見出し画像

母親としての役割が終わる日

我が家には入学までの3年間を森のようちえんで過ごした自由のびのび長女(小4)がいます。
※noteを遡っていただければ、小1からの記録が残っています。

森のようちえんと小学校の形態は真逆ですので、
なかなか小学校生活に馴染めずにいたため、ずっとハイブリッド登校(週1程度ならホームスクールでも良いよ)で乗り越えてきましたが
自由にさせてきた結果、小学校は時折休むが「行け」と言われたら渋々ながら学校に行くようになってきました!!

我が家以外にも、ハイブリッド登校をしていた家庭を知ってますが、子どものペースを見守っていたこともあり、最近ちゃんと通学しているようです。
もどかしいんだけどね。
焦らなくてもいいんじゃないか?と思う。

徐々に私の手を離れていく長女を見て
最近、私にできることはほとんど終わったんじゃないかと感じています。


「ニワトリと卵と、息子の思春期」という本を読みました。


冒頭にこんな文章が出てきます。
どこの家庭でもある親子の攻防の末に、「オレは放課後ゲームを買いにいく!」と言い放って学校に行った息子の言葉をきいたお母さんの気持ちです。

もちろんそれは、いままでだってそうだったはず。それなのに、初めてそのことに気がついた。状況は変わってない。変わったのは息子だった。これまで、”お母さんに同意されたい”という子どもの気持ちを、ずっと利用してきたことに気づかされた。そうした気持ちがなくなってしまえば、親の意向など何の効力もない。堂々とそこを突かれたことが、腹立たしくて、悔しくて、不安だった。

繁延あづさ 「ニワトリと卵と、息子の思春期」


それ!!そうなのよ~。泣。

ずっと子育てをしていると「母親が大好き」とか「私がいないと生活できない」ということを利用して、子どもを支配コントロールしようとしてしまうことがあるんです。本の中では「脅しであり、駆け引きの道具」と表現されていますが、子どもが何かを主張してきたとき、親はチカラ技で戦うしか術がないことがよくあります。

だって、そうやって育てられてきたから。

繁延さんも「私も思春期の頃に母親に言い放ったことがあった」と書かれている通り、確かに私も小4の頃には「お母さんにはワカラナイでしょ!!」って思ってたし、さけんでた。
そういうことです。
子どもが「母親は他人だ」って気付いてる。
長女は、あの頃の私と同じ年齢。

本当に他人になってしまったんだな・・・

※子どもは生まれたときから他人です。わかってるんだけど、子どもと一心同体の気分になっちゃうときがあるのよ。だってトイレにまで着いてきてたんだよ。うっかり一緒の生き物って思ってしまうのよ。



もう母親の私がいなくてもなんとか出来るんだろうし、長女に対しての母親としての役割はだいたい終わっているのかもしれない。次に長女の役に立てるのは孫が産まれるときぐらいかしら??もちろん私がいなくなって良いということでないだろうけれど、友達ぐらいのテンションでいた方がお互いに楽なのかもしれない。

私も自分で立たなければ。

次、本にでてきたユングの心理学でも読んでみよかな。
なにかオススメの本があれば教えてください。


最後まで読んでくれてありがとうございます。 スキ、コメントは私のやる気になります!!それだけでとっても嬉しいです♪♪もしサポートしていただけるのなら、娘達の野外活動に使いたいと思います!!