このゲームを選びました。結果的に、主人公の家はかなりの毒親家庭なようで、架橋家との共通点も多かったんです!というわけで、今回は配信内でプレイしたこのゲームを踏まえて、ゲーム内の家庭と架橋家の共通点や毒親の行動心理などを解説していきたいと思います。

過干渉・過保護系毒親あるある「恩着せがましい」

ゲーム序盤では、まだあまり毒親家庭感はあまり見えません。ただ、ちょくちょく出てくる主人公の「外食に一度も行ったことがない」「台所に入らないように言われている」等の発言から、徐々に過干渉・過保護系の毒親の片鱗が少しずつ見えてきます。過干渉系の毒親によくあるのは、このように「子供の健康を考えて」外食をせず毎食手作りのご飯を食べさせてあげる、「子供の安全を考えて」台所などの危ないところには入らせないようにする、ということですね。実際に架橋家でもそうでした。こんな感じで、親は「子供のためを思って」そう育てているわけです。

毎食手作りのご飯を出すのは本当にすごいことですよ?でも、こういう親に限って、そういうことを恩着せがましく子供に言って、感謝させるんです。「私はこうやって毎食ご飯を作ってやっている」「あなたのために安全を考えて台所には入れさせないようにしているのよ」と、こんな風に。健康や安全を考えるのは大切なことですが、それは子供を産んだ親としての責任です。子供側からお願いしていることでもないですし、恩着せがましく感謝を強要するのは間違っていると思います。ゲームの主人公のお母さんも、セツナの母親も、この点は紛れもなく典型的な「毒親」ですね。正直、子供って大きくなって、親がやっていることのすごさに自然と気づいて感謝するようになると思うんですよね。わざわざ言われなくたってちゃんとわかる時が来るのに、それを待てないのは親の精神年齢が低い証拠でしょう。

平和を守ろうとして意思が消える

ゲームの主人公(以下美幸)のお姉ちゃんがとても我儘なんですよね。毎日夕食の献立や味付けに文句を言って、毎回お母さんと口論になることで、美幸のメンタルはどんどん崩れていくわけですが、これも毒親家庭では実はよくあることです。毒親に反抗する兄弟姉妹がいて、自分はその喧嘩を宥めてなんとか「平和な家庭」を守ろうと気を遣う…。美幸はお姉ちゃんの文句によって夕食の雰囲気が壊れてしまわないように、「おいしいよ。」と言って姉と母の仲を取り持つわけです。幼い子供がこんな風に気を遣ってばかりだとどうなってしまうのでしょうか。実際に私も、反抗期の兄に激怒して、部屋にこもってしまった母を慰めていたことがよくあったのですが、平和な家庭を保とうと頑張れば頑張るほど、自分の意思がなくなっていくんです。だって、母親が求めている言葉しか口に出さなくなるんですから。自分がどう思っていようと、何を考えていようと、それは口に出さず、母親が言って欲しい言葉を連ねるだけ。そこには意思も感情もありません。最終的に、自分の意見など何もなくなってしまうのです。そうして、何か意見を出すことを求められた時、何が自分の答えなのかわからない、という人間に育ってしまうわけですね。美幸の場合は「美味しい」がだんだんとわからなくなっていき、「オイシイ」と中身の伴わないものになっていきましたが、これはつまりそういうことだったのです。

食事に文化的意味を見出せない

美幸の「美味しい」がわからなくなる、というのもとても共感できます。架橋家では毎食バランスや彩りが完璧な食事を母が作って出してくれました。あれだけの食事を毎回出せるのは本当にすごいことです。父親との離婚論争で忙しい時も、体調が悪い時も、何があっても必ず完璧な食事が出るのです。もちろん、尊敬はしていました。感謝もしていました。でも、だんだんと「美味しい」と心から思えなくなっていったのです。

原因は2つあったと思っています。まず、そうやって完璧な食事を「出されたから食べる」だけだったこと。つまり、私には食べるものを選ぶ権利がありませんでした。普通、たまに外食をして自由にメニューを選んだり、友達と買い食いをしたりすると思います。うちの家ではそれが許されていませんでした。外食自体ごく稀でしたが、外で食べるにしても、メニューについては母親が口を出してきて、それを頼むのが基本。コンビニ弁当を食べることなんてありませんでしたし、買い食いも全くできません。食べ物を選ぶ自由が私にはなく、徐々に食事への興味が失せていったわけです。

もう1つの原因は、母親と顔を合わせて食べる時は必ず、母親の愚痴を聞かされたり、罵声を浴びせられたりしたので、食事の時間が全く楽しいものではなかったことでしょう。食事中はテレビをつけているのですが、ニュースを見れば文句、それに関する自分の経験を踏まえた愚痴、私が何かを報告すればそれに対する罵声、怒号。食事の時間は彼女の口からマイナスの発言しか出てこなかった記憶があります。そんな状態で食べていても、美味しいだなんて思えるわけがないじゃないですか。食事に文化的な意味を見出すには、食事の時間にストレッサーがあってはいけませんよね。この2つの原因で、私も美幸と同じように「美味しい」が何かわからなくなっていったわけです。私は家出前、食事なんて楽しくないから時間の無駄、点滴でいいからその間に他のことをさせてくれ、と思っていたくらいでした。

「お母さん」という責任感

終盤のシーンで、美幸から見た母親の行動が「私たちのためというより『お母さん』という役割を完璧にこなさなければいけないという圧迫感を感じた」と表現されています。セツナの母親もまさにこれだったんです!もう言い得て妙すぎて、プレイしていて本当に驚きました。実際にセツナの母親は「あんたに対する愛情なんて全くない、責任感で育ててやってるだけ」と何度も言っていました。まずそう思っていること自体アウトですが、思っていたとしても口に出すべきではないですよね。でも、実際そうなんだと思います。愛情じゃなくて、産んだからには完璧に育て上げなければいけない、という謎の責任感から自分も子供も追い込んでしまう。ただの自分に課された役割だと思っているんです。だから自分が思うようにいかないとイライラしてキレる。コントロールして抑えつける。それが過干渉・過保護毒親の行動原理なのではないかな、とこのゲームを踏まえて感じました。

いかがでしたでしょうか。「オイシイ」には過干渉・過保護毒親の思考回路やそれに侵された子供の精神状態が的確に描写されていて、ストーリーを進めていくにつれて共感するポイントがどんどん増えていきました。責任感で子供を支配してしまう毒親の心理。非常に怖いですよね。教育に「完璧」なんて存在しないのに、勝手に定めた「完璧」に向けて自分も子供も追い込むのは、誰もいい思いをしないので、やめた方がいいです。少しでも毒親に苦しむ子供が減りますように。

<今週のセツナ>

今回から、最後に「セツナがその週に、毒親について思ったこと・考えたこと」などを記すコーナーを設けることにしました。最後までお付き合いいただけると嬉しいです!

配信内でいただいたチャットで、「教育に正解はないよ」というものがありました。それはその通りです。正解を求めていたら、ないものを勝手に作り上げることになり、それは上記した毒親の思考回路と同じですね。でも、教育に間違いがあることは確かです。毒親的思考の教育や肉体的虐待をする教育は(そもそも教育と呼ぶべきですらないですが)、「間違いだ」とハッキリ断言していいと思います。間違いを避けて「変に完璧や正解を目指さず」育てることができる家庭が増えていくことを願います。

X(https://twitter.com/Setsuna_nohome)のいいね、フォロー、そしてYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/@Setsuna_KAKEHASHI)の登録もぜひぜひ、よろしくお願いします!