見出し画像

【猫小説】『メニー・クラシック・モーメンツ』第8章:霊園にて ②


 3月下旬。俺は、都内のとある場所に電車で向かっていた。 

 京王線に乗るのは一体、いつぶりのことだろう。ゴトンゴトンというワイルドな響きを全身で受け止める感覚は、なかなか新鮮で、心が弾んだ。

 小一時間ほど電車に揺られ、目的地の最寄り駅へと到着。
 ホームを吹き抜ける風に、髪がさらさらとすすきのようになびく。発車を知らせる電子音が流れ、無言で去りゆく京王線の電車を見送った。
 そして、目的地へと向かうべく、改札を出る。

 道中、ぽつぽつとした鮮やかなピンクが目に飛び込んできた。桜か?と思ったけれども、それは桃の花だった。
 今シーズンは暖冬だったこともあって、桜の開花は例年より遅れるという。風にはまだ冷たさが残っていたし、メジロやウグイスたちのさえずりもだいぶ小さかった。
 ほんのりと鼻に届く大地の香りは弥生の空を讃え、道沿いでおかしな帽子を被ったおっちゃんが売っていたお団子はとても美味しそうに見えた。おあつらえ向きにお腹もぐうと鳴った。
 今、この瞬間も、俺は生きている。そのことを五感が律儀に教えてくれている。

 最寄り駅から10分ほど歩いて辿り着いた場所は、美しい「霊園」だった。
 花々の香りにあふれ、太陽は眩しく、空気は支笏湖しこつこのように澄み切っていた。

 この場所に ” シュン ” が眠っている。


「ここに氷室家のお墓があるんだよ」

 生前、彼が残したシンプルな地図が描かれた小さなメモをたよりに、彼の墓を目指す。
 都内屈指の霊園ということもあり、その敷地は広大だった。
 平日であるにもかかわらず、たくさんの人出があって、園内は賑わっている。
 訪問者の大半は心穏やかな表情を浮かべていたけれども、一部の人間は力なくうつろに歩いていてゾンビのように見えた。兎のような赤い目をしている者もいた。この世のすべての事象を憎み、かすんだ春の午後の空を睨みつけている者もいた。
 それぞれが、それぞれの思いを抱いて、この場所に訪れている。

 見渡す限りの墓石を眺めていると、ああ、こんなにたくさんの人が死んだんだという、ごく当たり前の人類の歴史の一部分を、生々しく見せつけられたような気分にさせられた。
 だ死んだことのない者にとって「あの世」とは、ミステリアスな都会の隣人のようなものだ。
 顔を知っているようで知らないような。こちらから挨拶すべきだろうか、それとも、挨拶されるまで待った方が良いのだろうか。
 四六時中悩むほどのことではないけれども、一度、考え始めると、そのことばかりに集中力のすべてが持っていかれる。

 死を想うことは、生の慰みに過ぎない。そんな甘く、刹那せつない毒に、人間は弄ばれる。


 シュンの墓前に着いた。

 和菓子の「すあま」のような形状をした鼠色の石板には、生誕日や没年月日、聖書の一節など、彼の生きた証が刻まれ、晴れた午後にすっと差し込む太陽の光に反射して、きらきらと輝いていた。

 墓石は磨かれ、そのまわりには塵屑ひとつ落ちておらず、しっかり除草もされていた。ついさっきまで、他の誰かがこの場所を訪れ、そんな快適さを残していったことは明らかだった。

 手に持っていた真っ白な瑞々しいユリの花を献花台に供えた。
 クリスチャンの正式な作法を俺は知らない。下手な真似をして神様に失礼にならぬよう、花をそっと手向け、祈りを捧げるだけにとどめておいた。

 それは5分にも満たない、小さなセレモニーだった。
 けれども、とてもいとしく大切な時間だった。1年ぶりに、やっと ” シュン ” と会うことができたからだ。
 こんなにも長い間、彼と会わなかったことは付き合って以来、初めてのことだった。

 「じゃあ、シュン、またね」

 霊園駅へと戻るべく、きびすを返した。

 帰り道、流れる雲を眺めながら「もう少し、きちんとお墓についてシュンと話しておけば良かったなぁ…」なんてことを思った。
 そもそも「樹木葬」にこだわる必要もなかったし、俺がメソジストに改宗しても良かった。もっとシンプルで、もっとベターな道がきっとふたりには残されていたはずだった。それなのに…。

 何かとても大きな「約束」を決め忘れたかのような気がして、胸がぎゅっと締め付けられた。太宰を読み終えた後のようだった。

 正門まで続く永く長い一本道が、陽炎かげろうのようにゆらゆらと揺れていた。

*****

★ お時間がございましたら、次話も覗いていってもらえると嬉しいです ★

もし、万が一、間違って(!?)梶のサポートをしてしまった場合、いただいたサポートは、なにかウチの「ネコチャン」のために使わせていただきたいと思います。 いつもよりも美味しい「おやつ」を買ってあげる、とか…^^にゃおにゃお!