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苦手意識を乗り越えて「もっと話したい」と伝えた覚悟

私には苦手な人がいた。とにかく怖かった。話をするだけで怖かったのだ。

なぜ、そんなに怖いのか?それは、私の弱点をズバズバ指摘してくるからだ。ものすごく傷つく。言わなくてもいい。わかっているから。と、心の中で叫んでいた。

じゃあなぜ、その人と向き合うのか。その人は、私の講師なのだ。そして、その人の言っていることを「もっともだ。」と納得もしている。私にとって、貴重な存在なのだ。

大人になると、自分のことは自分が一番理解していると、思っている。言いも悪いも。そして、その「悪い」部分を持て余しがちになる。

だから、自分がそこから脱却しようと思ったら、それなりの覚悟はいる。覚悟しても、自分ひとりで立ち向かうには強敵で、プラス、第三者の目と厳しさも必要だ。

何故なら、こびりついた固定観念は、ちょっとやそっとじゃ動じない。

世の中は、「地の時代」から「風の時代」に変わったらしく、自由であるためにも柔軟性を求められる。昭和のガチガチ頭では、自由を満喫できない気がする。このタイミングで「悪い」と認識している事を克服しよう。そこに付着している、固定観念をぶっ壊そう。

そう思ったのだ。

幸い、この人と話をしてみたいと思う人を見つけた。実際に話してみると、自尊心はズタズタになった。大人になって、自尊心を傷付けられるのは、年齢を重ねていればいるほど堪える。自分のテーマがテーマだけに、そう甘くはなかった。

なので、講師に習っている対象のことも、一向に上達しない。苦手な人に、苦手な事を習おうとする私の選択は、好きなこと、得意なことを伸ばそうとうたう、世間の流れに逆行していた。それは、友人にも指摘された。

あれから3年近くがたった。時々、離れた時期もあったけれど、なんとか自分の気持ちに寄り添いながら続けてきた。

先日、久しぶりに講師に連絡をした。返事には、「楽しみにしています。」という文言があった。私は、その文字から目が離れなかった。「続けてよかった。」なんともいえない、柔らかい気持ちを味わっていた。

後日、数ヶ月ぶりに話をした。緊張で、ドキドキした。

それは、出会った頃の怖いという印象が残っていたからだ。話し始めてみると、その緊張は、次第に薄れていき、「覚悟」なるものに変わっていった。講師は、そんな私を見抜いているのか、「変わられましたね。」と言われたのだ。

電話を切る直前、私は思わず言ってしまった。「本当は、もっと話したかった。」と・・・。講師は、「話しましょう。いつでも、言ってくださいよ〜。」と明るく返事をしてくれた。

私は、その講師を通して、克服したい、嫌いな部分の自分と向き合ってきた。ちょっと、荒療治な感はあったけれど、自分だけでなく、それに向き合わされる講師も大変だったと思う。

やっとスタートラインに立てた。苦手なことが得意になり、嫌いが好きに変わる。人間関係も、物事も、成長したいという思いにつられて、見事に変化した。

動きだすまではしんどくて辛い。それを乗り越えるかどうかは、自分次第。

「自分の人生は、自分で切り開き、全ては自己責任である。」そう教えてくれた、この講師に出会えてよかった。

これからは、講師と生徒ではなく、対等に話ができると思う。

非常に楽しみだ。

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