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【猫小説】『メニー・クラシック・モーメンツ』第9章:夏の雨(全話)


 ハルと暮らし始めて、今年でもう12年になる。

 彼は3年前に急性のじん障害を患い、55日間ほど入院したことがあったけれども、それ以外は特に大きな病気やケガをすることもなく、至極、健やかな日々を送っていた。

 この12年の間に、俺は、肩書きを「エッセイスト」へと変えた。相変わらず『エスメラルダ』のコラムは書き続けていたけれども、随筆の依頼が年々増え、コラムとエッセイの執筆依頼の比率が完全に逆転してしまったから、というのが表向きの理由だ。
 一丁前に、担当編集者がつくようにもなった。スケジュール管理が苦手な俺にとって、彼らの存在は心強い。
 とりわけ、某出版社に勤務している、猪又いまた剣史けんしエディターとはすこぶる馬が合う。仕事上の良き ” 相棒 ” として、彼を心底信頼している。猪又氏がいなければ、もう物書きとしての仕事は成り立たない、と、思えるほどに。

 ラプサン・スーチョンも飲まなくなった。別に、嫌いになったわけではない。あんなに愛していたはずのあの毒々しい香りの紅茶を飲む習慣だけが大きな羽根をつけて、どこか遠くの国へと旅立ってしまった。
 その代わり、コーヒーを飲む回数が格段に増えた。わざわざ豆を買って、ミルで引き、バルミューダのコーヒーメーカーで淹れるというのが、ここ数年の朝の日課となっている。
 コポコポコポ…、という、カピバラのいびきみたいな抽出音ソノリティ。そして、リビングに広がる、キンモクセイのようなアロマティックな優雅な香り。

 そんな情緒的な場面を選んで、ハルはむくりと目を覚ます。

 ヒゲをピンピンと揺らし、ぺたぺた足音を鳴らしながら、寝ぼけまなこで俺の足下にまとわりついてくる。
 うるっとした大きな瞳で見つめ、前脚まえあしをぴたっと閉じ、ひと声「にゃあ」。
 そんなルーティーンで、毎朝彼は、朝食を愛しくねだる。

 サフラン色のお皿にお気に入りのキャットフードを入れてあげると、もくもくとそれを胃袋へ押し込む。
 ものの数十秒で、すっかりそれを平らげる。
 腹がふくれると、窓際のソファの上へと移動する。そして、悠々、昼寝(朝寝!?)をし始めるのだ。
 布地に懐かしい匂いがたっぷりと染み込んだその北欧デザインのソファはハルにとって聖域サンクチュアリのようなものなのだろう。

 おひさまがくれたぬくぬくとした光のベルベットに包まれながら、彼は今頃、どんな夢をみているのだろうか。

*****

 ハルには苦手なものがある。

 それは大きな「音」だ。救急車やパトカーのサイレンが鳴るたびに、彼はひどく怯えた様子を見せる。
 玄関ポストの「ガサッ」という投函音に、ぶるっと毛を逆立たせていることもよくある。
 彼は、とても「神経質」な猫なのだ。

 目もあまり良くない。家具の角ばったところや、コーナーや、透明なガラスの窓に、しょっちゅう頭や身体をぶつけている。
 衝突する度に「ふにゃ〜」としょぼくれた声で、いつも不満げに鳴いている。
 彼は、すこし「おドジ」な猫なのだ。

 この部屋に彼がやってきた ” あの日 ” から、同じベッドで一緒に寝ている。隣ですやすやと赤ちゃんみたいに眠っている無垢なハルの寝顔は、永遠に見ていられた。
 夜中にふらふらっとベッドからいなくなることもあったが、朝には必ず、俺のベッドに戻ってくる。
 そして、毛むくじゃらの小さな頭を無精髭ぶしょうひげの残る男のアゴにすり寄せ、甘えてきたかと思えば、いつの間にか、すうすうと寝息を立て始める。

 彼は、きっと「寂しがり屋」な猫なのだ。

*****

 この秋、某有名月刊誌にて「エッセイ」を連載することが決まった。

 その月刊誌で連載を持つことは、物書きにとってたいへん名誉なことであった。そんな夢は一生叶うわけもないと思いつつも、ずっと目標としていた「あこがれ」が、ある日突然、白亜紀後期にユカタン半島沖合に衝突した巨大隕石のごとく、ダイナミックに落っこちてきた。

 これを運のめぐり逢わせ、というのかどうかはわからない。

 けれども、俺はこの一億年に一度しか出会えないような限りなく奇跡に近い何かを、健やかに育てていきたいと思った。


 数日前、猪又いまた氏から「担当編集者が変わる」と、電話で告げられた。

 その話を聞かされた瞬間、とんでもない心細さと、寂しい気持ちが津波のようにどっと押し寄せてきた。
 わずかながら狼狽もした。たしかに…、そう確かに、狼狽してしまっていた。

「優秀な後輩がやってきますから、皆藤さん、安心してください」

 と、爽やかに彼は告げた。憎らしいほど、完璧過ぎるタイミングと温度とスピードで。
 腹の底から頼りにしている君にそんなことを言われてしまったら、もう信じるしかないではないか。

 でも、本当にお世話になったね。今までありがとう。ケンケン。

*****

 梅雨が明けて間もない、7月中旬。

 じりじりと素肌を容赦なく攻撃する午後の野蛮な太陽の真っ白な光に照らされながら、猪又氏の ” 後任者 ” との顔合わせをするため、俺は某出版社に向かっていた。

 額に広がった汗を一粒残らずハンカチで拭きとり、ひと呼吸おいてからオフィスのエントランスの自動ドアの前に立った。
 ぶわん、と、ガラスの扉が開く。すーっと、透明な冷気が肌に触れる。オフィスの湿度と俺のカラダの相性も抜群だった。
 それはもう、晩秋の雫石しずくいしの高原のように。

 受付の女性に「只今、担当編集者をお呼びしますので、そちらのソファにお掛けになって、少々、お待ちください」と告げられた。
 すべすべとしたいかつい象牙色ぞうげいろのソファに座って、俺は ” 新任 ” の編集者を待つことにした。

「お待たせして、申し訳ございません」

 数分後、目の前に現れたのは、黒いロングヘアーの若い女性の姿だった。

「このたび、皆藤先生の担当となりました、氷室逢子と申します」
「皆藤有季です。はじめまして。今日はよろしくお願い致します」

 彼女は、にこっと可愛らしく微笑んだ。即座に好印象を持った。それと同時に、

「…、ん?」

 と、ある違和感を覚えた。「えっと、苗字は、その… ” ヒムロさん ”、って言うんですね…?」とたずねると、彼女は満面の笑みで、こう答えた。

「はい。” 氷室アイコ ” と申します。氷室 ” シュン ” の妹です!」

 その衝撃の事実を知るが早いか、初めてテキーラを飲みほした時と同じくらい、頭がくらくらとしてしまった…。


 どうしてシュンの「妹」が、今、俺の目の前にいるのだ ―!?(暗転)



 先生、大丈夫ですか?という、彼女アイコの呼びかけに気付くまで、どうやら俺は数十秒間、フリーズしたままだったようだ。

 頭がだんだんはっきりしてくると、甘いその安らかな声に、海馬の奥からじわじわと、羊水に揺られるような懐かしさを感じるようになっていた。
 それは遠い昔、記憶の片隅に残っていた、あの周波数と完全に一致するやすらぎだった。
 そして、” 目の前の女性 ” は、あの日、” 見知らぬ男 ” を教会の中へ入れようとしてくれた芯の強い少女の成長した姿に、やはり、他ならなかった。

「驚かせてしまって、申し訳ございません…」

 彼女アイコはいたたまれなさそうな顔をしながら話していたけれども、俺は今、この場で起こっているすべてのことがあまりにもシュールレアリスム過ぎていて、つい「アハハ」と、爆笑してしまった。
 13年という歳月が周到に用意してくれていた奇妙でユーモラスな展開に、どうしても笑いを堪えることができなかったのだ。
 シュンの妹も、ひたすら「アハハ」を量産する俺につられて、ついに笑い始めた。くしゃっと顔を歪ませ、産声うぶごえを上げて誕生したばかりの新生児のように、高らかに。

 そして、そんな二人を見ていた受付嬢も、控え気味に「くすくす」と、微笑んでいたのを、俺は決して見逃さなかった。


 無論、逢子は、俺とシュンの ” 関係 ” を知っていた。

「僕の担当でやりづらくないですか?」
 と、たずねると、
「全然そんなことないです。光栄なことですので、今は武者震いしています!」
 と、言ってくれた。
「もし、先生のほうがやりづらいようでしたら、担当を変えることも…」
 と、言いかけたので、
「いや、むしろ逢子さんと仕事ができるなら、僕は嬉しいよ」
 と、港から出航しかけていた愛しい帆船を、全力でひきとめた。

 逢子は大きな瞳でにこっと微笑んだ。白い浜辺の砂のようにきらきらと輝いていた。
 茶色い目をしていて、シュンにそっくりだった。


 ミーティングルームへ移動し、小一時間、今後のスケジュールについて、擦り合わせを行った。

 休憩時間、二人はグアテマラを飲んだ。よせばいいのに、つい「コーヒー」にまつわる ” トリビア ” を彼女に披露してしまった。
 確か、異国より伝来したその優雅な嗜好品に「珈琲コーヒー」という漢字を当てたのは、江戸時代の蘭学者「宇田川うだがわ 榕菴ようあん」らしい…、とか、当時の女性の「かみかざり(髪飾り)」が、コーヒーのあの赤い実と似ていたことがその由来となっている…、とか、そんな話だったと思う。
 きっと逢子は、俺が「コーヒーに並々ならぬこだわりを持っている男性」というファースト・インプレッションを持ったに違いない。

 一方、そんな俺も、彼女との他愛ない会話の中から、逢子の年齢がすでにシュンの「享年」を越えていることを知った。


「それでは、3週間後にまたお会いしましょう。何かございましたら、こちらの名刺に記載された連絡先に、いつでもご連絡ください」
「はい。分かりました。では、3週間後に。今日は本当にありがとう」

 シュンの ” 妹 ” に見送られ、俺は出版社を後にした。

*****

 次に逢子と会った日は、ひどいどしゃぶりだった。

 その日は、今秋からスタートするエッセイの具体的な連載スケジュールについて、打ち合わせをすることになっていた。
 事前に「日時と場所は先生のご希望に合わせます」と、俺の自由意志を尊重したメールを送ってくれていたため、希望の日にちと時間、そして ” 例の喫茶店 ” の住所、ならびにその場所を示した地図をメールの本文に載せて、彼女に返信した。

 打ち合わせの当日。

 ひと足先にクロノスに着いていた俺は、トラジャコーヒーを飲みながら、逢子の到着を待っていた。
 窓の外の上のほうをふっと眺めると、なんだかもくもくとした鼠色が近づいてくるのが分かった。これはひと雨くるかな、と思っていた矢先、遠くに青白い双頭そうとうの龍が見えた。
 そして、おあつらえ向きに天上には巨大なティンパニがとどろいて、大粒の水玉の群衆がダークグレイから野蛮に落っこちてきたのだった。

「逢子さん、大丈夫かな…」

 俺は彼女の身を案じた。打ち合わせの場所には、彼女が勤務する出版社にもっと近いところを選んであげるべきだった、と、悔やんだ。

 けれども、逢子なら「きっと大丈夫だろう」という、確信もあった。あのなめし革のバッグの中には、折りたたみ傘の二本や三本くらい、余裕で収納されているに違いない。傘を入れたバッグそのものを忘れてしまうような「俺」なんかとは、違うタイプの人間であるはずなのだ、と。

 だが、そんな期待も虚しく、予定時刻の10分前、切ないドアベルの音色と共に登場したのは、ずぶ濡れであられもない姿の ” 逢子 ” だった。

「お待たせして申し訳ございません。しかも、こんな格好で…」

 奥のテーブルに俺の頭を見つけた彼女はすたすたと歩いてやってきた。「お呼び立てすることになってしまってこちらこそ申し訳なかった」と詫びると、「いいえ、いいえ。一度、この喫茶店に来てみたかったんです」と、すっかりびしょびしょに濡れてしまった肩やすそや髪の毛なんかを水色のハンカチでさらさらっと拭きながら、逢子は言った。
 そして「あぁ、やっぱり素敵なお店だった!」と、大きなえくぼをつくった。

 冷たい檸檬レモンの紅茶を口にしながら、逢子はきょろきょろと首を回しながらクロノスの懐古趣味なインテリアを隅から隅までじっくりと見渡していた。
 ワインレッドの椅子の優雅な座り心地、淡いオレンジの照明、華美な額縁に入れられた波打つタッチで描かれた油彩、耳元にそっと届くメロディアスな音楽。
 この喫茶店に宿っている感性の豊かさのようなものに、逢子はうっとりしているように見えた。
 そんな彼女の恍惚こうこつを目を細めながら眺めていると、まだ夏は真っ盛りだというのに、どういうわけか、深まる晩秋を感じさせた。

「先生、猫、お好きなんですね」

 逢子は、突然、そんなことを言い出した。

「…、ん?好きだけど、どうして?」
「ごめんなさい。先日、お会いした時、先生のお電話のスクリーンに映っていた ” 猫ちゃん ” が目に入っちゃったんです。画面がぱっと光った瞬間に、つい…」

 確かに俺はスマホの待ち受け画像に ” ハル ” の写真を設定していた。3年前に自宅で撮影したもので、彼がとても良い表情を浮かべた瞬間を見事にとらえた、お気に入りのフォトだった。

「…、あぁ、これね〜」

 逢子にその写真を見せると「可愛い」と、顔をくしゃっとさせた。「今、この子と暮らしているんだよ。もう十数年になるかな。ハルっていうんだ」と紹介すると、

「― とても、いい名前ですね ―」

と、彼女はぽつりと言った。


 そんな会話のやりとりが一段落する頃には、さっきまでの大雨は止んでいた。これはいわゆる夏の通り雨という気象現象のひとつで、永遠に続くはずはなかったのだ。

 その名残なごりひさしから、ぽたり、ぽたり…と、重力の法則に従って、上から下へと落ちている。
 鼠色の雲に隠れていた太陽は再び威厳を取り戻し、この季節に相応ふさわしい色彩とエネルギーをここぞとばかりに放散し始めた。
 光を受けたしずくたちも、金剛石みたいにきらきらしていて、とてもきれいだった。

 そんな気まぐれな夏の空を眺めながら、

「あの日、兄は意識が戻ることはなく、そのまま眠るように死んでいきました ―」

 と、シュンが亡くなった時のことを、逢子は、唐突に語り始めた。


 ― シュンの死。
 
 それはいつか必ず二人の間で触れなければならない、最も重要なテーマだった。逢子はその序章プロローグを語る舞台として、大雨が降った ” この日 ” を選んだ。
 秋でも冬でも、ましてや春でもなく、真夏の雨の日を選んだ彼女のその感性を、俺は尊く思う。

 すでに13年もの歳月が流れていたにもかかわらず、逢子も俺も瞬時に ” あの日 ” に戻れる、潔さがあった。
 互いの海馬の中にこびりついているビジョンや聴覚、匂いや感触は違えども、永遠に忘れるはずもない、あの冷たい宝石は、二人の結びつきを確実に強固なものとしていた。

 愛する者と別離わかれる苦しみ、そして、これからも果てなく続いてゆく悲しみや寂しさから目を背けずに語り合うことは、ある種のイニシエーションのようなものだった。
 二人が別々の引き出しの中へしまい込んでいた手紙をひとつに束ねる、そんな作業をしているようにも思えた。

「もう助からないと、最初から諦めていました。兄のことは、大好きだったはずなのに。もっと生きていて欲しい、という気持ちに、どうしても力が入らなかった。そんな自分のこころが、私は恐ろしいと思いました。父も同じように思っていたんじゃないかと思います。諦めなかったのは、母だけでした…」

 逢子は「あの日」のことを、淡々と語り始めた。

「そんな母は、皆藤先生のことを憎んでいました。兄は生前、自分が同性愛者であることを家族にカミングアウトしていたのですが、その直後、先生との同棲を始めたということもあって、母は先生のことを、息子をたぶらかした ” サタン ” だと思っていたようです。失礼極まりない母親で、本当に申し訳ございません…」

 俺は無言で、首をゆっくり横に振った。

「父は父で、息子がゲイであることをとても恥じていたようです。時代錯誤も甚だしい露骨ろこつな表現で、兄の人格や過去や生き方のすべてを殺していきました…」

 彼女は続けた。

「両親はずっとこんな感じでしたから、どんなことがあっても、先生のことを兄の葬儀に呼んだり、骨を分けたりするようなことは絶対にしない、と、固く心に決めていたようです。あの事故は先生が悪いわけじゃないのに。むしろ、一番、辛く苦しい思いをしていたのは、先生だったはずなのに…」

 逢子の言葉は ” 懺悔ざんげ ” をかたどったシルエットのようだった。

 その一つ、ひとつの輪郭を残さずにすべて受け止めなくては、と思った。さもないと、今度は彼女がおかしくなってしまいそうだったからだ。

 早く、重い荷物を下ろして、彼女を楽にさせてあげたかった ―。


「逢子さん、あまりご両親のことは責めないであげてください。それも、シュ…、お兄さんに対する愛情表現のひとつだったんです。大切な人の突然の死を誰かのせいにしてしまいたいという気持ちは僕にも分かります。お父様やお母様にとって、僕はシュンを奪った人間に変わりはない。だから、僕のせいにするのが、一番、ちょうど良かった。それに、あの時の僕は、少し、強引だったと思う。死に目にシュンに会えなかったことが、どうしても、どうしても心残りで…」

 そう言うと、彼女は「…、本当に、本当に、ごめんなさい」と、呟くように、何度も何度も謝った。

「いいんですよ。僕はもう、大丈夫だから」と、俺は逢子にそう告げた。


 それから、しばらく二人は黙り込んだ。

 クロノスの店内には、スキータ・デイヴィスの『この世の果てまで』が流れていた。愛する者との別れの哀しみを歌う、1960年代のヒットナンバーだ。
 その意味深なBGMは、どう考えても ” 空気が読めないマスター ” の、ミステリアスな選曲に違いなかった。


 沈黙を破ったのは、逢子だった。

「生前、兄はよく『僕は幸せ者なんだ』と、言っていました」
「…、幸せ者…!?」
「はい。『相手がもし先に死んでしまったら、僕はどうやって生きていけばいいか分からなくなってしまう。そんな風に心の底から思えるパートナーと、この時代に、この世界でめぐり逢うことができて、本当に幸せだった…』、と」

 泣かせること、言ってくれるじゃないの…。

 そう言って、俺はおどけてみせた。らしくもないが ” 変顔 ” でも作って、シュンの妹を本気で笑わせようとしたほどだった。そんなことでもしないと、彼女の前で涙を流してしまいそうだったからだ。

「きっと私は、そんな兄に嫉妬をしていたのだと思う。当時、私にもひとまわり以上年の離れた恋人がいたのですが、ふたりのような関係にはとてもなれそうになかったから…」

 淡く切ない、逢子の遠い初恋を、俺は黙って聞いていた。

「先生とお兄ちゃんみたいな恋愛を、私もしてみたかったな…」
 と、彼女は言った。
「ううむ。僕らの関係が、世間様に誇れるようなものだったのかどうかは、謎だけど…」
「でも、もう誰にもかなわない、っていうほど、一本の太いみきが、ふたりの間には存在していたと、思う…」
 と、甘い、小さなえくぼを作って、逢子はそう言った。

「…、一本の幹、か…」

 それは、サトシがこの世で一番、手に入れたがっていた「何か」であるような気がしてならなかった。

 いつの日か、逢子もその「幹」を探すため、旅立つ日が来るのだろうか。

「幹は強ければ強いほど、折れた時に、どうしようもなくなるんだよ。そして、その幹は折れたままで、絶対になくなりはしない…」

 と、俺は他人事のように言った。

 それから、今の逢子にとって、一番、相応しくない言葉を捧げた。

「…、けれども、それは決して ―」

*****

 数日後、逢子からスマホに連絡が入った。

 俺の「コラム集」が ” 来春 ” 出版されることが正式に決まったらしい、という報告の電話だった。

 素直に、嬉しかった。

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🐾 梶モード 🐾
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