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「漫画の神様」




 「漫画の神様」

 住宅街の奥ばった場所にあるディスカウントショップは平日は閑散としている。
疎(まば)らな買い物客の中で家族連れは壮一たちだけで、流れている店の宣伝のアナウンスが馴染みのあるジングルを伴い賑やかに店内に反響していた。
「─見るだけばい」そう貧乏家の常套句(じょうとうく)を口にすると、娘たちは素直に頷いた。
「フラワーロック」がアナウンスに敏感に反応しては休む間もなく踊っている。
剽軽(ひょうきん)なダンスは店が開店した当初から記憶にあるからもう三年以上前からの玩具(おもちゃ)だ。
なるほど、向日葵の形の元来黄色である筈の花びらのあちこちが客たちの手垢痕(てあかあと)なのだろう、燻(くす)んだ褐色(かっしょく)に変色していた。
「─あ、」二女の日向子が不意に立ち止まり小さく声を上げ高みを指差した。同時に、
「あかい、こんどる─!」長女の一葉が叫んだ。

 「三つ目が通る」─漫画界の巨匠、手塚治虫氏の作品だ。
過日押入れを掃除していた際、昔購入した中古のDVDを見つけ観せたところ、二人共偉く気に入り夢中になっていた。
「─おれは、しゃらしくんだ!ゆくぞ、わたとんッ」観終わると二人共小鼻を膨らませ興奮冷めやらぬ様子で、主に一葉が役柄を半ば強要し物語は始まる。
「しゃらしくん」は写楽くん。「わたとん」はわとさん、である。
額に絆創膏をバッテンに貼り付け、しゃらしくんがやはり押入れから見つけた赤い風呂敷をマント代わりにし、わたとんを従える。
「─あぷとる、むにゃむにゃ、むにゃ、にゃにゃにゃ─とうッ─!」曖昧な呪文が可愛らしく思わず笑うと、一葉は動きを止め真顔で父親に向き合い、徐(おもむろ)額のバンドエイドを外そうとした。
「う、うわああ!やめてくれえ!助けてくれえええ─!」そう叫ぶと、しゃらしくんは大きく口を開け味噌っ歯を見せつけケタケタ笑った。
「よし!やっつけた!」次いでわたとんが壮一を指差すと、二人の主人公は顔を見合わせ満足げに大きく頷き、ドタドタと次の標的のいるキッチンに向かうのだった。
舞台は、必ずと言っていい程しゃらしくんが泣かされて緞帳(どんちょう)が下りる。
姉妹は成長に連れ、しばしば双子と見間違われる程容姿が似て来ているが持ち合わせている性格は真逆に近い。
何事につけじっと感情を抑える長女と、ストレスフリーにそれを露わに出来る二女。
何かに耐え忍んだのだろう、その日も床に突っ伏す形で声を抑えしくしく泣く一葉を、日向子が仁王立ちに見下ろしているのだった。

 写楽くんのアイテム「赤いコンドル」は2,800円の価格シールが手書きで上書きされていて980円になっていた。
貧乏人特有のお得感を刺激され、直ぐに購入を決めた。
「─ 一つしかなかねぇ。喧嘩せんね?約束でくるか─?」背を伸ばし古惚(ふるぼ)けた箱を埃(ほこり)を気にしながらそっと下ろしそう問うと、二人は円らな瞳を輝かせ大きく幾度も頷いた。

 「─よし!ゆくぞ、わたとん!」配役が決まったのだろう、念願のアイテム「赤いコンドル」を携え、珍しく主役に抜擢されたらしい日向子が額に絆創膏を貼り付け赤い風呂敷を翻(ひるがえ)し先陣を切り寝間に走り、その後ろを唇を尖らせ少し不本意そうに一葉が従う。
やがてドタバタと音が聞こえそっと覗くと、後で夕寝を決め込もうと敷きっ放しにしていた壮一の布団で戯れ合っている。
ビーズ入りの枕を投げ合いながら何が面白いのか笑い転げていた。
「─仲よかねえ」母親のさやも覗きに来てそう言い笑みを浮かべた。
 母娘三人は実に笑顔が似ている。
人は笑みを浮かべる時その人柄の素が露わになると聞いたことがあるが、女系家族の娘二人の本質がやはり母であるなら頼もしい限りだ。
さやは根幹が肝が据わっている。
大概のことには動じない。
出産の折、それを思い知らせた。
 初産は帝王切開だった。
夜中に破水し、病院に駆けつけたが子宮口が中々開かず漸く踏み切った施術の際、有り得ぬ不手際で麻酔薬が入り切らず背中から漏れている状態での開腹を何と縫合まで耐え抜いたのだ。
陣痛促進剤が仇となり母子共に混濁したままの意識の中、余りの激痛に酸素マスクの下その事実を必死に訴えたが執刀医の副院長はそれを譫言(うわごと)と聞き流したらしい。
「─ なんか、普段ん診察ん時もよう酒臭うてさ。─手術前も匂うとったんっさね─ 殺さるる思うたた。ほんなこて─」術後疲弊し切り憔悴(しょうすい)した様子のさやの口からそう聞かされ、壮一は直後実に和かに来室し、満面の笑みを浮かべ祝いの言葉を掛けて来た副院長の胸ぐらを掴み上げ危うく傷害事件を犯し掛けた。
「諂い」(へつらい)が男子の当然なのだと認識している。
懐妊を知り診察の時点で既に胎盤に宿り躍動する生命の不可思議と奇跡を目の当たりにし、十月十日もの時間自らの内に生命を育て護り、しかも「産み落とす」と云う妻、女性にしか成し得ぬ正に神が授けたもうた偉業─。
精々が稼ぎ、衣食住に不備無しを心得るべきが家庭に於いての「男の本懐」であるべきだが、しかし壮一はリストラの憂き目からその括りからも外れていた。
詰まりは余計に諂うしかない。
 市のリサイクル販売で抽選購入した学習机。
その棚に挟まれた「ひまわり組」のクラスメイトたちから贈られた絵画や折り紙の貼り絵、お手紙─。
滞った園費の挙げ句、まさかの中途退園を余儀なくされた結果、先生の配慮による特別な餞別(せんべつ)だ。
『─かずちゃん、ずっと、おともだちだよ─。ねこちゃん、すきだったよね、おりがみをあげるね─。かずちゃん、また、あそぼうね─』様々なメッセージに彼女と園との関わりを改めて知り、それでも父親としての無能に項垂れるしかなかった。
「─よかよ、かずちゃん。もう、ようちえんいかんで」情け無く言葉に詰まりながら退園を告げた時、あっけらかんとそう即答した。
時折瞬きを繰り返す長い睫毛(まつげ)の下の円らな瞳の奥にある筈の本意さえ推し量れぬことがより一層、親としての情け無さを煽り立てた。
 まだ日向子が生まれる前、さやが胆石の発作で救急搬送された際、真夜中に起こしたにも関わらず一言もぐずりもせず労る様に緊急車両の中、ずっと母の髪を撫でつけていた。
施術のため入院した時もじっと淋しさに耐え、寝る時だけ父親の胸にしがみつき密かにしゃくり上げていた。
辛抱を本能の一つに備えている、喩えるなら正に大和撫子。
愛しみと申し訳なさで思わず目を潤ませながら壁に貼り付けた園で描いた独特の微妙な右肩上がりの猫の絵を見つめていると唐突に、「─とうッ!」と言う短い叫び声と同時に、がつん─!と何かが激しくぶつかる音が聞こえた。
俄(にわ)かに静まり返った寝間をまた覗き込むと、一葉が部屋の隅で声を押し殺し小さな肩を震わせていた。
すぐ傍に鈍い明かりを点滅させた赤いコンドルが横たわっている。
日向子がゆっくり壮一を振り返った。
小鼻を膨らませている。
「─ え、何?どがんした?」そう問う壮一の声に被せる様に、
「ひとつ、やっつけた!」日向子は右の手の人差し指を高く掲げそう雄叫びを上げると、額の絆創膏を剥がし半ば茫然と立ち尽くす父に投げつけ、
「ふはははは─」と不敵な笑い声を残しマントを翻しながら部屋を飛び出して行った。




     ─了─



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