「暇」=「精神的安定」?
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
先週末から約半年間の主任ケアマネ更新研修とコーチングセミナーがほぼ同時に始まり充実した日々を過ごしています。
個人的には興味のあることを学ぶのはとても好きなので「忙しい」とは感じません。
むしろ余計なことを考える時間が減ったので精神衛生上は良い状態なのだと感じています。
この「精神衛生上」とはネット検索すると「精神的な健康を保ち、増進していくことを科学的に考える学問分野」と出てきます。
私自身あまりメンタルが強いタイプではないと自分では思っているので、いかにメンタルを「安定」させられるかは常日頃から考え取り組んでいます。
小さなところで言えば、起床後から出勤までの時間を長く取りルーティン的に毎日同じことをやっています。
一人の時間を長く取るようにしたり、極力SNS等でマイナスの発信を見ないようにしたり、テレビもほとんど見ません。
以前はもっとガッツリと取り組んでいたのですが、逆にそれがストレスになると実感したので今はほどほどにしています。
この「ほどほど」というのが重要だと個人的には思っています。
世の中には「良い」と言われるものは山ほどあります。それこそ「メンタル」に関することは「良い」ことを挙げるとキリがないですし「自己啓発」も同様です。
「良い」と言われるものをすべて取り入れようと思うとそれだけで時間が無くなったり「何の為に」それをやっているのか分からなくなるほど…。
学ぶことは「完璧」になる為ではなく「より良い」自分になる為に行うことだと私は思うようになりました。
今回2つの研修とセミナーが始まるまで、私は「暇」でした。
もちろん仕事はしていますし、やるべきことはやっていたと思いますが、それでも「暇」でした。
時にこの「暇」というのは精神衛生上良くないものに変わります。
充実している日々の合間に「暇」が訪れると「出来ていなかったことをやってみよう」と前向きな気持ちになれるのですが、常日頃「暇」だと「やってみよう」に変わりづらくなります。
「いつでも出来る」というゆとりは「やってみよう」にはなりづらい。
この時間が長くなればなるほど「精神衛生上良くない」ものに変わる可能性が高くなると思います。
私は「暇」が好きです。好きだからこそ、それを上回る「好き」が来ないと行動に移せません…。
自分の好きが果たして自分の為になるものなのか?これは常に考えていかなければなりません。
とは言え人は弱い生き物。
だからこそ「ここぞ」というタイミングで自分の未来に影響するような誘いや出来事が起こった時には「えいやっ!」とその波に乗っていけるかが肝心。
人生の波に乗るのも実は「サーフィン」のように難しいもの。
日頃から小さな選択を明確に行ったり思い切った行動を取っておくというのは「波に乗る」訓練になるのでお勧めです。
さて週末。
明日は外出して、夜は勉強に当てる1日にしたいと思います。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。