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#6 会話とオーダーメイドを巡る旅〜SOAK IN WATER 角本惣次さんを訪ねて〜第一回

ジーンズといえばリーバイス。
ブーツといえばレッドウィング。
ではベルトといえば…?

角本惣次さんが立ち上げたSOAK IN WATERは、数少ないベルト専業メーカーです。

ベルトは主役にはなれないけれど…と口にしながらも、ベルトだからこそできること、自分だからこそできることを追究し続けている角本さん。
そんな角本さんのルーツと、これから先のことを聞くために、神戸のアトリエを訪問しました。


【プロフィール】角本惣次(かくもとそうじ)
1978年生まれ。高校在学中から独学で皮革製品の製作を始める。
いくつかの企業に所属して販売などを経験したのち、2012年にベルト専業メーカーSOAK IN WATER(ソークインウォーター)を立ち上げる。


きっかけは一本のブレスレット

寺田:角本さんが皮革製品に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?そこから、ベルト作りに辿り着くまでの経緯をお聞きしていきたいと思うのですが。

角本:革に興味を持つきっかけで言うと、サッカーのスパイクです。
高校生のときまでずっとサッカーばっかりしていて、カンガルー革のスパイクを磨いていました。
でも、高校で体調崩してサッカーを挫折して、部活を途中で辞めちゃったんです。
することもないなぁってときに、別の学校に通っていた幼馴染と服を買いに行くようになって。ちょうどその時期に物作りにも目覚めました。
きっかけは、雑誌で見た革のブレスレットでした。一目惚れして、それを欲しいなと店舗に行ったら神戸にも東京にも売っていなくて。それなら自分で作ってみようと、東急ハンズで革と尾錠と糸と針を買ってきたんです。
作ったブレスレットを着けていたら、友達から欲しいって言われるようになって。そこから人に色々作ってあげるようになりました。
見様見真似でカバンやサンダルも作ってみたものの、歩いているときにソールが剥がれてきてしまって。知識がないから、当時はそんなこともありましたね(笑)

寺田:雑誌はどういったものを読まれていたんですか?

角本:メンズノンノ、チェックメイトはよく読んでいました。毎月買っては、くまなく紙面を見て。それから神戸や大阪のセレクトショップに足を運んで、情報も集めていました。ファッションに目覚めたのも、その頃でしたね。

寺田:高校を出てからは、どういう風に過ごされていたんですか?

角本:一浪して大学に入ってからは、学校に通いながら物作りを続けていました。
当時、友人がアメリカに留学したので、その子のところに遊びに行ったりもしましたね。
それで、19歳のとき、アメリカの靴屋でオールデン(※1)のコードバンチャッカーブーツを買ったんです。ベテランの販売員さんが私の足を一目見るなり、奥から私に合うサイズの靴を用意してくれました。しっかりとした木型で作られた革靴を試着したときのフィット感、プロの接客を味わえたことを今でも覚えています。
それまではデザイン重視の革靴を履いていたんですけど、オールデンの気持ち良くフィットする感じだったり、磨いたときにそれに答えてくれる感じが、すごく楽しくて。そのときはピカピカに磨いたオールデンの靴を履いて大学に通っていましたね。
何かの面接があるときも、履歴書の趣味に「靴磨き」なんて書いていたくらいで。今ほど靴磨きが世に浸透していないときだったから、これなんですか?って食いつかれたら、こっちのペースで色々話していましたね(笑)。
良い革を追究することに目覚めたのも、その頃だったかな。
当初、ブレスレットを作っていた頃って、なんてことない革のハギレを買って作っていただけだったんですが、その友達にイギリスからブライドルレザー(※2)や馬具のパーツを輸入してもらったんです。
そういう革を見たときに、すごい世界があるなって気づかされました。その頃に買ったパーツは、今も持っています。
イギリス製の真鍮のパーツって、日本のものとは銅と亜鉛の比率の違いなどもあるんでしょうけど、当時の僕にはすごく魅力的で光り輝いていて。すごく惹き込まれるものがありました。

就職と物作りと

角本:大学のときにはセレクトショップでアルバイトもしていました。そのときは、将来は服屋できたらなって夢があって。大手のセレクトショップとか、芦屋にあった個店さんに入り浸って、昔のものの良さなどを教えてもらいました。オリジナリティや服の着方を一から教えてもらったのが、大学生の頃でしたね。

寺田:大学生のときは、物作りをしていこうというよりは、自分のお店を持つことに関心があったんですね。

角本:物作りよりは、販売をやってみたい気持ちが強かったですね。
大学4回生の11月にようやく就活を始めて、当初はアパレルでいくつもりだったんです。でも、ちょうどその頃に服の販売で挫折して、服は売るより買う方がいいなと、迷ってしまっていて…
そんななかで、たまたま合同説明会で面接を受けたのが、自分も買いに通っていた医療用品の販売会社だったんです。興味本位で面接を受けてみたら、とんとん拍子に決まって。
ただ、いざ来てくださいって話になったときに悩んでしまったんです。そんなとき、父から「不況のなかでお前のこと来てくれって言ってくれてるんだから、行ってみたらいいんじゃないか?」と背中を押されて、入社を決意しました。
その会社での仕事は主に接客だったのですが、お客様が必要で探しに来ているものをお手伝いするっていう、行為の壁がない感じが良かった。親身に相談を聞いて、提案するスタイルの接客をそこで初めて知って、それが自分にはすごく合っていたんです。人の役に立てている実感があって嬉しかった。
そのときの上司、先輩にもすごく助けられました。サラリーマンをしながら、並行して物作りは続けていて、休みの日には地元の革鞄の工房に出入りさせてもらっていました。
そこで初めて革漉き機とか、専門の機材を目にしたんです。それまではカッターなどでの手作業しか知らなかったから、専門の道具を使わせてもらうことで、作る物のクオリティが上がりましたね。

寺田:今なら皮革製品の専門学校に入れば専門の機材は見れますけれど、当時としては貴重な機会ですね。

角本:そうですね。貴重な機会だったと思います。
そこにいた方たちは僕がやっていることを面白がってくれて、色んな話も聞かせてくれました。バブルの頃、何をやっても売れる時代の話なんかは、すごく面白かったです。
サラリーマンとしての仕事も楽しかったんですけど、仕事を自分という一個人を知ってもらうツールと考えたとき、サラリーマンとしての仕事と物作りと、どっちがより知ってもらえるかな?って思うようになったんです。そう考えると、自分は断然、物作りだなって。
そのことを会社の先輩に相談したら、「それをするために将来役に立つような内容の仕事や作業を会社では与えるから。もっといろんな勉強をしてから会社を辞めた方がいいんじゃないか?」と言ってくださったんです。
その後、一年半くらい会社に勤めながら、夜や休みの日に物作りを続けました。

起業、そして独り立ち

角本:そこから、あるタイミングで幼馴染と脱サラして、自分たちでオリジナルの革製品を扱う会社を作りました。

寺田:最初から法人として起業したんですね。

角本:当時は、大手と仕事をしたかったら法人でないと相手をしてもらえない時代だったんです。

寺田:今ほど個人事業でやっていける時代ではなかったと。

角本:一円起業とかがやっと出てきた時代でしたね。登記して始めたのが、その頃でした。
何も知らない状態でスタートしたものだから、すごい高い授業料払って…なんてことが多かったです。
それから数年で資金が尽きて、会社をたたみました。その後は、革製品の販売員として色々な百貨店を中心に行商に行っていました。
最初は売れなかったのが徐々に売れるようになってきて、メディアで取り上げてもらうこともありました。会社のブランドが上り調子で、とにかく走り続けたのが20代後半の頃でした。当時はがむしゃらに良いものを販売していこうって一心で、店頭で頑張ってましたね。
ただ、あるとき僕はそこを抜けることになりまして。

寺田:20代後半は、物作りよりも販売に注力している時期だったんですね。

角本:会社を離れるときは何もない状態でした。違う業界を見たいというタイミングで、地元の先輩に相談をしに行ったんです。
その先輩は神戸でブランドをされていて、オリジナルを作りながら国内外のアイテムも扱う帽子のセレクトショップもやられていたんです。
「百貨店から声もかかってきていて、もしそういうことを手伝ってくれるんだったら雇うよ」とのお話を受けて、店舗で店長として販売をしたり、検品や出荷の作業をすることになって。東京のポップアップにも行きながら、一年半そこでお手伝いをさせてもらいました。
そんななか、レディスの販売をしていて心境の変化があったんです。販売することは好きだったし天職だと思っていたんですけど、レディスのアイテムをおすすめするのが緊張したり、コーディネイトが難しくて…
メンズをやりたい、そしてまた自分で物作りをやりたいという気持ちが強く芽生えてきてしまったんです。
わがまま言って雇ってもらったのにって気持ちはあったのですが、そのことを先輩に伝えたら「やったらいいじゃないか」って言ってくださって。
そこから、そのブランドからは外れたんですが、辞めてからも忙しいイベントのときにはお手伝いに行かせてもらっていました。今も良い関係を続けさせてもらっているんですよね。

角本:当時は接客っていう仕事が、自分に合っていたのかなって思ってましたね。
で、自分でやっても売れるだろうって安易な気持ちでブランドをはじめてしまったのが2012年のときでした。
でも蓋を開けてみたら、ベルトって本当にニッチなもので、やっぱり世の中甘くなかった。低空飛行の時期を味わって、会社やブランド力は大事だったんだなって痛感しました。

#7に続きます

※1 オールデン…アメリカのシューメーカー
※2 ブライドルレザー…馬具用の革。成牛の革にワックスを染み込ませて、防水性などを与えている


心温まるサポート、もしいただけたらイベントでご来場者に配布する印刷物の充実や、出展者に美味しいものを差し入れしたいと思います。