「母の職場」から譲り受けたもの

私の両親は、コミュニケーションのスタイルが真逆だ。

父はガンガン主張するタイプ。摩擦や衝突をおそれない。我をとおす。父からは、自己主張せよ!と幼いころから口酸っぱく言われていた。

母は協調タイプ。調和をもとめ、相手を慮る。父の身勝手な振る舞いをみるとハラハラする。昔、誰でも論破できるように弁論を勉強したいと語ったら、「相手の気持ちがわからない人になってはダメよ」と諭されたことがある。


真逆のコミュニケーションスタイルの間に生まれた私は、どちらの系譜を継いだのか。もちろん、母方の「調和型コミュニケーション」であった。

そのくせ、人生の生き方は父親ゆずりで、大企業なんておもしろくない。ベンチャーで成長したい、として就職先に当時50人未満の小さな会社を選んだものだから、就職してからは結構たいへんだった。

生産性が高いのは、調和型ではなく主張タイプなのだ。社内にはハッキリと厳しい物言いをするひとが多くて、コミュニケーションタイプが合わせられずに大変だった。(そんな会社に、なぜか私は10年ちかく在籍することになるのだが)


最近気づいたのは、母の調和型のコミュニケーションは、実は職場由来のものであったということだ。これは確信しているわけじゃなく、半分くらいの確率で恐らくそうなんじゃないか、という話。

母はずっと公務員で、役所で働いてた。役所というのは、だいたいが調和を重んじるものである。生産性をあげるインセンティブがないし、生産性を高くするためにハッキリと主張しようとはならない。

生産性の高いコミュニケーションというのは、慣れていない人から見るとギスギスしているようにみえる。私が勤めていた会社は、おもいっきり生産性重視型なので、転職して入ってきた人のなかには、ケンカしているかとおもってビックリする人もいたようだ。

ずっと役所で働いていた母は、「仕事というのは、調和を大事にして進めていくものだ」という価値観で生きてきた。小さなころは、お転婆娘だったと聞いている。きっと仕事を通して、コミュニケーションのスタイルが変化したのだろう。


もし、母の職場先が民間企業だったら、母のコミュニケーションスタイルも変わっていただろうし、ひいては私の性格も、もう少し主張型に近くなっていたかもしれない。

もしそれが本当なら、初めての就職先であんなに苦労することもなかったのに!(というのは冗談だが、もしかしたらそういう世界線もあったかもしれない)

実は母譲りだとおもっていた自分の性格が、実は「母の職場」譲りだったらしい、ということに気づいた、という話でした。

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