「スクールカウンセラー通信」を書いた〜2023年、夏
はじめに
保健室の先生から「●高生の皆さんにこのテーマでメッセージを書いてほしい」と仕事を依頼されました。
「了解っス」
二つ返事で引き受けた僕は、速攻でノートパソコンを開き、颯爽とキーボードに向かいます。
が、勢いが良かったのはそこまで。
・・・・・
脳内は神々しさすら漂うホワイトアウト状態。なーんにも浮かんできません...
例えば「受験勉強」について考えてみます。
「頑張りすぎ」ってどういうことでしょう? 何をどのくらいやったら「頑張りすぎ」で、どのくらいなら「頑張らなすぎ」で、どのくらいなら「丁度いい」のでしょう?
机に座っていた時間? 問題集を解くのに費やした時間? 解いた問題の量? 正解の数? 覚えた単語や用語の数? ベッドに入る直前の疲労レベル? 周りからの「頑張ってるね」という声かけの回数? 模試の結果? 睡眠時間をどれだけ削ったか? 好きなことをどれだけ我慢したか?
人それぞれに違うような気がします。誰の、どれに向けて、何を言えばいいのでしょう?
サッパリわかりません。
ゲシュタルト崩壊
考えすぎて「頑張る」という言葉の意味すらよく分からなくなってきました。
ゲシュタルト崩壊という現象をご存知でしょうか?
例えば、同じ漢字がたくさん並んだ画像を見ていると、それまで自然に認識できていたその漢字が「ん?こんな形だっけ?」となんだかよく分からない意味不明の図形のように見え出す、というような現象です。
考えすぎると脳がバグってしまうってことですね。
「頑張る」の意味
気を取り直し、初心に戻って、広辞苑を引いてみました
なるほど。頑張るには三つの意味があるようです。また「頑なに張る」という漢字は当て字で、元々は「我を張る」、すなわち「自分を押し通し、譲らない」という意味らしいことも分かりました。
宗教思想家のひろさちやさんの解釈によれば、「頑張る」というのは「自己中心的になる」「周りと競争し、自分の利益を優先させる」ということなのだそうです。
ちょっと極端な解釈のような気もします。
僕自身は「がんばる」ことは良いことだと思っています。目標に向かって懸命に取り組んでいる人を見れば応援したくなりますし、一仕事終えて「オレ、がんばったわー」と思えるのは気分の良いものです。
「がんばる」ための作戦と工夫〜「お願い、セバスチャン」
あっ、そうだ。やり終えた後に「気分が良くなる」っていうのは大事なポイントのような気がしてきました。そのためには「ここまでやったらとりあえずOK」という具体的なゴールが必要ですね。それがないと、気分よく仕事を終えることができません。いつまでも「ああでもないこうでもない」という行き場のない思考が脳内をウダウダと駆け巡り、それだけでイヤな疲労に襲われそうです。
人間、よほど好きなこと、よほど気持ちの良いことでない限り、明確なゴール(区切り)もなくやり続けることはできません。それが辛いこと、苦手なこと、楽しくないこと、ストレスを伴うことであるならば、やり続けるために「苦を快に」転換するための作戦、無理のない習慣化の工夫が必要になります。
苦痛を伴う行為を、なんの作戦も工夫もなしに、ただひたすらに自分に強いるのは「苦行」です。通常、僕ら人間の脳や身体は、そんな状況を「異常事態」「危険」と認識し、苦痛の原因となっている行為にストップをかけようとします。あれこれ妨害工作を仕掛けてきます。
集中力を乱したり、ネガティブな想像で感情を揺らしたり、普段なら決してやらない部屋の整頓をなぜか「今やりたい、すぐやりたい!」と思わせたり、時には頭痛や腹痛などの症状を引き起こしたりもします。
脳や身体のミッションは、その持ち主であるアナタを「守る」ことです。アナタが自らに苦痛を強制し続けている姿を発見すると、彼らは黙っていません。
「ご主人様!お戯れを!お止めください!」
ガッツリ止めに入られるわけです。
「離せ!セバスチャン!ワラワはもう童ではない!好きにやらせよ!」
彼らの制止を強引に振り切ろうと、アナタは必死の抵抗を試みます。
セバスチャンは哀しげな、しかし鋼の意思を湛えた眼差しで、溜息交じりにつぶやきます。
「仕方ありませんな。ご主人様のためです。アナタ様をお守りするのが私の使命なのですから。お恨みもうされるな」
セバスチャンは、太古より伝わるさまざまな秘術を尽くして、アナタの試みを封じにかかります。場合によっては苦痛を伴う方法を用いることも辞さない覚悟です。
アナタが勉強に専念しようとしてるのに、気づけばスマホを眺めさせたり、あれこれ不安にさせたり、場合によっては体調を悪くさせられたりするのも、アナタの脳や身体が発動する「愛」の力なのです。セバスチャンがご主人様を守るために心を鬼にして行う妨害工作と同じなのです。
迷惑ですけどね。
なので、あまりに「我を通す」のはうまくありません。むしろセバスチャンの警戒心を高めてしまいます。彼が安心してくれるレベルの丁度いい目標や負荷を設定する必要があります。
「大丈夫だよ、セバスチャン。健康を害するような無理はしないから。タイパ・コスパを考えて現実的なゴール設定をするから。気晴らしもするし、終わった後に気持ちいいと思える自分に合ったやり方を工夫するから。だから、そっとしておいて」
そんなメッセージを、忠実なるアナタの僕(しもべ)たちに送ってあげる必要があります。
おわりに
そろそろ紙幅が尽きてきました。
とりあえず、保健室の先生から依頼された量の文章は書き終えました。気分は悪くありません。僕的にはイイ感じで「がんばった」と思えます。
この文章が皆さんのお役に立つのか、それは分かりません。というか、それは僕の「がんばり」でどうこうできるものではありません。五〇歳を目前に控えた中年男には、自分にどうこうできないことに思い悩むというような贅沢な時間の使い方は許されません。哀しい哉、そんな時間は残されていないのです。
それでは、皆さん。良い夏休みを
スクールカウンセラー 梶原 慶
二〇二三年七月●日
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