丸5年間、笑い続けてみたわたしのはなし

久しぶりに、note書きます。

マガジンのタイトルも、しれーっと「笑顔」の極意を探す旅に変更。

なんか、今の私には、こういうタイトルのほうがしっくりくるなーと思っての気まぐれ変更ですので、お許しください。


さて、今日は、タイトルにあるとおり、「丸5年間、笑い続けてみたわたし」について書いてみようと思います。

私は普段、笑顔ではたらくひとを増やすため、笑いをつかったコミュニケーション研修をはじめとした教育研修や、採用代行をしている企業の代表をしながら、キャリア相談を中心とした開運師としても活動しています。


普段の活動についてはそのうち詳しく書くとして、その活動とは別にほぼボランティアでやっていること、それがラフターヨガ(笑いヨガ)※のクラブ活動です。※笑う動作とヨガの呼吸を組み合わせた健康ワーク

2014年の12月に笑いはじめて2019年12月18日でで5周年となり、6年目へと突入しました。

ラフヨガ上野というクラブ名で、月1回、第3週の水曜日の夜の開催で、主に上野の区民館で笑っています。

詳しいクラブ紹介は以下のリンクをご覧ください。

https://laughteryoga.jp/newbie/club/detail.php?id=541


私がラフターヨガをはじめたのは、クラブをはじめる半年前で、人を元気にする様々な手段を体験する一環で友人から誘われての体験、でした。最初は笑うことに少し抵抗がありましたが、笑い続けてから感じる不思議な自分への変化、こころのふんわり感や、心地よい疲労感は今でも覚えています。


ただ、今日書きたいのは、ラフターヨガはいいよ、とか、笑いにきてねー、とかそういう話だけではなくて、丸5年続けてみて、見える景色について。

実は、ラフヨガ上野は私ともうおひとり、大宮のあおば整骨院の院長で鍼灸整体師のマツさんと一緒にクラブ運営を地道にコツコツとつづけました。

クラブ活動をつうじて、私たちがそれぞれ休んだのは1回だけ。それは体調不良だけだったと思いますし、お互いが休みをカバーして、開催自体には穴をあけずにつづけてきました。

クラブを10年以上運営されている先輩たちと比べると、まだまだではあるのですが、なんとか続けてこられたなかで見えてきたものがいくつかあります。

それは、

①続けること、それ自体に意味がある

②決して、がんばらない

③あつまったみんなでたのしいをつくる

ということかなと思います。


①続けること、それ自体に意味がある

続けたこと、を大きく分けると、

・ラフターヨガクラブの活動を軸に、日常でも笑いを大事にしたこと

・クラブそのもの自体を続けたこと

でした。

笑うこと、笑顔が日常にあること。それ自体の良さは、誰もが知っていることです。ただ、それを意識して実践することや、ラフターヨガでいうところの笑いの効果を実感するためにはあえて笑いつづけられる環境を作る必要があります。

クラブをつくってからは、自分は笑いを大事にする人間で笑える場をつくっている主催者なんだ、という意識で、日常の笑いや笑顔、ちょっとした雰囲気づくりなどは結構意識を配るようになった自分がいます。

それをつうじての変化は、私自身わりと低かった自己肯定感があがったようにも思いますし、講演など人前で話すときはのどから心臓が飛び出るくらい緊張していたのが、わりと自然体で話せるようになりました。どんな失敗をしても、自分のことを笑って許せる自分が芽生えたようにもおもいます。

そして何より、つづけてこれた、ということが大きな自身や誇りになってきていて、「わたしは笑い・笑顔を大事にしている人」と言っても、恥ずかしくない自分に出会えたようにおもいます。


とはいえ、「一緒に笑おうよ」といっても、宗教じゃない?と言われたりしますし、誰もいらっしゃらないときは、ひとりで笑ったりしていて、いったいこれは何のためにやっているんだろうと、自己嫌悪に陥ったこともありました。それでも、辞めなかった自分がいました。

何のためにつづけてきたのか。

それは究極的には、自分が笑いたかったから。自分にとって、笑いが、笑顔が必要で、理屈じゃなく、続けたいって思えたからだと思います。ここをある意味やりきれているからこそ、見えた景色なのかなと感じます。

否定されても、誰も認めてくれなくても、ある程度「自分のなかでやりきるまでつづける」というのは結構大事なのだとおもいます。


②決して、がんばらない

これは、特に大事なことだと思います。

続けることを、がんばってしまったり、いいところをみせようとおもったり、おもてなし感覚が強すぎたら、それって結局自分に無理がかえってきてしまうようにおもいます。

いつも笑いにきてくれている常連さんも、

「あつまったひとたちで笑えればいい」

というような気持ちを持つ方が不思議と集まってきたように思います。

もちろん、コミュニティとしてただひたすら同じことをつづけているとマンネリは起こってくるので、笑いをテーマにほかのことをするお楽しみ企画なんてものもいくつかしましたが、たとえばこないだ最後のお楽しみ企画ははとバスツアーで企画としてはラクをしたりしていました笑

でも、集まれば楽しいから、いいのですよね。


明確な目的意識をもって、美意識をもって、何かをやること。

それは完璧をもとめて素晴らしいことですが、こと何かを続けようとするときにはがんばることよりも、力を抜きながらたのしみながらつづけることにウェイトをおいたほうが、より自然体で大きな目的へと向かえることを実感しました。


③あつまったみんなでたのしいをつくる

ある意味、②の部分に繋がる話なのですが、自分がこれ楽しいかなぁと思って企画するものもあったのですが、意外とその場で思いついた即興の笑う動作だったり、そこにどんどん新しいアイデアを加えて膨らますことのほうが楽しくなっていく、場づくりになっているケースが多くありました。

あくまで主催は、テーマと場づくりをすれば、あとは来ている皆さんの様子だったり、希望だったりを取り入れて、そのときそのメンバーでないと作れない場をつくったほうが印象深くなるものだな、とおもいます。

だから、私は主催者として、本当に気持ちが楽でした笑

一応、準備はするのです。ただ、その準備通りに進んだ場って、数えてみると笑い始めたころぐらいで、あとはその場でつくったものが多かった。

場は生ものだなぁと思いますし、そしてこういったことを積み重ねていくと、日常生活の中でちょっとうまくいかないことがあっても、その状況すらスパイスに感じてしまって、予想通りにならないことにちょっとワクワクドキドキしてしまうような自分も生まれてきた気がします。

つくりすぎちゃいけない、みんなでつくる って結構深いことを気づけたようにおもいます。



色々書きましたが、クラブ運営をつうじて見えたことは、たとえばほかのコミュニティの運営や、何かを始めるときにも共通して使える概念なんじゃないかって気づきましたので、書いてみました。

私自身は、この秘訣を活かして、引き続き肩のチカラをいれず、いろんな活動を続けていければと思います。

そして、これを読んで、ちょっとでも笑ってみたいなー、と思った方は、ぜひご一報いただければ嬉しいです!

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