見出し画像

家族二世代 玉ねぎを育てながら町を想う

取材陣を明るく迎えてくれたのは、上松さんファミリー。
(左から、三代目の喜美子さん、和博さん、四代目の和美さん)
家族二世代で玉ねぎを育てていて、
たわいもない会話から、仲の良さが伝わってくる。
上松家にお嫁に来た晶子さんは
湧別のことをどう思っているんだろう?
代々この町で農業を営む暮らしについて、作業の休憩時間にお話を伺った。

ゴロンゴロンゴロン
静かな畑の脇で、
作業場から玉ねぎが次々とケージの中に入っていく。

玉ねぎの選別や葉取りの作業は、この機械で行われる。
次々とケージの中に入っていく選別された玉ねぎ。
それぞれの役割の場所で家族それぞれが作業中。

遠くから見つめていると
「こっちこっち!中入りなさい!!」
元気な声で、
晶子さんが作業場に呼んでくれた。

素早い動きで手を動かすご家族。

中では、
玉ねぎの選別や葉取りが行われていた。

左から右へと、どんどん流れてくる玉ねぎ。

機械から流れてくる玉ねぎを前に、
黙々と作業するご家族の表情は真剣そのもの。
取材する私も、身が引き締まる思いだった。

素早い動きだけれど、1個1個丁寧に。

しばらくすると、
機械が止まり、休憩時間に。

「さよちゃん!何飲む?ほれ、好きなの取りな!!」
「ぺいちゃんこっち座りなさい〜」
晶子さんとご家族は
とても優しい笑顔で小屋へと案内してくれた。

晶子さんは旭川出身。
元々は看護師の仕事をしていた。
旦那様で4代目の和美さんとは、ヘルパーの資格取得のため訪れていた旭川で知り合った。
小学6年生、中学生、高校生3人の母としても奮闘中だ。

現在は、上松農園3代目の和博さん、奥様の喜美子さんと一緒に4人で玉ねぎ作りに励んでいる。

「冬は2月くらいからハウスの中で苗を育て始める。
十何年前に雪でハウスが全部潰れたこともあったんですよ。」
と、話すのは和博さん。
厳しい冬も、一家で力を合わせて乗り越えてきた。

今は、町おこしイベントにも参加する晶子さん。
湧別町に最初に来たときは、どう思ったのだろうか?
そして、住んでみて気づく湧別の魅力とは、何だろう。

「最初は何もないと思いました。
だけどだからこそ、星が綺麗!っていうのが湧別町の好きなところかな。」

「湧別町を一言で表すと、やりたいことができる町。
何もないのが嫌だっていう人もいるかもしれないけど、
ないものは作ろうと思えば作れるよね。」

我が子と同年代の町の子どもたちには、
生活の中で自分の住む町を感じ、
町を楽しみ、そして可能性を広げてほしいというのが、晶子さんの願いだ。

「湧別町は、すべての一次産業が揃っていて、
他の地域の人からは羨ましがられる。
上湧別小学校は玉ねぎ農家さんに職場体験に来るから
玉ねぎの生産過程は全部見ているし、それって貴重な経験ですよね。
6次産業までいけたらいいな、とか
短期で高校生をアルバイトで雇えたらいいな、とか色々考えますね。」

この仕事の楽しいところを聞くと、
その場がワッと盛り上がる。
「他の仕事よりは時間の融通がきくよね。みんな、社長さんだから。
忙しいのが終わったら旅行を計画して行けるのも楽しみのひとつ。
仕事の後のご褒美ですよね。」
「農家さん同士のつながりも楽しいんです。
草取りしながら、
“うちの子たち頑張ってるんじゃない?“って
春先から育てた玉ねぎが大きくなっていくのを見るのが好き。
毎朝、自分の畑だけじゃなくて、よその畑も見て歩くのが、もう趣味だね!」

なんかいい、湧別町。
住んでみると、町の自然と人にどんどん愛着が湧いてくる。
そう感じさせるのは、
町を支える一次産業の裏側に、
上松さん一家のような温かさがあるからかもしれない。

“何もない“からこそ“何でもできる“に。
町内から、町外から、世代を越えて、
可能性はまだまだ広がっていきそうだ。

マガジン”湧”取材チーム
フォトグラファー たくま さよ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?