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生き抜くための模様

6月初めのある日、日の出前から道東の森を1人歩いていた。不気味なほどに音の無い朝の森。聴こえるのは私の足音と吐息のみ。どんなに耳を澄ましても風の音さえしないこの時期では考えられないほど静寂な世界。そんな森を歩きながら、必ずある自然に残された違和感を探す。

3kmほど歩いた頃だろうか。大きな音はしないけれど変に視線を感じる。この視線は誰だろうか。じっと息を殺し、意識を周囲に張り巡らせる。1分ほど経った頃、ほんの少しだけフッ…フッ…という音がした。音は足下の近く。私の腰まである草で姿は確認できないが何かがいる。
ここまでどこにいるのか全くわからないほど気配を消し、この息遣い。まさかヒグマではないだろうか…。音は出さずとも抑えていた殺気を全面に出し、ゆっくり身構えながら音の鳴る方を確認できる場所までゆっくりと回り込む。一歩…一歩…。まだ見えない。でもそこにいるのはたしか。あと一歩…。足をゆっくりと下ろし、草につま先が触れるその瞬間、何かが飛び出た。
黒…くはない。むしろ白っぽい。瞬時に脳内でヒグマではないという事実を認識でき、緊張が一気に解けた。ヒグマではないのはいいが、では一体誰なのか。

答えはすぐに気がついた。この時期に白っぽくて身を潜めているのはエゾシカのメスしかいない。しかも換毛がまだ終わっていない大きなメス。普通は夏毛になってなければいけない時期なのにだ。換毛ができなかった理由がある。そこに体力や栄養を使えない理由が。

絶対に子どもを産んだ。

そう確信できた。この時期はシカの出産ラッシュ。北海道では至る所でメスジカが子どもを産み落としている。このシカもきっと出産し、まだそんなに時間が経っていないのだろう。
シカの足下を見る。それらしきものはいない。周囲を見渡してもいない。でも、メスはかなり気にしてこちらを見つめたままその場から離れない。普段なら必ず全速力で逃げるはず。逃げられない何かはこの草の中か。

メスジカと対峙して1分ほど経っただろうか。お互い張り詰めた空気の中、指一本さえ動かせずカメラがいつ構えられるか、それだけを考えていた。どうやってもこのままだと子どももろとも逃げられる。私の中の万策は尽きかけていた。ふいにメスジカが顔を横に向け、一瞬視線をずらした。そのまま私も目線を左に向けると、シカのそばに側溝のように窪んだ道があることに気がついた。このシカはそこを気にしている。もしかして子どもが側溝に落ちて動けないのかもしれない。一抹の不安が頭をよぎる。それと同時に焦りが出た。

ザッ。

左をよく見ようと体を捻ってしまい、肩に掛けていたカメラが横の木の枝に触れ、音が出てしまった。しまったと思うと同時に視界に入るのは飛んで走るメスジカ。やってしまった。完全に私の負け。あっけなく逃げられた。きっと子どもも一緒に……いない。そんなはずはない。飛んで逃げるシルエットでわかる。やけにほっそりとしたお腹。絶対産まれている。ではやはりあそこの窪みに……。
ゆっくりと、これ以上メスジカを刺激しないよう移動する。横にあと三歩歩けば窪みのラインが確認できる。お願いだからどうか無事でいてくれ……。

草陰に隠れ擬態している子ジカ

窪みに足を踏み入れると、そこに見えたのは生まれて数時間、やっと毛が乾いたエゾシカの子ども。そう、怪我をして立てないのではなく、まだうまく立てないので逃げられなかったのだ。
エゾシカは生後一週間はこんな状態で草陰に隠れてお母さんの帰りを待つ。母親は日に数度、子どものそばに来てはお乳を与え、また離れる。そのうち足腰に力が入るようになったエゾシカの子どもは、歩いて母親にくっついて群れへと帰るのだ。
とにかく怪我ではなかったことに安堵しながらメスジカを見た。絶対に警戒しているはずと思ったのだが、草を喰み、気にしていない。子どもがバレたらもういいのか。それとも先程までの空気の読み合いでこちらが子どもを襲う敵ではないことを悟ったのだろうか。このメスジカの心は読めない。

大きく美しい瞳はまだ見えていないのか、ほんのりと青味がかっていた

ともあれ私がここに長居するわけにはいかない。私の匂いを辿ってこの子どもが襲われるかもしれないし、何よりヒトという生き物が安全だと子どもが認識しては大変なことになる。
毎回私は幼い子どもの撮影では自分で制限時間を決め、その時間内で近寄らず撮影し、足早に立ち去ることをマイルールとして行なっている。今回は制限3分。さてここからどうするか。
まずはいつも行なっている撮影せず静かに観察することにした。地面にあぐらをかいてしゃがみ込み、何もしていないようなそぶりを見せながら、横目でほんの少しだけチラ見する。子どもはじっと動かない。多分まだ目がよく見えていないのだろう。それにしてもなんと美しい鹿子模様だろうか。曇っているため本来の性能を発揮できていないが、鹿子模様はこう言った草の中に座り込んで際、葉の木漏れ日に同化し敵に見つからないための模様だ。
森に暮らし、草木と生きるエゾシカにとって一番の擬態なのだろう。子供は特に白斑が多く、星屑を背中に乗せているようだ。このままじっとしていれば、いつかはメスジカがやってきて、この子にお乳を飲ませる瞬間が見れるだろう。わかっているが、絶対にエゾシカからすると私は恐怖の対象。いつかそんな瞬間をこの距離で見られることを願いながら、最後に帰りの斜面を使い、上から撮影させてもらった。

上から見たエゾシカの子ども。背中の模様が星屑を乗せているかのようだ。

歩いてその場を後にする。数分歩き、先程の場所を見ると、きちんとメスジカが子のところに戻っていた。このままいつまでも幸せな時間が続きますように。

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