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あの日僕らからありがとうが消えた

当たり前に使うありがとう

子どもの頃、「ありがとう」と言うのってもっと恥ずかしかった。
こういう時は「ありがとう」と言いなさいと教えられて、
大人になる頃には次第にさも当たり前のようにありがとうと言葉を発するようになっている。




「ありがとう」と言う時どんな感情を込めてるのだろう。
不思議だった。嬉しかったり、愛おしかったり、安心したり、いろんな感情があるのに
「ありがとう」の5文字にすべて集約されて、その奥にある気持ちを考えなくなっている。



最近は実家に帰って親の研究をしている。
どういう環境で自分が育ってきたかを感じて物想いにふけっている。

親同士はあまり「ありがとう」「ごめんなさい」を言わない。
振り返って思うと圧倒的信頼関係のもとにそれが成り立っているのだとおもう。
でも、そんな親に「ありがとう」と言いなさいと言われても親が言ってないもんだから自分も言うのが恥ずかしくてしょうがなかった。
なかなか素直に言うのに時間のかかった子だった。



ありがとうが聞こえてこない

子どもの頃から好きだったアフリカの地を訪れた。
ケニアとタンザニアの友達に会いにいった。
日本で口癖のように言うようになっていた「ありがとう」が
自分が思うほどの頻度では聞こえないことに気づいたのも一つの学びだった。



ビールの瓶をとったときやふたを開けたとき、野外でキャンプ用のいすを組みたててセッティングしたときなど
日本なら「ありがとう」とやってくれた人に自分なら言っているタイミングで聞こえてこない。

若干のもどかしさもあった。一度自分からもっとありがとうと言うようにしたこともあった。でも、"Asante" (スワヒリ語でありがとう)と頻繁にいう僕をどこか不思議そうな目で見られているような感覚もあった。



誤解してほしくないのは、感謝の気持ちは彼らも大切にしっかりと「ありがとう」と伝えてくれる。ただ、ものを渡したぐたいの小さい無意識に言っているありがとうがないのだ。


その時は気づかなかったがよりアフリカの文化をより理解してきたとき、
シェア・助け合いが当たり前すぎて「ありがとう」という感覚がないんだなと気づきだした。人がとってほしいビールの瓶をとるのも当たり前、ふたを開けるのも当たり前。
みんなが食べれる空間をセッティングするのも当たり前。何も感謝することもない。
自分も当たり前にするし、相手も当たり前にしてくれる。



そう気づくとすごく居心地がよくなってきた。
なぜなら自分の感覚と近かったからだ。
困っている人がいたら助けるのが当たり前、ご飯もシェアするのが当たり前だから「ありがとう」と言われるがなんとなく嫌いだったし気持ち悪かった。
当たり前に喜んでほしいから目の前の人にご飯をつくる、当たり前。
それにありがとうと言われると特別なことをしてる気になるからどこか歯車が狂うような気がしてた。



僕がよくいくタンザニアの首都から60kmほど離れた電気のないゴゴ族の村。
マンジランジ村でも、あまり「ありがとう」は聞かなかったが、
アフリカ的な日常の幸せを聞いていくと「ありがとうの存在しない村」の存在を知った。


多くの国はヨーロッパに植民地にされているので、その影響で”Thank you”に相当する言葉がだいたいあるが、その村には対応する言葉がないという。
僕は気になって調べてみると、アフリカだけでなくありがとうの存在しない村は世界各地にあることがわかった。


奥野克己 著「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」の本ではマレーシアのペナン島にもありがとうのない文化が存在していたり、

永崎裕麻 著 「世界で一番幸せな国フィジーの世界で一番非常識な幸福論」の中でもフィジーではケレケレといってなんでもシェアする文化が強いとある。

その村の話を読んでいるとどこもとても心豊かに"人間として"暮らしを営んでいる。



ありがとうの存在を消してみる


人間関係が希薄となった現代社会・ありがとうの価値が薄れた現代社会でそんな空間をつくれたら心豊かなコミュニティづくりのヒントになるのでは。

豊かな村づくりができるんじゃないかと思ってありがとうを無くしてみることにした。

こんなことに共感してくれる人は日本人1億人といえどもそうそうはいない。
数少ない共感してくれるNaKaribuの2人とともに実験のつもりで1億人のたった数人の共感するメンバーに届けばいいと思ってHPまでつくって企画にしてみた。


すると、4人の共感する仲間とともに創り上げらることとなった。
場所は千葉の南房総に位置するこれからつくっていくエコビレッジ UMIKAZE


世界2周してきた伊藤 研人さんもいてここでやれるとしたら他のどこでもできないこの企画だった。

UMIKAZEのキャンプサイトには全てネイティブ・アメリカンの民族の名前がついている伊藤研人さんがお世話になった民族でもある。
ネイティブアメリカンの彼らの言葉で「友人・同盟者」を表すラコタ族からとったという神聖な場所でもあるという"ラコタ"サイトをねじろにした。



自然とありがとうが消える


大事にしたのは、「ありがとう禁止ゲーム」にしないこと。
「自然とありがとうの存在」がなくなること

そのために7人で円を囲い2つの問いを投げた。


問い1
心からありがとうと思う・言いたくなる瞬間は?

僕は共感する人が現れたとき。出逢ってくれてありがとうと思うと答えた。
なるみん(仲間の一人)は家の机の前にありがとうと書いた紙が貼ってあるらしく過去の自分からありがとうと言われていると感じると答えた。
・ONENESSを感じる瞬間や人と繋がってると感じるとき
・大根引き抜いたときなどが出てきた


問い2 
その時なぜありがとうと感じるのか?


僕はなかなか合う人はいなかったと感じていたので共感する人が現れるとその人に出会えてよかったと心から感じる。その時の嬉しい気持ちや安堵の気持ちを伝えたくてありがとうと感じるんじゃないか。

・大根ができるまでの過程を感じて、全部が詰まったものがあって大根になっているその養分をもらうことに対してありがとうと感じる


でも、そもそもありがとうってなんだろう?と迷宮入りしてきた。


つづきはまだ発酵中。
じっくり発酵するのを待っててください😊



そのありがとうの価値を問う、いわばコミュニティの実験を2023もやります!

【日程】2023年2月14日〜2月17日
【場所】千葉・南房総 エコビレッジUMIKAZE

詳細はこちらから

※未来の地球を創っていく意志のある人のみ来てください!

ここで得られるのは魂からの笑顔。
これだけは体験した人にしかわからない自分の魂や精神性が一気に高まるのを感じます。

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