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【自己紹介】小林海斗ってどんな人?

こんにちは。小林海斗です。

まずは、この記事を目にしていただき、ありがとうございます。

今回の記事では、僕自身がどんな人で、何をしている人なのか、どのような過去を経験し、今に至るのかについてお話しします。

この記事が役に立ちそうな人

・人生に迷いのある方
・フリーランスの方、もしくはなりたい方
・僕自身が何者なのか興味がある好奇心旺盛の方

などの方は、ぜひ最後まで読んでください。

今回の記事を通して、過去から現在までの小林海斗を知っていただき、僕の考え方や想いが伝わることで、何かしらのきっかけを与えたい!

そんな思いで話します。

それでは、本題に入りますね。


■自己紹介

自分



初めまして、愛知県在住の小林海斗(こばやしかいと)です。
海のような広い「心」を持ち、北「斗」七星のように輝いてほしいという親の願いから「海斗」という名を与えられました。
この素敵な願いを叶えられている人間になっているかは分かりませんが…
なっていることにしましょう(笑)
そして、この名前は気に入っています。

お父さん、お母さん、ありがとう。

話を戻しますが、僕は早生まれの24歳です。末っ子、甘えん坊のB型です。
愛知県の田舎出身で、名古屋の高校・大学に通い、今は名古屋で暮らしています。
趣味は筋トレ、旅行、サッカー、フットサル、コーヒー、焼肉、寿司です。
至って、普通の人ですが、人より良く食べる方です。(笑)

筋トレ一緒にしたい方、美味しいものを知っている方は、ぜひ誘ってください!(笑)

■今現在の仕事

営業1


現在は、営業コンサルタントとして、「商談での提案の仕方で困っている/アポイントは取れるけど、成約に至らない/成約率で悩んでいる」フリーランス・個人事業主などといった個人の方への営業支援をしています。

ご支援しているお客様の実績としては

・新規顧客数全国2位
・新規顧客数東海1位
・契約数自己ベスト更新
・成約率大幅up

などです。
結果を出して喜ぶ、お客様の満面の笑みを見ることが、僕にとってなんとも幸せな瞬間ですね!
本当に嬉しいです。

■小林海斗の過去

これまでの過去1

■学生時代


現在の仕事をお伝えすると、どうせ高学歴で頭も良かったんでしょ?と思われがちですが、全くそうではありません。

正直に話しますが…つい最近まで、学歴コンプレックスだった人間です。

学生時代、小学生からずっとサッカーしかしてこなかったので、高校はとんでもなく頭の良い学校に行ったとかではなく、普通の公立高校に進学しました。
※サッカーが強い公立高校という軸で高校を選んで入学しました。(笑)

高校では、始発の電車に乗り、朝練。昼ご飯は2時間目と3時間目の間に食べ、他の生徒が昼ご飯を食べる時間は昼練。
授業後も夜遅くまで練習。土日は練習&試合。というサッカー漬けの毎日でした。
どんなに朝早くても高校3年間、1日もサボることなく、お母さんがお弁当を作ってくれたことに感謝でしかありません。
本当に尊敬するお母さんです。

そんなサッカー漬けの毎日は高校3年の秋に終わりを告げました。

引退後は猛勉強。模試では大体受かるであろうB判定を取っていました。
しかし、大学入試本番は、大ゴケ。受かるであろうと思っていた国公立の大学入試に失敗し、私立大学の滑り止め2校も見事に落ちました。(笑)

そして、大学入学1カ月前の3月に行きたくもなかった、Fラン大学の合格をいただきました。

今では、笑って話すことができますが、合否発表をインターネットで見た瞬間、泣き崩れたのを今でも覚えています。
あの時は、本当に「人生終わった。」と思うぐらい、落ち込みました。

当時、僕よりも勉強していなかったサッカー部員は有名な大学に合格していたので、「サッカーの遠征中のバス移動も勉強していた海斗が…」という感じで、大学のことについて、僕には聞いてはいけない雰囲気が出ていましたね。(笑)

今思えば、結果が出なかったのは、ただの努力不足です。

大学では、外国語学部に進学したのですが、必須科目の英語の授業は本当にびっくりしました(笑)
難易度の高い英語を勉強できるのが大学だと思っていたのに、まさかの「Be動詞」からの授業でした。
またこの瞬間でも「おれ、大丈夫かな?」と痛感したのを今でも覚えています。

そんな時、僕が変わるきっかけになった恩師との出会いが訪れます。

その教授は、元ヤンで、遊ぶことに飽きてしまい、勉強に走った結果、京都大学大学院を卒業し、先生になった人です。
アメリカの某有名大学の講師を勤めるなど言語学の中では有名な教授でした。

そんな教授から、僕の過去を話した時、ド直球で言われましたので、今でも忘れません。

「お前、悔しいんだろ?見返したいんだろ?だったら、バイトとかせずに勉強しろ。学んで得た知識は誰からも奪われないから。」

それから、火がついた僕は大学の制度を使って公費交換留学(アメリカ)に行くために、好きで始めたスタバのバイトをすぐに辞め、毎週火曜日の昼休憩は、その教授の研究室で英語の勉強、通学時間はリスニング、家では問題集という生活を送りました。

留学に志望する他の人は、帰国子女、留学経験者が多かったのですが、無事、7人の中の1人に選ばれることができ、極寒の地、アラスカ州にあるアラスカ大学で約1年間過ごしました。
※晴れていれば、毎日オーロラを見ることができましたが、‐40°の世界はとんでもなく寒かったです。(笑)

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自分を変える恩師との出会い、そして努力が実を結んだアラスカ留学が大きな財産となった大学生活でした。

■新卒1年目(医療機器メーカー)

医療機器時代


卒業後は、東京に本社がある医療機器メーカーの営業として名古屋支店に就職。

母親が医療関係、留学で経験した日本医療の素晴らしさ、海外支店があるという理由で前職の会社に入社しました。

そんな中、とある出来事が起きます。

僕のOJTである40歳の課長宛てに会社へ1本の電話。
それは、保育園からの電話でした。
「娘さんが熱を出しているので、迎えに来てください。」と。
結論から言うと、奥様も仕事をしていたので、誰も苦しんでいる娘さんを迎えに行くことが出来ませんでした。

その時に思ったのです。
「働くことは家族のためだと世間では言われているけど、これって本当に家族のためなのだろうか?」と。

この出来事が起きてから「働く」ことに関して真剣に考えました。
その結果、独立する方法以外で自分の理想を叶えることは不可能だという結論に至り、独立することを決めました。

もう1つの出来事は、先ほどの話で登場したOJTとのことです。
勤務初日にOJTの上司から理不尽なことを言われ、ムッとしていた時です。
※ムッとするなんて、まだ子供ですよね(笑)

その上司から言われた言葉が、「そんな態度なら帰っていいよ。今、小林君がいなくても会社には関係ないから。会社は回るから。」

ムカついたものの、売上の1円も貢献していないので何も言えなかったのです。
と同時に、絶対にトップセールスになって、辞めてやろう!
そう決めた瞬間でもありました。

その会社は、1年目の新入社員は社用車を使うことができず、電車・バス・徒歩での交通手段しか許されていませんでした。
暑い日も寒い日も、僕は毎日毎日歩き回りました。

仕事内容は、クリニックや病院への飛び込み営業だったので、とにかく歩き回っていましたね(笑)
訪問先から次の訪問先まで1時間歩くことは珍しくなかったです。

誰よりも多くの訪問、誰よりも多くの契約件数!を掲げて、毎日奮闘した結果、1年目でトップセールスになることができ、約1年弱で、医療機器メーカーを退社しました。
※今では、僕に火をつけてくれたOJTの上司には感謝です。

■フリーランス時代

訪問販売


退社後から今現在までの2年間ほどフリーランスを経験しています。

独立後、戸建て光通信訪問販売の営業代行から始めました。
訪問販売を選んだ理由は3つでした。

・より多くのお客様と会うことができる
・右に向いている人を左に向かせる力を圧倒的に磨くことができる
・訪問販売という悪いイメージを変えたい

この3つの理由で訪問販売を始めました。

初めてインターホンを押したときのことは今でも鮮明に覚えています。

扉を半開きにしたまま僕のほうを見ているお客様。
僕は緊張のあまり、頭が真っ白になってしまい、扉を半開きにしているお客様に対して、手招くジェスチャーをしながら、
「出てきてください!」
この一言しか発することができませんでした(笑)
もちろん、怖いと思ったお客様は、何も言わず、家の中に戻っていきました。
あの時に、怖い思いをさせてしまったお客様、申し訳ありません!

そんなところから始まった僕ですが、稼働場所までの往復の約3時間は自分のボイレコを聞き続け、言葉・間・話し方・語尾などを分析&練習、家に帰ってきたら、今日の振り返りを毎日繰り返すといった感じで、寝る以外の時間のほとんどを営業につぎ込んでいました。
色んなことが積み重なり、おかげさまで、1ヶ月目で歴代トップになることができました。

営業成績が割と早くに出たほうだとは思いますが、商材をもらっていた会社とのお金のトラブルで計数百万円、損してしまうこともありました。(笑)
※お金の勉強は本当に大切なので、搾取されないように勉強することが大切です。

その後、プレイングマネージャーとして組織を抱えながら動いていましたが、個人でストック収入をほとんど作っていなかったので、足が止まったら終わりだという状況で、稼働後も組織のMTGや作業などのもろもろで朝から夜中まで仕事していました。

結果として、足営業の限界を知り、営業代行の会社を立てることを辞め、今現在の営業コンサルティングにシフトしました。

■なぜ、営業に携わる仕事をしているのか?

営業コンサル


大きな理由は2つあります。
1つ目は、正しく、売れる営業を学ぶ場所がないからです。

今の時代、インターネットや本で「営業」に関する情報は手に入れられます。
ただ、小手先のテクニック系の情報が多すぎて、どの情報が売れるための正しい営業知識なのか、分からないことが多い

また、本やインターネットだけでなく、会社でも同じことが起きています。
実際に、僕が勤めていた会社からの教えは、「とりあえず行ってこい!」の一言。

これは、僕の会社だけではないのかと思い、様々な分野の会社の営業職の方に「どう教えられていますか?」と約100人にはアンケートを取りました。

その方たちのほとんどの答えを一言で要約できます。
いわゆる、営業の3Kです。

3K…「気合・根性・カン」

やはり、多くの人が営業に対して、上手くいくための方法が分からず毎日過ごしているんだなと痛感しました。

だとしたら、なおさらフリーランス・個人事業主の方は、営業の経験が少ないため、より困っているだろうと確信したと同時に、「そんな人を救いたい!」そう思ったのが営業コンサルティングを始めるきっかけになりました!

もう1つの理由は、売れなければスキルという価値は0になってしまうからです。

どういうことかというと、よく動画編集・Webデザイン・イラスト制作・プログラミング・hp制作などあらゆるスキルが世の中にはありますよね。
スクールで学んだり、本を買ったりしてスキルを高めていくと思います。

ただ、どれだけ高いスキルがあっても【提案】という営業の基礎ができていなければ、仕事を獲得することができないということです。
もし仮に、仕事を獲得できたとしても、案件単価が低くなってしまうケースは少なくはないです。

皆さんが持っている素晴らしいスキルは仕事を獲得して初めて発揮できるステージに立つことができます。
素晴らしいスキルを持っているのにもかかわらず、価値が発揮できないことは本当に勿体ないことです。

「宝の持ち腐れ」になって欲しくはありません!

この2つの理由から営業に携わって仕事がしたいのです!

■ここまで

これまで、僕の営業に対しての想い、皆様への想いを伝えてきました。

「1人でも多くの人が営業での悩みを解決し、営業で人生を好転させてほしい」という僕の想いは皆さんに伝わったでしょうか。

これからも、このような想いで変わらず営業コンサルティングの仕事を続けていきます。

自分のスキルを発揮したいのであれば、ぜひ、営業スキルを身につけてくださいね!

営業のヒントは、これからどんどんInstagramやTwitterなどのSNSを通じて、【提案の仕方で困っている/アポイントは取れるけど、成約に至らない/成約率で悩んでいる】フリーランス・個人事業主などの個人の方のために僕自身の知恵を提供していくので、ぜひフォローして更新を楽しみに待っていてくださいね!

ぜひ、名古屋以外の地域の方とも、素敵な人生を歩む仲間として繋がることができたら僕はものごく嬉しいです。

■最後に


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回、紹介したように僕は学歴コンプレックスで自分に自信を失っていた、ただの凡人です

人は、必ず変われます。

僕ができることは、自分自身があらゆる経験を経て、皆さんに役立つことを伝えること以外はありません。
僕のやるべきことは、僕の最善を尽くし、目の前で悩んでいる人をお助けする、いわば救助活動だと思っています。

困っていれば助け合い、支え合う、それが、「人」という生き物です。
誰も1人では生きてはいけません。力を貸し合う、それが素敵だと僕は思います。

ぜひ、お話する機会があったら、気軽にお茶でもしましょう。

DMやコメントなどで声をかけていただけたら嬉しいです。

それでは、SNSなどのオフライン、またオンラインでも交流できることを楽しみにしています。

Instagram、Twitterでは、フリーランス・個人事業主の方のための営業術、目標達成について発信しているのでぜひ、フォローお願い致します!
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これからもよろしくお願い致します。


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