日本語教師として今できること
こんばんは。今、メキシコのグアダラハラは夜1時です。
今週はシンポジウムがあるため、明日からクラスは休みになる。
シンポジウムは、毎年3月にメキシコや中米カリブで働いている日本語の先生が集まって開かれている。コロナになる前は、メキシコシティへ行って参加していたが、去年に引き続き今年もオンラインでの参加となる。
今年のテーマは、
「自律学習」
である。
自律学習とはいったい何だろうか。
もしかしたら言葉だけを見ると、「自分で学習すること」だと思われるかもしれないが、実はそうではない。また、自分の学習を「一人で選び、決め、計画する」ことでもない。
自律学習とは、学習者が学びたいことを選び、決め、計画していくために、他人の援助を借りたり、周りの物を利用したりする学習のことを言う。
恥ずかしながら、僕も今日こういう意味だったということを知った(笑)
そして、これがテーマのシンポジウムが明日から始まるわけだが、事前課題としていくつかの質問に答えることになっていた。
一番最初の質問は、
「あなたが自律学習に期待するものは何ですか」
だった。
僕は学生によってその答えは違ってくると感じている。
日本語を勉強していく中で、自分が何を勉強すれば上達していくのかや何に興味があるのかをよく熟知している学生なら、答えは簡単だ。彼らが何に興味を持っているかを聞き、それについて彼らが知らない情報を提供すれば、あとは勝手に勉強していく。
先週、同僚の話をしたが、彼はそういう学生だった。自分が何に興味があるかがよく分かっているので、どんどん上達していって、4年くらいで先生として働けるレベルまでになった。
問題はそうではない学生。
自分が何をすれば日本語が上手になっていくのかや何に興味があるかがよく分からないままクラスを受けている学生が、どう自律学習を進めてもらうかは考えなければならない。
そのために僕が勤めている学校では、普段のクラス以外に自律学習を促す課題がある。1週間に1回、自分で勉強ができるようにいろいろな課題を用意している。テーマは多岐に渡る。文法、聴解、言葉の使い方、漢字、読解作文などできるだけ幅広く、答えが一つではないようなものを用意している。
しかし、どうしてもクラスの延長線上だなと感じてしまうことが多い。
全ての学生が何を望んでいるかが分かればいいのだが、聖徳太子みたいにいろんな人の声を一遍に聞ければいいのだが、残念ながら僕の耳は2つしかない(笑)
そんなことを考えながら、その質問を眺めていて、はっと思ったことがある。
「そうだ!僕は会話セッションをやっていたんだ!」
以前の投稿でも書いたが、僕は毎週学生ができるだけ生の日本語に触れられるように会話セッションという活動を運営している。
やはり日本語を勉強していて、日本人の方とコミュニケーションがとれるようになりたいと考えている学生は後を絶たない。それが一つ多くの自分が何をしたらいいか分からない学生が潜在的に求めていることではないのだろうか。事実、僕が運営しているこの活動を通して、日本語が上手くなったと感じる学生を何人も見てきたし、彼らも参加していただいている日本人の方と友達になり、SNS上でやり取りしているのを見かけるようになった。
つまり、会話セッションも自律学習と言えるのではないだろうか。
そこまで考えて僕が出した答えは、
「自律学習に期待することは、学生のニーズとマッチしているかです。学生が潜在的に何を望んでいるのかをよく観察すること。ただし、クラス外で代替可能ではないこと。」
こう書いた。
日本語教師の仕事は本当に多岐に渡る。特に、僕の場合は海外で教えているので、彼らの母国語でクラスをすることもあるし、今日の投稿で書いたようなクラス外でいかに自律学習を促していくかということも今後ますます求められるようになってくると思う。
言葉の使い方や文法の説明は、正直、今クラスに来なくても、インターネットで無料で勉強できるようになってきている。だとすると、学生が何を求めているのかが分かるようにならないと、この先日本語教師を続けるのは難しくなるかもしれない。
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