見出し画像

# 論理的でない人間は存在するか

何も考えずに生きている人、というのは基本的に存在しないと思っていいのだろう。どんな人だって何かを考えていて、その人なりの価値観の中で意思決定をし、アウトプットして生きている。

だから誰しもその人なりの論理構築の中で生きているという意味で、論理的でない人間など存在するはずがない、というのが今週の気づきである。

自分を取り巻く人間関係の中で、”この人なんでこういった行動をとるんだろう?”と疑問に思うことは少なくない。集団行動でもそうだし、恋人との一対一の人間関係の中でもしょっちゅうこの疑問は僕の中に浮かび上がる。

自分が理解できない、あるいは想像できなかった行動に対して、”この人論理的じゃないな”と思っていた部分が多分にあったが、それは論理的でない、という言葉とはやや異なる。

いざその人の話を聞いてみると、その人なりの理由があってその行動に至ったわけであり、そこにはその人なりの考えがしっかり存在している(場合が多いと僕は考える)。確かに自分の価値観と行動の論理構造に当てはめれば、他者の行動なんて当てはまる割合の方が少ないのかもしれない。だって世の中には大勢の人が、その人なりの考えを持って生きているわけであり、自分と考えを完全に共有できる人間なんて存在しないだろうから。

強いて言語化するなれば、論理的でない、という言葉ではなく、言語化されていない思考、というべきなのかもしれない。

だから、自分に納得できない行動をとった人がそこにいたからと言って、それを理由に簡単に他者を撥ねることはしてはいけない、と思った。

僕が納得できていないだけであって、その人にはその人なりのロジックがあってその行動に行き着いているわけだから、そこは納得できないのであれば、納得いくまで話し合う必要がある。何故その行動なのか?何故今それをするのか?気持ちを言語化することで対人関係はずっと明るくなると身をもって学んだ。

その人にはその人なりの論理構造がある。自分の論理に当てはまらないことを簡単に否定しちゃいけないと思った。仮にその人と行動を共有していくことを望むのであれば、可能な限り寄り添ってその人の考えを理解することに努める。思考を言語化してもらい、それに耳を傾ける。これこそ他人と行動する上で大切なことだ、と学んだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?