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「知識」だけでは価値はない - 『今夜もウェブで会おう』 (第14通目)

「ネットサーフィン」をやめることにした

区切りバナー「梶」

将軍川くん

そっちはどんな天気?
こちらは、直射日光が「熱線」になってきた。爽やかな風が吹いてくるから、そこまで暑くはないんだけれど、太陽光線に攻撃的なものを感じる。

まだまだコロナウィルスの感染予防で、世間のトレンドは「自粛」。街はやや混んでない。

さっき、Google Local Guideが「家にいながら世界を散策しよう」っていうメールを送ってきた。多分、世界中のいろんな美しい風景や、写真が見られる何かのサービスなんだと思う。

でも、ネットで楽しんでも、体は椅子に座っているだけで、頭の中に知識ばっかり溜まっていくんだよね。肩はこるし。家にいるときは、家でできることをするのが正解だと思う。世界の映像を見ることと、世界の見知らぬ道を散策する旅を、同じものみたいにオススメされちゃうと、なんだかうさんくさい気がするね。

思うに、知識って、自分が、これまでの人生で得たものの上に乗ってくるんだ。その基礎部分が少ないと、受け取り方がどんどん貧しくなってくる。たとえば「インド旅行は危険」ってよく言われるけれど、3ヶ月ばかり行って、犯罪に巻き込まれたことは1回もなかった。だから、わたしがインドで事件にあった話を聞くと「よっぽど悪い人間に目をつけられたんじゃないか」と考える。

逆に、インドで気をつけるべきは熱中症だね。40℃以上の気温が延々と続く夏なんて知らなかったから、活発に動き回って、しっかりぶっ倒れたよ。

こんなふうに、体を動かしているうちに積み上がってきた情報って、けっこう大きいのよね。もしかすると、わたしはたまたま、犯罪に遭いにくい人間なのかもしれないし。

こういうことを思うと、いつも「世界に真実はないな」と思う。
世界は、人々の体験の、小さな集合の蓄積でできていて、チリのようにただ積もっていくんだ。その溜まり方に正解も不正解もない。
ただ、自分が少し離れたところから、チリを眺める権利はある、というだけで。

世界は堆積物であって、正しさはない。秩序なんてない。そう言う意味では、ツイッターで「あ」とか「い」とか、適当な言葉を入力して、検索をかけて、バーっと出てきたツイートを山ほど集めたものが、「人間社会」の姿に近い気がする。

さて、話題は飛んだけれど、「知識」を得ること、将軍川くんはどう思う?





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最近、旅行にスタンプラリー的な作業感がある

区切りバナー「将軍川」

ウチは、知識はコンピュータのマクロみたいなものだと思っている。
マクロっていうのは、コンピューターの複数の処理を一つの命令で処理できるように自動化した定義のことを指すんだけど、マクロのそういう、決まった処理を機械に任せて自動化するところが、知識になんとなく似ていると思うんだ。

この世界は、人間という小さな存在にとっては、得体の知れない出来事や、不確定に満ちている。
そうした予測不可能な世界を生きるのは不効率だし、しんどい。
〇〇が起こった原因はこうだ、と調べることもできるけど、何から何まで全部自分で調べていたら時間が足りないし、そもそも自力でゼロから調べる能力がない人間がほとんどなんじゃないかな。

Aさんが〇〇について調べて分かったこと、つまり〇〇について知識を共有することで、Bさんは限られたエネルギーと時間を割いてまで、〇〇について自分で調べる必要がなくなったし、〇〇というものについて、ある程度の予測ができるようになる。

例えば、有名な例ではトマトは毒のある植物だと思われていたって話だよね。
もし「トマトを食べても死なない」という知識がなければ、自然の中では危険色である赤色をしたトマトを、ほとんどの人が食べたいだとは思わなかったと思う。栄養もあるし美味しいのにね。
仮にイチから調べるにしても、いちいち誰かを人柱にして実験しなきゃいけないから、手間と時間がかかる。

そう考えると、知識を得ることって、人生におけるマクロを得ることだと思うんだよね。ショートカットとも言えるかな。あればあるほどお得で便利ってことになる。
けど、逆に知識に縛られすぎると、自分の可能性や驚きを狭めてしまうってこともあると思うんだよね。

去年、ベルリンでホステルの4人部屋に泊まった時に、世界中を旅しているイギリス人のアーティストと相部屋になった。これまでずっといろんな場所で過ごしてきたらしい。
いろいろ話をした中で印象に残っていたのは、「インターネットのせいで、既にそこにあるものが分かってしまって、新しい場所を訪れた時の驚きがない」ということだった。彼女はインターネットが携帯端末にまで普及する時代の前から、地図だけを頼りに旅をしていたんだって。

梶さんも言ったように、Googleストリートビューやユーザーが投稿した現地写真によって、その場所がどんなものか大体想像ができてしまう。
その予備知識がついてしまっているから、その場所に行った時もなんとなく予定調和的な感じになって、せっかくの旅行なのにスタンプラリー的な作業感が出てしまったことが何度かあった。

きちんとした知識はあれば、間違いをおかしにくくなるし、得もする。
けど、あえて知識を得ないことで、自分で探し出す喜びを取っておけるから、人生も面白くなると思うんだ。

将軍川



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🍬おまけ

アイコン_将軍川

ネットの海で見つけた、超頭おかしいサイト。
ENTERをクリックし続けると、最深層までたどり着くよ。
キミはこの狂気に耐えられるかな? 最後まで、泣くんじゃない。

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