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バリアフリー論1 「自立生活の街、バークレイ」

「バークレイを実際に見たい!」
 関西学院大学時代のことだ。授業の中で、
「重度の障がい者の自立生活が最も発展している街」
 と聞いていたからだ。母親の全面的な介護のもと暮らしていた私は、同年代の人に介護してもらえる自立生活に憧れていた頃であった。

1992年、米国はカリフォルニア州にあるバークレイを訪れた。大学を中心とした人口約10万人の小さな街である。
「何だ。この電動車いすの数は!」
街中を行き交っている電動車いすを見て驚いた。そして、
「こんな小さなお店も段差なく入れるんだ」
 ほとんどの店舗やレストランには段差がなく車いすのまま入れるようになっていた。また、その他の公共の建物、地下鉄やバスも段差なく利用できた。
 そうバークレイは、街全体に行き届いたまさに「バリアフリーの街」だ。なお、私がこの「バリアフリーの街」を使う場合は、物理的バリア*1のみを指す。

 ここでその背景を少々探ってみたい。1962年、カリフォルニア大学バークレイ校に重度の障がい者学生、エド・ロバーツ氏が入学した。そして、他の学生と同じように学べるように大学から支援を受け、学生寮に住み、学業や日常生活に必要なパーソナルアシスタントを自身で管理した。
 その後1972年、障がい者自立生活センターを設立し、それまで保護、救済される対象として病院や入所施設にいた重度の障がい者も、地域の住民として同じように生活する権利を得るために社会運動を繰り広げた。
その結果、バークレイに全米から重度の障がい者が集まり自立生活が促進された。
「自分もこの街で自立生活がしたい」
 私も、前述の訪問の際にそう思った1人として大学を卒業後、単身で移住した。その後、2000年に帰国するまで住み続けた。
 
 さて、私がこの各論1でいいたいことは、
「自立生活が発展すると、その地域のバリアフリーも促進される」
 ということである。重度の障がい者が自立生活をするには、街全体が車いすで利用できるようなっている必要がある。その結果、バリアフリーの促進も自立生活運動の一環としてとらえられ、運動が活発なバークレイやベイエリアと呼ばれる地域では非常に発展した。

 アメリカにはADA法というバリアフリーの基準を決める連邦法があり、行政機関はもちろん、民間事業者では全米のホテル、レストランチェーンなどは、その基準に従っている。
 とはいえ、個別の案件については訴訟や仲裁申立により個別に認定が行われ、改善命令がでることによりバリアフリー化されることも多い。これは、民間事業者は訴訟などにより多額の損害賠償請求が認められることを、経営上のリスクとして捉え判断するためである。
 したがって、多くの車いす使用者が住み、自立生活運動が盛んなところはバリアフリー化されやすい。逆に言えばそうでないところはされにくい。実際、アメリカの地方都市に行ってみるとバリアフリーが遅れていることに気づくことが多い。

 それでは逆に
「バリアフリーが促進されると、その地域の自立生活も発展するだろうか?」
 私の答えは、必ずしもそうとは言えない。現在の日本、特に都心部や大都市においては全体としてバリアフリーが整っているが、自立生活はそれほど発展していないどころか、車いす使用者もあまり目にしない。
「なぜ逆も真ではないか?」「なぜ日本ではバリアフリーが進むのか?」疑問がわくだろうが、それについては今後この稿で読み解いていく。

 いずれにしても、自立生活運動の力が大きいほどバリアフリーが促進されるということ、バークレイは全米で最も自立生活運動が盛んで、車いすユーザも多く、街のバリアフリーも世界有数であることは確かである。

 最後に、ちょっとブラックジョーク。
 バークレイでは、歩行者は普通の街を歩くのと比べて注意しなければならない。街を行き交う約1馬力の電動車いすにひかれないように。

*1 バリアには物理的バリアと社会的バリアがあることは、本稿「バリアフリーとは?」で示した。

※写真は1995年当時。私が修士号を取得したカリフォルニア大学バークレイ校ゴールドマン政策大学院の建物の前。私の入学が決定するとこの歴史的建物を大規模改装してくれた。

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