気分屋は信用できるのか?
俺は気分屋です。
人生を良く生きたいから思考や感情含め、人生哲学をさまざま学んできました。
それに付随して、僕がこれまで会ってきたいわゆる『スゴイ人』『成功者』の話をします。
結論から言うと、僕が会ってきた自分より格上だと思う人たちはほぼ『気分屋』でした。
格下を自覚していた僕の目線からすると、分かりやすく言えば、カイジマのお眼鏡に適った『スゴイ人』の言う事なす事すべて正しいと思っていました。
だから、その人が意見をコロコロ変えるのも「ああ、やっぱり成功者は臨機応変に思考を変えるんだなぁ。」なんて感じて、頭の中では成功者が数日前に言ってた事とぜんぜん違うことを発言したとしても、それは筋が通っていることなんだ、正しい物事なんだ、と勝手に正当化していました。
実際にはそれは気分で言ってることを変えてるだけだったとしても。
さて、数年前の話に遡りますが、僕が修行の身だった頃(もちろん今もです。一生です。)、とある影響力がある人がいました。
その業界ではとても威厳があり実績もあり、人も侍らせていました。みんなその人に近づきたかったのです。物理的にも、理想像としても。
僕はその中でもかなりゴリッと距離を縮めることができました。若かったこともあり、かわいがってもらい、たくさんの物事を教わりました。
その方はとても気分屋で、言う事やる事がコロコロ変わります。最初の頃は僕もそれについていき、思考を変えることはさまざまな視点から同時多発的に物事を観測する修行のようなものなんだ、Aの逆はB、だけじゃなく、Cもあるんだ。こんな風に僕も、常に意見は複数持ってないといけないんだなぁ、なんて思ってました。
しかし、実際に起きていたことは、ただの気分屋野郎に振り回されていただけであって、それをいかに正当化するかという僕の頭の中の解釈を鈍らせることでしかなかったのです。
この話、厄介なのは、人は自分より格上認定している人間のことに関しては盲目的になるのです。
相手がお金もあり影響力もある場合、その人は人を動かせるし、相手の人生や生活にも影響を与えます。
つまるところ、あなたの勤める会社の社長や、あなたのビジネスの取引先がそれにあたります。
社長からクビ宣告されたら生活に困りますね?
取引先に切られたら事業が立ち行きませんね?
これを出来てしまうのが、お金と影響力のある人です。それが気分屋だったらどうでしょう?数日前に言ってたことが突然変わる。でもそう言われたら自分含め周りの人間はその通りに動かないといけないですね。
こちらが準備していたこと、アテにしていたことはすべてパーになります。これは困りますね。
さて、ではタイトルにあるように、そんな気分屋は信用できるのでしょうか?
信用と信頼
これは非常に難しい問いですが、基本的に気分屋は信用しない方がいいです。
もちろん、全員がそうというわけではありません。会社の経営者として従業員を守るために経営戦略をコロコロ変えるということもあるでしょう。従業員はそれに振り回されて疲弊して、経営者への不信感を募らせることもあるかもしれません。これは逆説的な話で、正義を貫くために犠牲にするものもある、的な話みたいなもんです。
問題は、自分の影響力が他人の人生や生活にも作用するにも関わらず、相手の人生や生活を厭わない気分屋の場合です。
あなたの会社の経営者が、面白そうだからといって突然すべての経営資源を儲かりそうもない事業に突っ込んだらどう思います?
儲からないんだから赤字になります。すると自分たちの給料に影響を及ぼしますよね。儲かる事業を割り振られていない従業員は、会社の売り上げをあげることも出来ません。すると経営者は怒り狂って給料泥棒だと言います。
儲からない事業を勝手に始めて、儲からない仕事を割り振っているのは当の本人なのに。
こういうことが大なり小なり起こっています。
カリスマを信用すると、他人に振り回されるだけの人生になります。
カリスマは、自分の人生の一登場人物にすぎないし、ただのキャラクターなんだから、サッサと見限って捨てるべき時は捨てるべきです。
人は一度執着した物事はなかなか捨てられませんから、たとえ相手が気分屋なカリスマであったとしても最後までついていって大損害を被ることもよくあります。
もう一度いいますがあなたの人生に登場する人物は全員がただのキャラクターであって、盲信してついていく必要性などありません。
誰かについていかないと不安だとしても、一番安心なのは自分自身を高めることです。
たくさん勉強して失敗して自分専用の船頭を自分で作るのが一番安心できます。
だからもっと好きに生きよう。
他人に尽くしたり盲信するのはやめようね。
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