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私にとって、noteが大学みたいな場所だなと思う話


私の最終学歴は高卒です。

ザクっと言えば経済的な理由です。親のせいにするつもりはありませんが、経済的な余裕があり、どこでもいいなら大学に行ってたと思います。
だけど今になって振り返ると、19歳のとき就職した会社で経験したことは私が社会人になるためには必要だったと感じています。あの会社に5年間いたことで、大人になりました。厳しく丁寧に育ててくれたことに感謝しています。

普通に大学行って普通になりたかったけど、20歳ぐらいから自分の意思でオリジナルな人生を歩いています。


先日、18歳が司法試験に合格したニュースをみました。
最年長69歳もビックリなんだけど。。。

すっご!!

現在、教育オタクな私は、いったいどうなって18歳の子が司法試験に受かるのか興味があります。ちゃんとインタビュー記事がありましたよ!!


中学のときに刑事裁判の傍聴にはまった。それで高1の2月から司法試験の勉強を始めた。だいたい1週間で18時間ぐらい勉強した。

この18時間は、学校の勉強とは別だと思います。


私がインタビュー記事で驚いたのは、彼が冷静に物事をみていることです。もちろん大人の受け売りもあるのですが、素敵な環境で育ったんだなと感じました。

☆そして今年(2021年)、司法試験に合格しました。「もう大学卒業を待たずに司法修習に行こうかな」と思ったことはありませんか?
★たしかに「法律の勉強」という点だけを見れば、司法試験の勉強も今の法学部での勉強も、それほど変わらないかもしれません。
 ただ、両者は目的が違うんですよね。つまり、司法試験は「難しい」とは言われますが、合格というわかりやすいゴールがあります。一方で、大学というのは学問や真理の探究の場であり、そこにゴールはありません。
 なので、今まで試験勉強として見てきた法律を、大学の場でまた別の視点から勉強するのは、意義があることだと思っています。「大学は真理の探究の場」という部分は、これも伊藤塾長の受け売りです(笑)。

☆大学では教養科目も学べますね。
★はい。やっぱり教養って大事だと思います。極端な話、いま大学を中退して、司法修習を受けて、弁護士になりました、ということも理論上は可能です。けれど「こんな若いやつに相談や依頼をしたいですか?」と聞かれたら、頼みたくないと思うんですよ。
 法律家は、法律の知識だけで仕事をしているわけじゃないと思うので。教養という面で考えても、やっぱり大学に通う意味はある。よりよい法律家になれるんだなと考えています。
 そして、これから勉強に限らず、幅広く社会経験も積みたいです。今まであまりしてこなかったので、いろんなことに手を出したいです。その一つとして、留学があると思いますし、英語もそうですし。法律と全然関係のないアルバイトもしたいです。


うわ!!すごい若者が出てきた!!と思ったと同時に、「大学というのは学問や真理の探究の場であり、そこにゴールはありません。」って、私がnoteでしていることと似ているのでは??と気が付きました。

ハイブリッド登校、子供の成長、子供と親の気持ち、義務教育改革

などについて、noteでアウトプットしながら日々一人で探求しています。困ったときは誰かの記事を読むと、答えが見えてくるときもあります。知らないことを教えてくれる先生もいるし、コメント欄で楽しく話せる友達もいる。
大学に行ったことないので私のイメージですけど。。。何が違うんだろう?


探求学舎の大人向けコーチング講座をしてくださっている本間先生が、これからの時代は20代までの学歴ではなく、80年続く人生の中で「学習歴を更新していくこと」が大事だよと話されていました。

もちろん高学歴は過去の努力の結晶だと思っているし、高学歴の人は学習歴を更新し続ける人が多いとも感じています。

だけど「高学歴=すごい」っていう単純な話ではないのかなとも思ったりしました。私の最終学校歴は高校ですが、「最終学習歴」は日々更新されています。これって私が目指したいと思っている「自立した学習者」と「学習の個別化」みたいな考えの延長なのかな??


結論はありません。

あくまでも「私にとって」で、それぞれ好きに感じたらいいと思うんだけど・・・noteって私には大学に近い存在なのかもしれないと感じた話でした。

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