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プチフリーランスから始める

さて、退職届は無事提出できた。ビビリの僕からすると大きな山を一つ越えた感があった。気分は随分とスッキリした。

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さて、退職願の提出と並行して、もう一つ課題があった。

当面の生活費の確保だ。

4月半ばの〆日に退職を考えていた。とすれば、5月末の振込を最後に病院からの収入は途絶える。蓄えもわずかなものだ。ただ、一応所帯持ちなので、家族を路頭に迷わすわけにはいかない。

フリーでガッツリ稼げるような業績やアイデアがあるわけでもない。サラリーマンのぬるま湯にドップリ浸かって鈍りきった感性を、徐々に回復させる必要がある。あれこれ試行錯誤してくほかない。

僕は安全策をとると決めていた。

それまで副業として週1ペースで携わっていたスクールカウンセラーの仕事を大幅に増やし、当面の収入の軸にしようと考えた。ウィークデイはスクールカウンセラーをやって、週末や長期休暇(夏休みや冬休みの時期はスクールカウンセラーの仕事は途絶える)にフリーランスとして事業化できそうなアイデアを実地に移してみる。この手の取り組みはやれば確実にうまくいくものでもない。10も20も試してみて、そのうち1つか2つでも良い感触が得られれば御の字といったところだろう。

見込みのありそうな事業が走り始めれば、スクールカウンセラーの仕事を減らし、そちらにシフトしていく。そんな数年単位の絵を描いていた。

2月末に登録先の教育委員会の担当部署にメールを送り、具体的な希望勤務時間を伝え、このような大幅な勤務増が可能かを問い合わせた。しばらくして「大丈夫と思う。確約はできないが」との返事を得た。

まぁイケるだろうと判断した。ダメだったらその時はその時だ。

3月半ば。退職願の提出リミットの数日前に、内定を知らせる電話があった。希望したよりはやや少なめの時間数だったが、まぁこれまで通り生活していけるくらいの収入は確保できる見通しがたった。

とりあえずホッとした。楽な気持ちで退職願を提出できそうだ。

あと、病院の事務方を取り仕切っている同僚に保険だの年金だのについて助言をもらった。すべて丸投げしてたので、ホントに何も知らなかったのだ。社会保険の任意継続という仕組みがあると教えてもらった。2年間の期限付きだが、これまで会社(病院)が半額支払ってくれてた分も含めて賭け金を満額払うことになるが、そのまま国民年金にシフトするよりは負担が少なくて済むらしい。めちゃ丁寧に教えてくれた。感謝感謝だ。その手続きをすることにした。持つべきものは歳の近い同僚だ。

とりあえず4月は10校以上に増えるスクールカウンセラーとしてのそれぞれの勤務先との調整に専念することにした。5月頃には落ち着くだろう。プラスαの新規事業についてはそれから考えよう。

僕は不器用な人間だ。マルチタスクは苦手だ。一つずつ目鼻をつけながら進めてかないとすぐにパンクする。焦らずいこう。

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そして、2020年4月20日。僕は長年勤務した職場を退職した。お世話になった方々に簡単な挨拶をするだけのアッサリしたものだった。

長年通い慣れた病院から駅までの道のりを、なんだか不思議な開放感を感じながら、歩いて帰った。

翌日からは初めて訪れる学校を複数巡ることが決まっていたが、緊張はまったくなかった。なんとでもなると思えていた。僕にとっては「辞める」決断の方がよほどエネルギーを必要とした。

不思議なものだ。

フリーランスと言っても、自分で立ち上げた事業に腕一本で、退路を断って取り組むわけではない。スクールカウンセラーは一年単位の契約更新制の非正規雇用とは言え、サラリーマンであることには変わりない。まぁ似非フリーランスだ。可愛く言い換えれば、プチフリーランスだ。

それでも全然OKだと思った。僕にとっては大きな一歩だ。あとは少しずつ仕事を創っていけばいい。

気分は悪くなかった。ただ一つだけ懸念があった。

コロナだ。

2月から3月にかけて各学校は休校措置を取り始めていた。これが続いたらどうなる? 予定していた勤務がなくなったら? 収入が途絶えてしまうことになるかもしれない。

嫌な予感は的中した。いくつかの学校から4月から5月に予定していた勤務をキャンセルし先延ばししてほしいとの連絡が入った。

4月5月に予定していた僕の勤務日数はほぼ半分になった。まぁ半分残っただけでも良しだ。全部なくなってたらと思うと身の毛がよだつ。

とは言えだ。さて、どうしたものか・・・

なかなか幸先の良いスタートだ。

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