混ざれない私と裏・表

ご自由におかきください

 そう、書いてあったから。なんて、なぞる人はいない。
もしくはひどく変わりものか、変わり者の自分に酔っているか。どの道、あまり好まれたものではない。
 悲しいけれど、それがこの世の中の常であり、然るべき形だと私は思う。
 いや、そうでなければ困る。ダイバーシティだ、多様性だ、と何でもかんでも受け入れんといい顔ばかりして、様々な境界線をどんどん曖昧にしていく。世の中が曖昧になればなるほど、私と世界も曖昧になっていくような気がして気が遠くなる。遠くなる気と私と世界さえもがどんどん交わって、溶けて、流れて、私だった何かの残りカスが何とも言えない残念な香りを放つ。
 だから、こっちとあっち、区別をしてほしい。
 しかしそう主張すると、やれ差別だ、迫害されてきた人達はどうなるだって過剰に反応する暇人がいる。
 違いますよ、全然違う。こっちとあっちを区別して、それでいてあっちの存在を認めればいいんですよ。混ざり合って仲良くしましょうだなんて、あっちはきっと望んでいない。こっちの人たちだって望んでいないでしょう?

 混ざり合って曖昧にしていくのが正義だと思っている暇人を見ると、「あー、この人はマジョリティであることを疑わずに生きてきた人なんだな」って、私の口角が歪む。曖昧になった誰かの残りカスの香りより何倍も不愉快な悪臭を放つ。

 曖昧になり切れない私と、曖昧を望まない私は表裏一体。ただ、確かに違う裏と表。そんな煮え切らないばかりの世の中で私は今日も肺を満たす。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?