ヒロシマ 消えたかぞく
今年も行くことは叶わなかった。そう思いながらページをめくった。そして再会を果たす。
いつかヒロシマの平和記念資料館に行きたいと思っている。
ずっと思い続けていることだが、その思いは年々強くなっている。
行かなければならないとも思う。
その思いをいっそう強くしたのがこの本である。
ヒロシマに落とされた原子爆弾で犠牲になった鈴木六郎さん一家の日常を切り取った写真絵本である。
タイトルがなく、写真だけを見たら、昭和時代の家族の日々の暮らしや、家族団らんなど穏やかな日常の一コマを写した写真に、ほほえましい気持ちになる。
床屋を営んでいた六郎さん、お店の前で家族揃って記念撮影の写真から始まり、
イヌやネコと遊ぶきょうだい、
ピクニックでお弁当をほおばる家族、
桶で沐浴をする生れたばかりの赤ちゃん、
窓にいたずら書きをしたり、元気いっぱい遊び疲れてぐっすり眠るきょうだい、
悲惨で凄惨な写真は一枚もない。
どこにでもあったであろう、ありふれた日常の中に垣間見るささやかなしあわせ。
しかしその時は永遠には続かない。
突如現れた大きなきのこ雲
家族全員が原爆で亡くなったことを知り、
ショックと悲しみに襲われる。
お店の準備をしていた六郎さんは逃げた後、救護所で死亡。
一緒に準備をしていたであろう奥さんのフジエさんは瀕死のやけどを負いながらも親戚の家にたどりつくが、数日後に家族が全員亡くなったことを悟り、井戸にとびこみ、いのちをたつ。
英昭くん、公子ちゃん兄妹は小学校で被爆し、英昭くんが公子ちゃんをおんぶして治療所を目指して逃げるも、公子ちゃんの消息は途絶え、親戚の家にたどりついた英昭くんは数日後に高熱を出し、血をはいて亡くなる。
まだ乳幼児の護くん、昭子ちゃんは焼け跡から白い小さな骨になって見つかる。
すべてをうばいさった、あの原爆。
でも、このかぞくが生きたあかしを消すことまでは、けっしてできません。
さいごに添えられたことばからは、原爆のむごさと共に、どんなに強大で破壊的な力があったとしても、かぞくの絆、生きたあかしまでは消すことができないという絶望の中にあっても屈しない、立ち向かおうとする力強いメッセージを感じることができる。
はじめて読んだときは胸がいっぱいで涙にあふれ、こうして書いている今も笑顔の家族写真が涙でかすみ、やるせない気持ちでいっぱいになる。
作者の指田さんはあとがきでこう語っている。
わたしがこの本を作るにあたって一番に思ったのは、一発の原爆によってとつぜんにいのちを絶たれてしまったこの家族を、せめて本のなかで、もう一度思いきり生かしてあげたいということでした。たとえいのちは消めつしても、広島に鈴木六郎さん一家がいきいきと生きていたという事実は決して消えない。いや、だれにも消すことはできないのです。
指田さんの手によって本の中で生かされ、よみがえるかぞく。
死んでしまっても、そのこころまでは消せない。
こころは残すことができる。
そのこころを大切に思うこころがあるかぎり。
鈴木さん一家だけでなく、たくさんのかぞくがいのちをおとし、消えていった。
あれから76年。
「核なき世界」は遠い。
唯一の被爆国であるにもかかわらず、
アメリカの核に守られている我が国の現状に憤りを感じる。
戦争の記憶から遠ざかってはならない。
いつかこのかぞくに会いにヒロシマに行きたい。
会ったらなんと言葉をかけようか。
六郎さん、今日はどんな写真が撮れましたか?
はじける笑顔が素敵なフジエさん、
妹思いの優しい英昭くん、
お兄ちゃんが大好きでおてんばな公子ちゃん、
にっこり笑顔の護くん、
写真には残っていないので、はじめて会う昭子ちゃん、
はじめまして
そして、これからも、
また会いましょう。
何度でも出会うことができる。
それが写真の魅力であり、力であると感じる。
再会を祈る 2021年8月6日
「ヒロシマ 消えたかぞく」
指田和 作
鈴木六郎 写真
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