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羊をめぐる冒険

初めて読んだ村上春樹さんの作品である。それ以降村上作品を読み漁り、ハルキストとまではいかないが、村上さんは好きな作家のひとりとなった。
そして何度か再読しているのが本書である。


東京で大学時代からの友人である相棒と共に翻訳や広告コピーの会社を営んでいた僕は、消息不明だった親友の鼠からの手紙をきっかけに「特別な羊」を探すため北海道へ向かう。札幌を経て、十二滝町へたどり着く。そこで「羊男」が現れ、鼠との再会を果たす。しかし、鼠はすでに生きてはいなかった。

「特別な羊」とは?
羊男に羊博士、なぜ羊なのか? 
謎に満ちた不思議な羊探しの冒険譚である。
はじめて読んだ時はその不思議なストーリーが純粋におもしろく、読みやすい文体、主人公「僕」の語り口調が気に入った。


冒険のラストシーンにて僕は鼠との再会を果たすが、待ち受けていた事実は鼠の死であった。

鼠はなぜ死んだのか?
死を選ばなければならなかったのか。


「キー・ポイントは弱さなんだ」
「全てはそこから始まってるんだ。きっとその弱さを君は理解できないよ」


鼠が自死した理由、それは「弱さ」にあるという。
僕は「人はみんな弱い」と言うも、それは一般論にすぎない、と返される。

人間はみんな弱さを持っている。
しかし本当の弱さというものは本当の強さと同じくらい稀なものである。
絶え間なく暗闇に引きずりこまれていく弱さは世の中に存在する、これ以上堕ちていく自分を人前に晒したくなかったのだ、と鼠は語る。

鼠の死は弱さゆえであったのか?
死を選んだのは鼠自身であるが、鼠を死に追いやってしまったものは何か?
鼠の死の理由を考えた時、自身の叔母の自死が重なった。


自宅浴室で発見された叔母の近くには大量の精神安定剤と睡眠薬が遺されていた。
叔母夫婦の間には息子がひとりいた。自身のいとこにあたる。
いとこは先天性の疾患があり、生まれつき歩くことができず、会話による意思疎通は難しかったが、身振りや表情から喜怒哀楽を察することはできた。
叔母の死を理解していたかどうかはわからない。
ただ、いつも世話をしてくれていた人がいない、でもなぜなのかわからない、ということは感じていたであろう。
いとこは叔母の死の数年後に元々の疾患による腎不全の悪化により亡くなった。
叔母一家は他県に住んでいたため、交流の機会は少なかったが、時々電話で近況報告をしたり、地元の名産品を送るなどの交流は続いていた。
叔母夫婦は物腰が柔らかく、怒ったことがあるのだろうかと思うくらい穏やかな人達であった。私もずいぶんかわいがってもらった。夫婦ともに登山が好きであり、いとこを施設に預け、長野を訪れていた。登山は束の間の休息でもあった。登山の話をする時の活き活きとした表情が忘れられない。ただ、電話越しの会話では、こちらの様子を気遣いながらも、どことなく寂しげな印象があったことを今でも思い出す。
亡くなったとの連絡を受けた時は、なぜ?どうして?息子を残してどうして逝ってしまったのか?
受け入れがたい事実に悲しみ、驚き、やるせない気持ちが募り複雑な心境であった。

あれから8年経つ。
叔母の死の本当の理由はわからない、死ぬつもりではなかったのかもしれない、この先への悲嘆や誰にも言えず追い込まれた末の行動だったのか…
「弱さ」ゆえの結果だったのだろうか。

自分を救えるのは他の誰でもなく最終的には自分でしかない、と自身は考えているのだが、
自分を救うための結論が死であったのだろうか。
死によって叔母自身は救われたのだろうか。


こたえは出せぬままである。


はじめて本書を読んだ時と今でとは、本の内容は変わらないが、自分の状況や心境は異なる。
再読の醍醐味は、その時々で違う味わいがあり、発見があることだろう。


また、本書を語る上で「羊」がキーワードになっているのだが、村上さんは実際に北海道へ取材へ行き、羊の生態や歴史、飼育について調べ、東京から千葉へ居を移して執筆に専念したとのことである。
村上さんにとって本書の執筆がまさに冒険であったのではないか、そんな気がする。


最後に…
村上さんはノーベル賞の時期になると、毎年候補者として名前があがる。もちろん受賞したらそれは喜ばしいことであるが、個人的には受賞しようが、しまいが、好きな作家に変わりはなく、初めて読んだ本書が村上作品とお付き合いするきっかけになったこと、その後も読書の楽しみを与えてくれたことに感謝したい。

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佐々木マキさんが描く表紙も好きである

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