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プロローグ

僕は40代のカウンセラーだ。名前はまだない。

いや、名前はある。世にとどろく名声や業績はなく、金銭的な蓄えも社会的な信用も乏しい、凡庸な中年カウンセラーということだ。

悩みやストレスを抱えてにっちもさっちもいかなくなった方の相談に応じることを生業としている。

20代後半で資格をとって、単科の精神病院に17年ほど勤めた。副業として、スクールカウンセラーや子どもの発達支援や大学の講師や研修やワークショップや講演なんかもやった。

で、2020年4月。思うところあって、ビビる心をなんとかなだめながら、長年勤めた病院を退職し、フリーランスとなった。

そして、その決断を見計らったかのようなピンポイントのタイミングで、コロナが猛威をふるいはじめた。

クライアントと密な部屋で密に会って密にお話するのがお仕事だったのに、「それらすべてまかりならぬ」とのお達しが世界標準で広まったわけだ。

「どうしよう、、、」

これは、一人の中年カウンセラーがビビりつつも勇気を振り絞ってフリーとなり、四十路にして初めて世の中のことをちゃんと学んでいく、現在進行形のお話だ。

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プロローグ|カウンセラーになる

20代後半の頃、特に何の目論見もないまま、学生(心理学専攻の大学院生)という立場を隠れ蓑にバイトと読書にいそしんでいた。さすがにヤバいと思いはじめ、インターネットをつついていたら、一年間の臨床経験を積めば「臨床心理士」という資格の認定試験を受けられるらしいことを知った。ただしチャンスは一回だけ。それを逃すと、改めて専門大学院に入り直さなければならない。

「せっかくなら、取っておこうか」

そのくらいの軽い気持ちだった。心の病やカウンセリングといったことに特に強い興味を抱いていたわけではない。

「心理学」と一口で言っても、その中身は多様だ。ある意味この世はすべて「その人なりの認知=心の有り様」でしかないので、心理学の対象は「この世のすべて」とも言える。多様なのも当たり前だ。だって「すべて」なのだから。ヒトの心が世界をどう観察し、どう分類し、どう体系化し、どう意味づけするかを問う、という意味では、すべての学問は「心理学」だとすら言えなくもない。

ヒトは自分を取り巻く環境や他人に直接触れることはできない。身体や脳(神経系)というデバイスを介してしかアクセスできない。僕らの心が触れたり知ったりできるのは、デバイスを通じてアウトプットされる結果だけだ。

ポストコロナの新しい生活習慣として体温を計ることが日常化しているが、僕らが体温について知ることができるのは体温計というデバイスに表示される「36度5分」という数値だけだ。僕らの身体のなにがどうなってその値を叩き出しているかなんて知りようもない。体温計がバグって実際とは異なる数値を示していたとしても、体感的に異和を感じなければ、僕らはそれを現実と受け取る。他人の数値であれば、違和すら感じとれず、ノーチェックで審査終了だ。

僕らの心なんてその程度のいい加減なものだ。そして、僕らはそんな頼りない心を介してしかこの世のあれこれを知ることはできない。残念ながら他に方法はない。そして、そこで知り得たことが、その人にとってのこの世のすべてとなる。

そんな雑多な心理学のなかで、心の病やカウンセリングを扱うのは「臨床心理学」という領域だ。僕はこの領域をほとんど学んでいなかった。ほとんど興味も示さなかった。僕がやっていたのは「性格心理学」「認知心理学」「生理心理学」といった、いわゆる実験や調査を主とする領域だった。脳波や心拍を計測しながら簡単なゲームを被験者にやらせて、パターンを探るみたいなことを延々とやっていた。心の病よりも、実験機器の誤動作の方が大問題だった。

大学院では、割と楽しく実験したり読書したりして過ごしていた。「大学の先生って楽しそうだな」と思っていた。

けれど、だんだん飽きてきた。

「大学の先生」というお仕事の闇の側面も徐々に見えてきた(と言うと大袈裟だな。メンドウな側面と言い換えよう)。博士論文とやらも書けそうもない。僕は最後までら自分のやるべきことを、探究したいテーマを、ハッキリと一つに絞ることができなかった。

「しゃーない。働くか」

周囲の同級生たちが社会に羽ばたいて早5年が経過していた。

インターネットをつついてみると、京都の警察で日本初の犯罪プロファイリングチームが立ち上がり、そのスタッフを募集という記事を見つけた。めちゃ楽しそうだと思って、受けてみることにした。

惨敗だった。そらそうだ。公務員試験の準備なんて一ミリ秒もしていないのだから。「ただ京都に行きたかっただけじゃねぇの?」と問われたら、そうだったような気もしてくる。

さて、どうしよう。そんな時にネットで見つけたのが、冒頭の「臨床心理士資格試験」の記事だった。

「とりあえず資格取っとけば、なんか仕事はあるだろう」

チャンスは一回だ。もう一度大学院に入り直すとかあり得ないし、金もない。

学歴と単位は足りてる。あと必要なのは「臨床経験」というやつだ。どこかに潜り込まなくてはならない。

こうして、僕のカウンセラー人生は幕を開けた。

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