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アーティストビザ取得後の回想記〜アメリカ〜

今回はアーティストビザを取得してアメリカで音楽のお仕事を始めた頃のお話です。

7年前に書いた記事の続編になります。

 バークリー音楽大学を卒業した後、学んだことを生かして仕事ができる、OPT(Optional Practical Training)ビザが発行されました。その後、私はアーティスト・ビザ(O1-Visa)を取得して、3年間アメリカで音楽の仕事ができることとなりました。

サウンドエンジニアとしてスタジオでインターンをする人や、演奏家としてライブハウスやウェディングでの演奏をする人など、みんなそれぞれに活動していました。ちなみに、結婚披露宴で演奏する人気バンドに入るのは、競争率がとても激しいそうです。そのため、とてもエンターテイメント性が高いバンドがたくさん存在しているのでしょう。私も時々ウェディング関連で演奏をしていました(ギターとフルートの二重奏が多かったです)。それ以外は、フリーランサーとして演奏や講師、編曲の仕事をしていました。ここからは、私がBerklee College of Musicでの留学経験を生かし、アメリカでどのような活動をしていたかをお伝えしますね。

Women of the Worldという、2014年全米アカペラ・コンクールで優勝したグループで、バンドメンバー(フルート奏者)として野外音楽イベントからハーバード大学近くの老舗「レガッタ・バー」や「ブルーノート・ニューヨーク」でのワンマンライブ等様々なコンサートに出演しました。私が所属していた当時は、歌手4人とバンドメンバー6人前後で活動しており、みんなで食事を共にすることも多くお互いの国の食事文化を知るのも楽しく、仕事以外の場面でも仲が良かったです。
20カ国以上のフォークソングをメンバー全員で編曲することが多かったので、ジャンルもバラエティに富んでおり、音楽に詳しくない人でも楽しめる演出が好評でした。※参考(http://womenoftheworldmusic.com)

バークリー音楽大学の教授であるWendy Rolfe氏率いるグループの一員として、2011年(ノースキャロライナ州シャーロット)、2012年(ネバダ州ラスベガス)と2年連続で全米フルート協会主催のコンベンションに参加し、演奏とレクチャーを行いました。私はこの企画のために、ブラジルのショーロという音楽スタイルの曲や自作曲をフルート4本とギター、ベース、パーカッション用に編曲しました。コンベンションでは、Ali Ryerson氏率いる「フルート・ジャズ・ビッグバンド」というアンサンブルの企画があり、そのために編曲者を探しているという話をRolfe氏からいただき、Ryerson氏に気に入っていただけて、ジャズの定番曲を2曲アレンジすることになりました。フルート、アルトフルート、バスフルート、ピッコロなどのフルート族と、ピアノ、ウッドベース、ドラムスという編成で、フルート・アンサンブルに打楽器系の要素が入ることで、非常に豊かでクールなサウンドになっていました。

ニューヨークや3年半住んだボストンでは、音楽教室の他に、個人宅への出張レッスンも行っていました。日本の音楽教室はどちらかといえば、一つの楽器を集中して習得する傾向がありますが、アメリカでは小さい頃にさまざまな楽器を試す傾向があるようです。例えば、ジャズ・サックス奏者の友人は、子供たちにフルートやクラリネットも教えていたそうです。ジャズのアンサンブル形態の一つである「ビッグバンド」では、サックス奏者がフルートやクラリネットも持ち替えて演奏するからでしょう。私の場合はフルートを教えながら、音楽を生み出す楽しさを知ってほしいとの思いから、生徒さんに簡単な作曲も教えていました。

オーケストラからバンド、二重奏まで、さまざまな企画のレコーディングにも参加しました。作曲では、「Green Tree House」という自作曲を、前述のWendy Rolfe氏のCDアルバム「Images of Eve」に収録し、ブラジルなど世界各国で演奏していただいたことは、作曲家として大変嬉しい出来事でした。

とても勉強になったことといえば、バークリー音楽大学のフルート・ウィークエンドという10代フルート奏者向けの3日間ワークショップで講師をしたことです。ちょうど2011年に前述の全米フルート協会から委嘱を受けて編曲をしたこともあり、恩師のMatt Marvuglio先生からお声がけいただきました。その編曲作品を10代の若き奏者たちにも体験してもらいたいとのことで、ジャズ・フルート・オーケストラのクラスや即興演奏のクラスなどを担当しました。私の英語の発音が分かりにくかったのか、生徒たちを困らせる部分も多々あったように思います。本当にドキドキの連続でしたが、他の先生たち(私が習った先生方)が素晴らしいサポートをしてくださったおかげで、無事に終えることができました。印象的だったのは、難しいジャズ・アレンジ作品に挑戦してくれた10代フルーティストたちの楽しそうな顔でした。純粋に音楽をする姿勢からは学ぶことが多かったです。

駆け足でアメリカでの主な活動を書かせていただきましたが、音楽留学を目指している方々の参考になれば幸いです。ここに書ききれなかったたくさんの出会いや経験も、今に生きています。                       

※「総合文化誌KUMAMOTO No.13〜16」連載記事「音楽クリエーションの現場から」に加筆修正を加えたものです。

以上、アメリカでアーティストビザを取得したその後のシェアでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

KAJU

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