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【猫小説】『メニー・クラシック・モーメンツ』第6章:若い頃のはなし ②


「あのさ、有季。最近、何かあった…?」

 サトシは、唐突に言った。

「ん?どうして?」
「…、今年の春頃から…」
「うん…」
「有季の文章の ” トーン ” が変わったから…」
「トーンが変わった…?それって、どんな風に?」
「…、なんだか、文章に寂しさが混じるようになった…」

 彼いわく、俺が文面に放っている ” 寂しさ ” というのは上っ面なものではなく、アンニュイに書き綴ったものでもなく、中身がずっしりと詰まった、真っ黒なキャンバスのように思えたのだそうだ。

 そして、

「そんな文章を書くようになった有季のことが、少し…、心配になった」

 とも、言ってくれた。

 サトシは人並み外れた洞察力の持ち主だった。今も昔も、彼のそんな特殊能力に、どきっとさせられてしまう。

 正直にすべてのことを、この目の前の男に話してしまおうかとも思った。

 …、思ったけれども、まだ心の準備がきちんと整ってはいなかった。

 俺は「ちょっとその…、身内に不幸があったものだから…」と、嘘ではなかったけれども、全部が本当だとも言い難いギリギリの縁どりを彼に告げ、その奇妙な空気を取り繕った。

 それ以上、サトシが深く追求してくるようなことはなかった。「その人は有季にとって、とても大切な存在だったんだね」と言って、その話を終わらせた。

 彼のそういう優しさは、今も変わらず、健全に機能していた。

*****

 その後、神妙な面持ちで、サトシはこんなことを話し始めた。

「…、俺、イッセイと別れたんだ」、と。

 聞き覚えのある「男」の名前に、俺の心の海は、波立った。

 イッセイ(本名:湯田ゆだイッセイ)というのは、サトシの栄転後、東京と福岡で遠距離恋愛を続けていた二人の関係にとどめを刺した人物だった(実際はサトシが俺と湯田氏に、二股をかけていたのだけれども…)。

 彼の年齢はたしかサトシと同じで、俺の1個下だったはずだ。

「ふられてしまったんだ。でも、これで良かったと思っている…」

 サトシの口調は、さっぱりしていた。
 けれども、電圧の安定しない小さな電球みたいに、こころの灯が、ついたり消えたりを、何度も何度も繰り返していた。

「あいつはずるかった。全部、ひとりで罪をかぶったからね。泣かれたよ。自分が悪かったって。俺だっていっぱい間違っていたのに…」

 サトシはゆっくりと、深く息を吐きながら言った。

 彼は本当に「後悔」をしているのだと思う。
 自分がふられてしまったことに、ではなく、自ら別れを切り出せなかったことに対して。
 その恋の終わりに、自らのけじめを ” 彼 ” に示せなかったことに対して。

 
 湯田氏と別れてからのサトシは、ずっと ” ひとり ” でいたそうだ。

 仕事は極めて順調で、いくつかの実績を福岡で残せたと、誇らしげに語っていた。
 最初はなかなか馴染めずにいたその街も、今ではすっかり彼の「大好物」になった、とも言っていた。

「ま、とにかくサトシが元気そうで、良かったよ」
 と、言うと、
「本当にそう思う?」
 と、彼は疑問形で返答した。

 想定外の反応に、動揺してしまった俺は「えっと…、そう、じゃないのか?」と、聞き返すと、
「いや、元気ではあるんだけどね…」と、軽くにごしながらも「ひとりでいるのは、やっぱり淋しかった…」と、胸の内を、そっと見せてくれた。

「一人はたいてい気楽で自由なことばかりだったけれども、このまま、ひとり上手になっていく…、その感覚に慣れてしまうのは、どうしても抵抗があった。俺も四十を過ぎたし、なんかこう…、揺るぎないもの…、が、俺には必要だった…。それはきっと条件や好悪の感情や相性なんかではなくって、もっと自然に、もっと当たり前に存在している ” 特別な何か ” なのだろうと思っている。一度それを手にしていたはずなのに、くだらない過ちを犯して9年前に手放してしまった ―」

 こころの生傷を隠すような真似を、彼は決してしなかった。そして、
「今日、もしも有季と会えたら、このことを伝えたいと思っていた」
 という前置きを添えて、こんなフレーズを口にした。

「俺と付き合って欲しいんだ。もう一度」、と。

*****

 その言葉を告げられた瞬間、時が澄んだ。

 黄昏たそがれの浜辺、波と波が打ち消し合う、あの感覚。オーケストラの演奏と喝采かっさいの狭間にだけ存在するサイレンス。

 シュンを失って、まだ数ヶ月しか経っていない俺にとって、彼が口にしたその言葉は、満月よりも完璧過ぎる ” 正義 ” だった。

 巨大な猫に追い詰められた、ちっぽけなねずみのような俺は、

「…、今すぐには、答えることが出来ない。ごめん…」

 と、サトシに告げた。

 彼は「もし、有季なりの答えが出たら、連絡をもらえると嬉しい」と言って、まだインクの匂いが残る名刺を差し出し、「もう、仕事に戻らないと」という台詞セリフとフレーバーティー1杯分の紙幣をテーブルに残して、この場を立ち去った。

 カランコロンと儚げに鳴り響くドアベルの音が、いつまでも俺の頭の中を離れることはなかった。

*****

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