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マックス・ファクターのハリウッド

ハリウッドには、「ハリウッド・ミュージアム」というマイナーな博物館がある。ハリウッド大通りとハイランド・アベニューという絶好のロケーションにありながら、週末でも訪れる観光客は多くない。アメリカの古いアパートやホテルに良くある、かび臭いカーペットの匂いが漂っている4階建ての建物には、所狭しと11,000点にも及ぶ映画関連の陳列が行われている、映画好きにはちょっと気になる場所だ。

Hollywood Museum (筆者撮影)

この建物がいつから立っているのかは知らないが、1928年にマックス・ファクターによって購入されたというから100年ほどは経過しているらしい。その直後に大恐慌が起ったことでしばらくは放置されていたが、1935年にファクターのメーキャップスタジオとしてオープンした。そこから、この建物も「マックス・ファクター・ビルディング」と呼ばれている。

マックス・ファクターは、1909年に設立された化粧品メーカーで、正式名称はMax Factor & Company。設立者は、もともとはボリショイ・バレエのビューティ・アドバイザーだったポーランド系ユダヤ人のカツラ職人、マクシミリアン・ファクトロヴィッチだ。1904年にアメリカに移住した際に、名前をマックス・ファクターに改名し、ハリウッドの躍動と共に劇場用のカツラ作りのビジネスが大きく発展していった。

映画撮影の問題は、劇場よりもナチュラルなメーキャップが求められており、当時の劇場俳優の主流だった”スティック・グリースペイント”(Stick Greasepaint)は薄く塗ることができなかった。これを聞きつけたマックスは化粧品開発の実験を開始し、1914年には”フレキシブル・グリースペイント”(Flexible Greasepaint)の開発に成功する。さらに、1918年には、異なるグラデーションのパウダーを用意して、個人の肌に合わせて調整する”カラーハーモニー”(Color Harmony)というシステム化を生み出した。

マックス・ファクター自身が使っていたという化粧箱 (筆者撮影)

これが、ハリウッド映画界で受け入れられて、メーベル・ノーマンドグロリア・スワンソンメリー・ピックフォードクララ・ボウジーン・ハーロウクローデット・コルベールベティ・デイヴィスといった、ハリウッド黄金期の名だたるスターたちに愛用されることになった。当初、マックス自身が俳優たちのメーキャップを行っていたという。彼女たちは、オフの時にもマックス・ファクター・ビルディングの一階部分にあったビューティサロンに足しげく通っていたほどだったというから、マックス・ファクターがいかに一代にして、現代の”美の基準”を作り上げていったのかがわかる。

リップブラシやリップグロスもマックス・ファクターの発明とのこと

マックスが移民したばかりの1904年に、カリフォルニアに向かう途中で生まれた次男で、後に”マックス・ファクター・ジュニア”とも呼ばれたフランシス・ファクター(フランク)は、すでに10代から父親の手伝いをしており、1920年から「化粧をすること」を「make-up」と呼び始め、これが”メーキャップ”という世界中で使われるスタンダードな用語になった。

1935年、「虚栄の市」でカラー映画技術である”テクニカラー”が、長編映画として初めて採用されるが、多くの女優たちはカラー化により自分たちのメーキャップが異様に見えることで、カラー映画に出演するのを渋っていた。当時、交通事故で療養中だった父に代わって、フランクが「パンケーキ」呼ばれる、水を含ませたスポンジなどを用いて使用するプレス型ファンデーションを開発。ジョアン・ベネット主演のミュージカルコメディ「ファッション・タイム」から採用されるようになった。この年、父マックス・ファクターが死去。

「アイ・ラブ・ルーシー」ではダミ声のコメディ女優といったところのルシル・ボールだが、このパンケーキ・メーキャップの広告では凄い美女 (Hollywood Museum所蔵: 筆者撮影)

化粧品企業としてのマックス・ファクターは、1970年代には一族が次々と経営から離れていき、1986年にはレブロンの子会社化、さらに1991年にはレブロンからP&Gに売却される。(さらに、2015年にはコティが買収し、2018年にブランド名が復活している。)
マックス・ファクター・ビルディングは、1994年に手放されて、改修の末に2003年からハリウッド・ミュージアムとして一般公開された。一階部分は、レトロなビューティサロンの面影を残した展示場で、昔ながらの雰囲気が伝わってくる。
奇妙だが、その地下一階には”ダンジョン”(地下牢)が建設されて、映画のロケに使われたり、「13日の金曜日」や「羊たちの沈黙」などホラー映画の展示物もあった。地下に行くことを忘れて出ていってしまうお客さんも多いので、もし機会があれば忘れずに!

ハリウッド・ミュージアムの地下に広がるダンジョン。筆者だけしかいなかったので怖かった
マリリン・モンローの死亡鑑定書もあった。凄い (筆者撮影)


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