高校教員が転職を決断するまで
こんにちは!
教員から大学職員への転職活動をしている海仁です!
今回は、転職を決断するに至った過程を詳しく紹介していきます!
教えることにやりがいを感じて教員になった
昔から理系教科が好きで、高校時代に友だちに勉強を教えたことがきっかけで教員を目指すことにしました。
教え方には自信があり、大学時代にアルバイトした塾や家庭教師でも評判だったんですよ(笑)
教える仕事は好きだし、正直続けたいって思ってます。
教えるということが大好きで、天職だと思って仕事を精一杯こなしてきました。
そんな私が、転職を決断した理由について、お話していきます。
少しでも参考になればと思います。
授業以外の業務が多すぎる
基本的に教師の仕事は、終わりがありません。
生徒の成長を考えたら、エンドレスに仕事ができちゃいます(笑)
私もそうでした。
でも、時間は無限ではないです。
更に、結婚もして妻との時間も大切にしたかったです。
うちの生徒の下校時間は15時20分です。
定時は16時55分。
高校なので部活動がありますよね。
部活動は18時30分までやります。もう定時超えてますよね。
そこから自分の仕事にとりかかりますが、30分くらいで終わるわけがありません。
翌日の授業準備など合わせたら2時間はかかります。
こんな残業100%の日々で、退勤できるのは20時過ぎ。
土日も部活出勤
高校には部活があります。
運動部経験者の私には当然のように運動部が割り当てられました。
しかも、経験したことのないマイナー部活。
マイナー部活のため、練習試合は基本的に県外へ。
必然と土日は1日潰れます。
大会も必ず宿泊。
未経験の私に代わって指導する外部指導者は、教員の立場を考えずに勝手なことをする。
学校は、そんな外部コーチと何とか仲良くやれと味方になってくれない。
妻との時間を過ごせない日々
それでも教員を続けた理由は
教えることにやりがいを感じていた
給料が良かった
高校教員ってカッコよくない?なんて思ってた(笑)
こんな理由で5年も続けてしまいました。
土日の朝の妻の寂しそうな顔は忘れられません。。。
体調不良と帯状疱疹
ある時、急に耳の上あたりに鋭い痛みが走るようになりました。
耐え難い痛みでした。
ネットで調べると「後頭神経痛」という名前が出てきました。
しかし、痛みが出た日はちょうど大会引率日。
痛みに耐えながら4時起床の5時出発。
帰ってきてからは倒れるように眠りました。
次の日になると、右半身に帯状疱疹が出ていました。
さすがに学校にお休みをもらい病院に行きました。
お医者さんには、ストレスが原因だと言われました。
発熱も重なり1週間学校を休みました。
始めて、ゆっくりできた気がしました。
献身的に看病してくれた妻には感謝しかありません。
そして気がつきました。
今まで身を粉にして働いてきた職場である学校は、私が苦しんでいるのに何もしてくれない。
当たり前のことですが、自分自身の人生を捧げる意味が分からなくなりました。
2023年11月転職活動開始!
そして2023年11月に転職活動をスタートさせました!
何気なくXを見ていたときに流れてきたツイート。
大学職員についてのツイートでした。
直感的にコレだ!と思いました。
来年度の1年間だけは教員として働くつもりです。
しかし、再来年度からは大学職員として働けるように頑張っています。
大学職員が必ずしもホワイトとは限りません。
しかし、現状よりはマシになることは確かだと思っています。
年齢的にも国立大学職員の試験を受けられるのは1回だけ。
この1年間を大切に、日々過ごしていきます。
まとめ
教師からの転職活動は、早ければ早いほうが選択肢は広い。
教師からの転職活動は何歳でも問題なし
「教師から転職したいな」と思ったらまず動いてみることがおすすめ
ここまでお読みいただきありがとうございました。
私のnoteでは、国立大学法人等職員採用試験に向けての歩みを記録として残しています。
国立大学職員への転職等をお考えの人は是非読んでみてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?