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涙の掃除機

僕は、これまでの人生で二回、泣きながら掃除機をかけた事がある。

一回目は小学生の頃だったか。

朝っぱらから床を汚して親に怒られていた少年の僕は、その日の夕にはそんなこととうに忘れて、友達の家で、相も変わらず、馬鹿みたいに遊んでいた。
親からは「お前自分で掃除したことないからその大変さ分からないんだろ」「帰ったら自分で掃除機かけろ」とか言われた。妥当な説教だったが、当時の馬鹿な僕からしたら、単に何クソ〜って感じだった。


その日はいつものように、祖母が車で迎えにきてくれる手筈だったのだが、祖母は、友達の家についても、僕が表に出てこないものだから、もう帰ったとでも思ったのか、僕を乗せることなく、帰って行ってしまった。

僕がその事実に気づいた頃にはもう遅かった。辺りは暗がりを帯び始め、道ゆくあらゆる車は、そのヘッドライトにそれらの行く道を先行させていた。

こいつはもう、歩いて帰るほかない。

幸い、祖母の家よりも遥か近くに(それでも歩いて帰るには時間がいささか遅すぎるが)自宅があったので、この日は歩いて帰ることにした。

一歩、一歩と、鈍く歩みを進める度に、痛覚が足裏を経て全身へと広がる感覚がする。孤独や、淋しさが、夕暮れの背後から迫ってきている気がする。逃げられない。昼が果てる。それでも歩かなくては。









夜のアバンが始まってるんじゃないか、くらいの頃合いになって、僕は、漸く重苦しい靴を脱ぎ捨て、フローリングに体重を預ける。

いくつかの感情が心を支配する。
疲れとか、孤独とか、虚無感いや、それとあと一つ、心に何かが引っかかる。


それはこの朝、親より突きつけられた言葉だった。









掃除機かけなきゃ。


重い体を無理にも動かして、言葉なきまま徐に掃除機をかける。自分を見つめてしまう。

僕は馬鹿だ。
目先の楽しさに思い切り気を取られ、結局、回り回って損をしてるじゃないか。
住み慣れた部屋に、掃除機の音だけが響く。



僕は泣いていた。
自分が情けなくて仕方がなかった。僕は、






そのあとは、
あまり憶えていないが、取り敢えず祖母が自宅に来て、事態が何でもないみたいに収束したことは確かだ。
僕は何のために掃除機をかけたのか、これに関する答えはまだよく見えないままでいる。

ただ、何となく朝方親に言われていたから、だけではないことは間違いない筈なのだが。

兎角、





それから、割と年月、経ち、






東京に出た僕は、「思ったのと違う感」に塗れた日々を過ごしていた。
具体的には、高校生の頃から組んでいたお笑いコンビの活動を、相方が進学のために東京に出た後も継続することができるように、ただそれだけの理由で、東京に来ただけだったのに、ちょいちょいなんか「夢を追う若人」みたいな感じで見られるのが、痛くて仕方なかった。

僕は理解されたいわけでも、背中を押されたいわけでもなかったが、東京は個々人の内情に態々構っていられる程、暇な都市ではない。有象無象の夢の一つとして、僕をも自動的に認識するかのような東京が嫌いになった。

「俺はお前らとは違うぞ」という目で全部を見る。あんまりその言葉にネガティブな意味は付かないものだが、間違いなく、僕の目が持つ「俺はお前らとは違うぞ」は「お前らみたいに夢や希望を持ってここにいるわけじゃないんだぞ」という、「俺はお前らとは違うぞ」だった。

そんな、腐り果てた僕の部屋に、ひとつ着信が。



徐に、震える携帯を手に取る。




母親からの電話だ。

母は、僕が東京を心から楽しめていないことを知っていたかのように、僕を励ますような言葉というか、助言というか、あまり深くは憶えていないが、でも叱っているわけではなく、ただそこには、ただ、「親の言葉」があっただけのような気もするが、携帯電話はその声を淡々と流した。

「あんたが好きなこと、興味のあること、色々なことを学べばいい」って、「どうせ東京に来たなら、好きなことに打ち込めばいい」って、「本当に辛いなら、一度帰って来ればいい」って、取るに足るかと言われれば、大多数が「分かってるよその程度」と、何食わぬ顔で真横を通りすぎるような言葉。




そんな、

そんな、なんてことない言葉にも、涙が出てくる。

僕は理解されたいわけでも、背中を押されたいわけでもなかった。それよりも、ただ、僕の心のどこにも触らず、「お前はお前で、好きにやればいい」と、そう、優しく突き放すみたいな言葉が、欲しかった。

それを得たのだから、泣くよなあそれは。



電話越し、親にバレないように、ティッシュペーパーひとつ手に取り、涙を拭う。言葉は次々涙腺を揺さぶる。









夕方が始まりそうだった。






何となく、部屋の隅っこの、安っぽい白色が目に留まる。



掃除機かけよう。


涙の跡を頬に刻んだまま、小さな部屋に掃除機の音を轟かせる。この部屋の穢れを吸い込む。







ふとあの日を思い出す。


俺小学生の頃から変わってないな。

でも、












まあいいか。



夕暮れ、腹立たしいほどに掃除機の、

ぶい〜ん






東京は今も嫌いだけど、この部屋はたまに好きだ。

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