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法隆寺の門前宿は素晴らしかった@森下さんオフ会の後に②

大阪オフ会の翌日、奈良を観光した様子はこちら。


法隆寺駅からバスに乗り、終点の法隆寺参道で降りると、そこはまさに法隆寺の参道(当たり前)。
むこうに法隆寺らしき様子がうかがえる。

法隆寺の方向をめざして歩くこと100mいや50m?
本日の宿に着いた。

門前宿 和空 法隆寺

一人旅で初めてのまあまあ高級宿。
でも実は、5周年記念の限定価格で、普段の半額以下で予約できたのだ。
やっぱり素敵、オフシーズンの平日旅♡

玄関を入ると、ほの暗く照明を落とした落ち着きあるロビー。
奥のフロントには作務衣のスタッフが二人もいた。
(今まではずっと無人とか外国人スタッフの対応だった。もはや普通がわからないf;^^)

チェックインをお願いすると、「かけてお待ちください」とすすめられ、冷たいお茶が出た。おしぼりまで素敵な柄でやけになんだかやけにうれしくなった。(普通がわからない)

部屋に入ると・・・
館内履きの草履に感動し

トイレとバスが別々なのに感動して

いちいち写真を撮ってしまった(笑)

「(無料で)お部屋をランクアップしております」と言われた本館のツインルーム。私が予約した特別(格安)プランは、もともと別館のはずでした。ラッキー!

汗だくで一日歩いたので、シャワーを浴びてしばしひと休み。

スライド&トークショー

この宿の売りの一つは、夕方にあるギャラリー スライド&トークショー。
実は他にも、日本文化体験というのもあって、この日は「にほひ袋と文香づくり体験」ができる日らしかったのだけれど、私が着いた時にはすでにこの日の体験は締め切られていた。奈良でぼやぼやしなければ・・・残念。

17時からのトークショーには間に合ったので、一休みしたあと、会場である離れの建物へ。

ほんとはこちらの別館に泊まるはずだった
こちらも普通に素敵
こちらのロビーでトークショーがありました。

ホテルのスタッフさんによるスライド&トークショーは、シフトによって担当者が違い、その方によって得意分野があるよう。
この日は、法隆寺を参観するなら聖徳太子は外せないと、聖徳太子をテーマに詳しく話してくださいました。

たくさんのスライドを使って、様々なエピソードを紹介してくださり、とても興味深く聴くことができた。
私たちが子供の頃習った歴史とは変わってきていることも多く勉強になったし、歴史に残る文化や政治の背景にはやはり大河ドラマで見るような権力争いもあって面白かった。

「聖徳太子の履歴書を作る」という流れでの説明は、なかなかに引き込まれるものがあり、こういう授業やってみたいなと思ってしまったのは元教師の性かなf;^^

聖徳太子は、厩戸皇子。
推古天皇の摂政として冠位十二階や憲法十七条を制定した、というのが学校で習う歴史。
でも、この日は初めて聴くびっくりエピソードがたくさんあった。
・生まれたときからずっと握っていたこぶしを2歳の誕生日に開くと、中から舎利(お釈迦様の骨)が出てきて、念仏を唱えた。
・聖徳太子の馬はひとっとびで富士山まで行く!(その絵がある)
・聖徳太子には奥さんが4人いた。中でも身分の低かった妻を一番大切にして、彼女の実家である斑鳩に宮を造って住んだ。
などなど。

そんなエピソードを聴きながら作っていった履歴書が、最後にはしっかり完成した。お見事👏
この日は宿泊客も少なく、このギャラリートークを5人しか聞かなかったのはずいぶんもったいない気がした。
そしてここで聞いた話は、翌日法隆寺を参観するときにとても役に立ったのだった。

お勉強も終わり、いざ夕食へ。


こちらの料理はかの神田川監修

お酒が呑めないので、ご当地サイダーを。法隆寺で選ぶべきはやはり柿でしょう!

鯵は・・・ほんのり柿の味のする普通のサイダーでした。
玉蜀黍真丈
お造りはかつおのたたき
琴浦サーモン 敷き味噌が美味でした
和牛リブロースしゃぶしゃぶ
玉蜀黍ごはん ジュンサイのお味噌汁
マンゴープリンとフルーツ

満腹満足。ごちそうさまでした。


ひとやすみしてお風呂へ。
そんなに大きくはないけれど、二つのお風呂がある。


その名の通りお茶の湯です
こちらは珍しいブラックシリカのお湯

ブラックシリカは北海道でしかとれない黒鉛珪石だそう。

フロントのそばに、そのブラックシリカを置いてあり、お部屋でご自由にお使いくださいとのことだったので、借りて帰ってみた。

ブラックシリカのせいかどうかはわからないが、ぐっすり休んで朝を迎えた。(結局持ち帰った黒珪石はお風呂に入れることなくそのまま返した)


朝ごはん


朝からごちそうを完食してお腹いっぱい。


この宿が人気なのは、法隆寺に近いということだけでなく、「語り部と巡る!世界遺産法隆寺 再発見ツアー」が行われているからだ。
法隆寺愛あふれるホテルのスタッフ(語り部)が、無料で2時間法隆寺を案内してくれるという宿泊者向けのツアーは、『50歳からのごきげんひとり旅』(山脇りこ著・だいわ文庫)という本で絶賛紹介されたことで一躍有名になったらしい。
私が宿泊している間にも、問い合わせの電話が入っていたが、その内容はこの本に出ている中江さんという語り部さんが案内してくれるかどうかということのようだった。
私はそんなことは知らずに予約したのだが、「シフトにより誰が案内するかわからない」ことをやけに念押しされたのはそういうわけかとこの時になって納得したのだった。

語り部ツアー~法隆寺へ


いよいよその語り部ツアーだ。
9時にホテルを出発。
この日の参加者は、70代?のご夫婦とその娘さん、そして私の4人だけ。
語り部は、入矢さんというベテランの男性だった。

まずは参道から。
聖徳太子が3歳の時、父である用明天皇から松の枝と桃の花のどちらが好きかを尋ねられ、松と答えたそうだ。理由を問われると「桃の花は美しいけれど儚く、松は万年枯れることがないから」と・・・3歳;^_^A
というわけで、この参道には松が植えられているそう。

この正面に南大門がある。

語り部の入矢さん

南大門が見えてきた

南大門

法隆寺南大門は世界三大門の一つ。
他の二つは、凱旋門(フランス)と天安門(中国)だそう。 

ちなみに日本三大門は、ここ南大門と南禅寺、知恩院と聞いたのだけれど、ググってみたら「南禅寺・東福寺・久遠寺(山梨)」とあった。いろんな説があるみたい。

法隆寺の総門「南大門」  
室町時代 国宝
両脇に続く塀も重要文化財


南大門の外にある鯛石。
大雨で大和側が氾濫した時にもここかでは水が来ることがなかったそうで、この鯛石を風と水難にあわないと言われているとか。
実際には、ここで籠をおろすところだそう。

写真撮り損ね、ネットから拝借しました。


南大門の奥に中門と五重塔が見える・・・美しい!!

門が額縁のよう

門の中に入る。
やっぱり誰もいない!!こんな写真めったに撮れないのでは??

入矢さんによると、連休明けから夏休みまでの今が一番観光客が少ない時期だそう。
この日はちょうど新札発行の日だったのだけれど、「人の動きだけでなく、経済活動なども少ない時期なので、いま新札を発行することになった」らしいということだった。へえ~!!


中門までの間にもいくつも建物があった。

左側の門は上土門(あげつちもん)と言って、屋根の上に土をのせる昔のつくり方らしい。その後は右側のように檜皮葺きなどになっていったそう。
今もこの上土門の形で残っているのはとても珍しいとのこと。

右側の門には「聖徳宗 宗務所」という表札?があった。
「聖徳宗」って初めて聞いたが、ここ法隆寺が総本山なのだそう。

いよいよ中門へ。
入口は左手。正面からは入れない。(行事や外国の要人などが来たときには開くそう)

門の中央に柱があるのは珍しいそうだ。
この両脇に金剛力士像(重要文化財・奈良時代)がある。

中門 国宝 飛鳥時代

受付を通って中へ。
拝観料1500円
西院伽藍・大宝蔵院・東院伽藍それぞれの入口で穴をあけてくれた。
国鉄時代?の改札で切符にハサミを入れてもらったのを思い出した。

西院伽藍

中門の内側から金剛力士像を見る。

門に向かって右側は「阿形」。
創建当時のままの塑像(土像)で赤く塗られている。

向かって左側は「吽形」。
こちらは後に修理をし、顔以外はすべて木造になっている。


中門の柱。
真ん中が太くなっているエンタシス。習ったぞ。
材木は周囲と芯が腐りやすいそうで、そこを除いて柱をとる。つまり、元はこの4倍くらいの太い木だった。そんな木、今はないだろうな。
その昔、「法隆寺を支えた木」という本があったな~、模試や入試によく出ていなた~と思い出したりした。

ヒノキです


松の木の向こうに堂。 

飛鳥時代に建造された国宝。そしてこれが、世界最古の木造建築と言われている。この中門と金堂、五重塔、回廊などがある西院伽藍は607年に建立されたがその後焼失。それでも670年頃には再建されたらしく、1300年もの間この美しい姿でここにある。
実はもっと以前に作られたお寺が大阪?にあったけれど、焼失してしまい残っている最も古いものがこの金堂を含む建物なのだそう。

見上げると龍がいた。これは江戸時代の修復時のものだそう。大きな屋根を支えるために後から入れた木につけた装飾とのこと。
向かって右は昇り龍。

そして左側は下に向かっていた。

横から見たところ

金堂は中へも入れました。
入る前に「暗くてよく見えないよ」と言われていた語り部さんは、中へ入ると懐中電灯で照らして説明してくれた。さすが!!
堂内は撮影禁止。たくさんの仏像(ぜんぶ国宝)、壁画(焼失して復元)を見た。

金堂の隣には五重塔

明治維新以前に造られた五重塔は全国に22基しか残っていないらしい。(三重塔はもっとある。)
法隆寺の五重塔は最も古いだけでなく、三大美塔(名塔)の一つだそうで、他の二つは瑠璃光寺(山口)と醍醐寺(京都)の五重塔とのこと。

瑠璃光寺の五重塔は見たことがある。大工の父が長い間見上げて感動していた。素人の私が見てもとても美しかった。
醍醐寺にも行ってみたいな。

写真を撮るならここから、と教えてもらって撮った。
映っているのは、語り部の入矢さんと一緒に回ったご家族。

五重塔の中ものぞけます。(入れません)
中が見られるのは珍しいそう。

ここも写真を撮るよう言われた。
この隅が美しく揃っている塔はなかなかないとのこと。
長年の間に狂いが生じてずれてくるのだそうだ。

「それにしてもこんなに高い建物に、長い間よく雷が落ちなかったですね」と言ったら、雷除けのおまじないに、相輪(てっぺんにある)に鎌がかかっているそうだ。昔の建築物のほとんどは雷で焼失していると教えてくれた。

てっぺんにあるのが相輪


こんな何もないところに大きな建物がたくさんあるなんて、今でこそ避雷針がついているけれど、古の人たちが様々な形で建物を守る工夫(おまじない)をしたことも頷ける。本当に神様仏様に守られていたのかもしれない。
ちなみに景観保護のため、法隆寺の周りには今も高い建物はない。私が泊まったホテルも2階建てだった。


大講堂
今は少なくなったけれど、その昔は何百人もの僧侶がいて、勉強をするところだったそう。


正岡子規の句碑
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

子規がこの句を詠んだのは1985年の10月26日だそうで、10月16日は柿の日と制定され、法隆寺では毎年柿がふるまわれるそうだ。
以前はこのそばにお茶屋?があったそう。火を使うのに、大切な建物に近すぎるからとなくなったとのことだった。


大宝蔵院


(ここはエアコンが効いて涼しかった。写真なし)
写真はとれなかったけど、国宝や重要文化財がずらりとあった。
百済観音像はとても大きかった。
ガラスの中にはいっていたのだが、まったく反射しない特別なガラスだそうで、東京?へ運ぶために準備したのだが、コロナ禍のため結局向こうで展示することはなかったらしい。

そして、玉虫厨子もここにあった!
逗子の飾りの中をよく見ると、確かに玉虫の羽があった。
ここで語り部さん、ポケットから玉虫(死んでる)を出して見せてくれた。
ここには割と他のお客さんもいたのだが、私たちのそばに寄ってきて一緒に説明を聞いたり、語り部さんの玉虫を見たりして、ちょっと微妙な気分だった・・・

ちなみに、我が家の息子2号は小学校の時、近くの公園で玉虫を捕まえてきた。(死んでるのを拾ってきたんだったかも)
私も実物を見るのは初めてで感動したので、学校に持って行かせたら、当時の担任の先生がいたく感激して写真を撮られていた。たしかそのあと玄関の下駄箱の上に長く転がっていて、ず~っときれいなままだったのだけれど、いつの間にかなくなった。捨てたのかどうしたのかまったく覚えていない。


東大門(中ノ門) 国宝 奈良時代

この車たちがどうやってここへ入ったかが気になって仕方なかった



夢殿へ。
ここが最後のエリア。

夢殿

これが見たかった!
小学校の修学旅行で来たはずなんだけど、まったく覚えていない・・・

このそばに舎利殿もあった。
年に1度だけ見られるらしい。

ここで語り部さんとはお別れ。
暑い中、ありがとうございました。


せっかくなので、すぐそばにある中宮寺まで行ってみることにした。

夢殿から中宮寺に向かう。

中宮寺

ここは別料金。

本堂はとても新しい建物で驚いた。
聖徳太子のお母さんゆかりの尼寺だそう。
現在の本堂は、1968年に高松宮妃により建てられたもので、2021年に改修を終えたばかりだそう。どうりで新しいはずだ。
元は500mほど離れたところに建っていて、今は中宮寺跡史跡公園として整備されているそう。(行ってみたかったけれど、暑さで断念した)

正面からの撮影は禁止でした。

ご本尊は国宝。
「中宮寺のご本尊はすぐ近くで見られますよ」と語り部さんに言われたので来てみたのだが、こじんまりとして開放的な本堂におられてちょっとびっくり。天寿国曼荼羅繍帳という刺繍の緞帳みたいなものの一部の複製がおいてあった。複製でもずいぶんすばらしかったが、実物は奈良国立博物館にあるそう。
宝物殿でも、実物は奈良国立博物館にというものがかなりあった。時間も気力もなくて行かなかったけれど、やはり一度はちゃんと見ておくべきかな。

ここには猫がいて、猫はご本尊のそばまで行ってもかまわないんだって。猫だから。猫ちゃん、ホームページにもちゃんと載ってます。


ところで、大宝蔵院の近くに収蔵庫なる古びた建物があった。語り部さんによると、中には焼失した金堂壁画が保存されているそうだ。火災の跡の状態で保存してあり、今は技術が向上したので修復をめざしているのだそう。一度中に入られたことがあるそうで、とんでもない臭いで長くはいられなかったとか。焦げ臭かったのかと思ったら、それより保存のために使っている薬品(ホルマリン的な?)の臭いがきつかったとか。
そして、その修復のために、法隆寺はクラウドファウンディングをしていたそう。
国立科学博物館がクラウドファウンディングを募っていた時に、もちろんものすごくたくさんの寄付は集まったけれど、それって国としてどうなの?という声が少なからずあった。
ここ法隆寺もクラウドファウンディングに支えられていたとは。
そういえば、中宮寺の説明にも、クラウドファウンディングによる寄付金も合わせて修復したとあった。
貴重な文化財の保護のために、もっと公的な援助があってもいいんじゃないかと思う。


さて、来た道を戻って南大門へ。
名残り惜しいけれど、相当暑くて疲れて来たので帰ります。

南大門で法隆寺を振り返ってご挨拶。

おじゃましました・・・

南大門から外の参道を眺める。
今は石畳だけれど、昔は土だった。
手前の鯛石は草履をぬぐうところでもあったとか。

手前に鯛石


法隆寺~中宮寺を後にしたのはもう12時前だった。
朝9時からの2時間余りだったが、恐ろしく暑くて疲れていた。あまり冷たいものは食べないのだが、ちょっと体を冷やさないとと思い、荷物をピックアップしにいったホテルでかき氷屋さんを聞いて行った。


ランチタイムだったけど、かき氷だけでも快く食べさせてくれた。
このボリュームのかき氷、普段はなかなか食べきれないが、ここではペロリ。エアコンの効いた店にしばし座って、やっと身体が冷えた。


お店のすぐそばがバス停。
外国人のカップルがバスを待っていた。
「無料でガイドします」という看板をもった女性が来られたので声をかけてみた。法隆寺が大好きなので、ボランティアガイドをしているのだそう。なんと大阪から通ってきているんだって。
もう13時前で、今からあそこを案内して歩くのかと思うとぞっとした。
「暑くて大変でしょう」と言ったら、「大丈夫です。好きだから、これをやってるときは平気。」とにっこり。すごいなあ。
そういえばいろんな観光地でこういう方を見る。(倉敷にもいる)今度からは、こういう方に案内をお願いしてみようかな。

法隆寺駅
来た時には気づかなかったが、法隆寺駅構内の通路の壁には法隆寺金堂の壁画(再現)が描かれていた。

JRで大阪へ。
帰りは大阪駅ターミナルからバスで帰る。

大阪駅で

駅につき、ルクア大阪をぶらぶら。
遅い昼ご飯を何にしようかとさんざん迷って、タイ料理の店に。
3品自由に選べるプレートだったけど、何を選んだか料理の名前を忘れてしまった(笑)味は普通。

トイレの窓から下を眺めた。
向こうに見える観覧車はどこのだろう。今でもビルの上にあるんだ。

留守番の家人にお土産はと聞いたら、551の小籠包がご所望とのこと。迷いながらなんとかたどり着いて列に並んでいたら、アイスキャンデーの売り場が目についた。さすがに買っては帰れないだろうなあと眺めていたら、5時間もつと書いてある。ほんと!?
尋ねてみたら自信満々に大丈夫とのことだったので、袋いっぱい買い込んだ。「ドライアイス多めに入れておきますね。」の言葉通り、家に帰ってもドライアイスはまだ残っていた。

余裕をもってバス停に行き、待つことしばし。
無事バスに乗って、通りすがりに10%オフに引かれてyogiboで買った首まくら(お土産兼用)を装着。
これで帰りは快適なはず✌️

最終日は、後半余裕ある日程だった。
法隆寺の近くに歩いて行けるところがなかったのが残念。車かせめて自転車があれば、と思ったけれど、行ってたら体力もたなかったかな。


それにしても、門前宿は大満足!泊まって良かった。
トークショーもガイドツアーも思っていた以上に素晴らしかった。
オススメの宿です♪


おまけ

お土産にフェイスパックを買った。

友達のM美に渡したら、さっそく使ったと報告が来た。

目力ある〜😆

爆笑🤣

ふんわりツルツルなったよぉ〜(^○^)
とのこと。
私もやってみなきゃ‼️

やりました。
目を閉じるようになっていた。

おしまい。

一人旅は当分おやすみ。夏休みだからね。


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