一日一名言 No.31 [9月2日(月) 2019年/令和元年]

金を失っても、何も失わない。誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う。(ユダヤの教え)

久しぶりに"言葉通り"っている名言な気がするのは気のせいだろうか。

まぁぶっちゃけ、お金を失えば失うものはあるけどさ。笑

けど、それはきっと、お金を得れば取り戻せるものだ。つまりは、結局そのレベルのものだってこと。

誇りをなくせば、多くを失う。

これは、今までの考え方や価値観を失うことと同義だろうからね。そりゃ多くを失う。

今の俺は、ここだけは捨てないようにしている。

いや、正しくは、「誇りや価値観の取捨選択をしている」ってところか。

この一年は正直、今までの"こだわり"をすべて継続するのは難しくなっている。

どこかで自分のこだわりを捨てないと進めない状況になっている。

それはまぁ、ここまでの俺のツケ、それこそ、「後回しにしていたこと」が今大きくなってぶつかってきた、小さな穴が船を沈めている状況なわけなんだけれど、、
とにかくそれは置いておいて、そんな状況だから、今は「誇りかただの意地か」をはっきりさせている。

「価値観や誇り、そして意地の断捨離」と言い換えてもいいかもしれない。

「自分に本当に必要な誇りや価値観はどれなのだろうか」「ただの意地だったものはどれだろうか」ってね。

誇りと意地の使い分けは、俺の中で勝手にしていることだから他の人とは使い方や考え方が違うかもしれないけれど、、

俺の中での「誇り」は絶対に曲げては"いけない"もの、自分のやりたいこと、生き方の根本、芯、核になる部分の一つだ。

対して「意地」は、言うなればただの「こだわり」。自分のやりたいことに"本当に"必要というわけではないもの、"好き嫌い"にも近いかもしれない。

とにかく、「誇り」は絶対に失ってはいけない部分、「意地」は極論捨てたって構わない部分だね。

人によっては俺が「誇り」と思うことさえ、「意地」だと感じる人もいるだろうし、まぁ実際、「誇り」なんてものはそうそう他人に理解されるものではないと思っている。

大事なのは、自分の中で抱え続けることだからね。

それでいいと俺は思う。

そして、「勇気」。

これはどんな人間にも絶対に必要なものだろう。

今までにしたことがない選択をするとき、人は必ず勇気を持つ必要がある。

未知の世界には、どんなに小さかろうと恐怖が付いてまわる。

それを打ち倒し、振り切るためには「勇気」が必要だからね。

だから、勇気を失ってしまえば、それは「新たな選択をしない」ということになる。

新たな選択をしないということは、挑戦をしないということになり、つまりは、現状維持。

昨日か一昨日か、その前かに、「現状維持は相対的な衰退」だって書いたからね。

それに合わせれば、現状維持はいずれすべてを失うことにつながると言えるだろう。

まぁ、挑戦しないということは成長しないということで、それはそれ以上何も得ないということでもあるからね。

何れにしても、人間として良いと思われることはないだろう。

少なくとも、俺はそう思うね。

現状維持ほどつまらないことはないし、それはいずれ"停滞"となり、"衰退"につながるはずだ。

だから、「新たな選択」「新たな挑戦」というのは、どんなときも必要だ。

別に難しいことをやる必要はない。

ただ、やったことがないことをすればいいだけ。

作ったことのない料理を作るだっていいだろうし、普段とは違う帰り道を選ぶだっていい。

その"新しさ"が刺激となって、きっと成長を促し、何か得るものがあるはずだからね。

ま、ここまで書いたことは俺自身への戒めかもしれないな。

ここ最近は、「誇り」以外は失いがちだったからね。

そして、「誇り」を失わないようにすることでいっぱいいっぱいだった。

どんなときも心に余裕を。焦らず急げ。切羽詰まったときほど、青空を向いて深呼吸。

まったく、こんなにも良い言葉が敷かれているのにも、ここ最近は気付かなかったとはね。

やっぱこのnoteも、日記同様継続して毎日書くべきだね。

これ書いているの、9月6日だからさ。笑

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