落ちていく。。。。

 高校一年生も終盤に入り、今までの4年間を振り返ってみる。。。自分がやっていてよかったと思っていたことが何もかも間違えであったのではないか?そう思った。
 一番の間違えは、インスタグラムで、あえてださい事やあえてイタイ事を投稿したことだ。あえてこれを投稿している自分は、それを投稿する大多数の学生達よりも一歩上に立っていると思っていた。今考えてみると、自分がやっていた行動だって他の人間と異なりたいというどこにでもいる思春期真っ只中の学生だ。
 自分がこのような投稿をした翌日、もちろんのことほとんどの人間がその投稿を批判してきた。それが自分には快感でたまらなかった。他人には理解されない自分というものがカッコイイと思い込んでいた。ただ何人かの先輩はこの投稿をおもしろいと言ってくださった。自分の唯一の理解者だと思った。この先輩方からしか評価を受けず、他の誰にも批判を受ける、それが”俺の笑い”だと思っていた。それがかっこいいと思っていた。この頃はとにかく人にカッコイイと思われたかった。誰も注目しない部分を面白いとおもってみたり、みんなが面白いことに笑わなかったり。おそらく中学生のころからずっと容姿を馬鹿にされ続けたからだろう。自分よりカーストの高い奴に馬鹿にされ。それで笑う周りの人間。してやったりとドヤ顔のカーストの高い男。いつも大声でそのイジリを返していたが、ある日、ふと嫌悪する。俺をいじった男。楽しそうに笑うクラスの中心の女。カーストの高い男に気に入られるべく俺を罵倒してのし上がろうとする者。笑う者。見て見ぬフリをする者。その全てへの嫌悪。そこからくる復讐心。そうして俺は誰にも理解されない、いや理解できない投稿をした。こいつらには理解できない、俺にしか理解できない、それがかっこいいと思っていた。
 しかし、自分にも理解者がいた。先輩達だ。おそらく彼らもどこかで道を外してしまいこうなってしまったのだろう。自分は彼らが好きだった。彼らに好かれようと生きていた。


しかし、それは全て間違いだった。


そして、今日廊下を歩いているときに、男女で盛り上がる同級生を見てふと気づいた。全部間違っていたことに。自分だって本当はああなりたかったことに、友達グループで盛り上がって、彼女がいて、なんでも相談できる親友がいて、、、なぜ素直になれなかったのだろう、そんな疑問と怒りだけが残り続ける。


落ちていく。。。。


もう命綱は切れた。まだ落ちていく。。。。


落ち続ける恐怖と、落ちた先になにがあるかわからない恐怖。。。。


インスタで一言をする。イベントがあったらback numberの曲とともに思い出の写真を載せる。コムドットを見て、学校でそのノリを友達と再現する。
そんな学生でありたかった。


落ちていく。。。。



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