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Open the Door

そこにドアがあったら、私は開けます。もちろん、開けていいドアなら…。先日も通りかかりに、赤いドアのお店があって、その内側には不思議な世界が広がっていました。ちょっとタイムスリップしたような。レトロなワンピースが可愛いらしくて、思わず試着してしまいそうでした。あの時代にこのデザインや世界観をイメージしていた感性にため息。全然古さを感じさせずにむしろ、女性の魅力を十分に理解し発揮しているデザインなのでした。

さて、私は仕事柄普通の人より、きっとドアを開ける回数も多い職業かも。そして、ドアを開けた向こう側の世界の素晴らしさへの理解も期待も大きいので、そのドアを開けるときのワクワクも、十分に楽しくて、むしろ開けずにはいられない?!

以前にもふと、思ったことがあるのだけれど…多くのことが、この「ドアを開けてみる」から始まる、広がることが実にたくさんありませんか?それはリアルなドアだったり、初めてのお店のドアだったり、新たなチャレンジの扉だったり、相手の心の扉だったり。と、ここでまた思うわけです。??「ドア」と「扉」と表す形態は同じようでいて、何気に使い分けてはいませんか?

そう。場所や空間の場合は、「ドア」でも「扉」でもOKだけれど…心の内側の表現の場合は「扉」の方がしっくりきます。あぁそれにたまにありますのよね、「気持ちのシャッター降ろしちゃう」的な表現。さらには相手との気持ちに「壁」を感じちゃうとか。何が言いたいかと言いますと、多くの人が、実は「内側に間取り図があるんじゃないのか??」という仮説です。

まずは、表面的な門塀があって、その入り口はその人のセンスと第一印象でできている。気安く入れるかな?気難しそう?その門構えで、感じるわけですよ。出会った人は…あまりにも苦手なデザインだと、多分躊躇するのでしょう。自分とセンスが似ていれば、踏む込みやすい。それが第一印象の第一関門(ってやっぱり「門」なのですよ!)

そして、まずは心の土間あたりに通されます。この人、ここでお引き取り願おうか?上がっていただこうか?ここを上がることができた人は、リビングでお茶でもはじまるか?ダイニングでお食事したり…ほぼリアルな展開と近しい状況となる。それでも、まだプライベートな奥のお部屋へは通されません。時に壁を高くしたり、鏡に反射させて相手の行動を知らしめたり、シャッターガッシャーンと降りたっきりの時もあるかも。そして、何だかんだを間取りを行けば、その関係性のポイントポイントで、「次のステップへの扉」があるのじゃないのかな?

この扉を何枚もくぐり抜けてきた人とは近しい行き来のできる仲になる。真逆だけど寄り道しないストレートにスコーンと最後の1枚を難なくクリアしてきちゃう人とも意気投合!みたいな。それは別にどちらが良い悪いのお話でも、もちろんなくて、「扉」は次への関係性の入り口なのだ。「未知への扉」があったなら、開けるも開けないもそれぞれの自由ではあるけれど、開ければ何かが始まる、開けなければその先の世界は分からないまま。

ということで、物質的なドアと気持ちの扉。開けたり閉めたりは自分次第で行きたい方へ向かうのではないでしょうか?
もちろん、無理にはこじ開けない。

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