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世界で尊敬される伝説の日本人 闘う農民たち②


「闘う農民たち①」では有機農業について話をしてきましたが、この記事では続編として自然農法について深掘りしていきます。



有機農業運動の根っこにあるのは社会変革を求める思想であり、それは1900年代後半に学生運動や反戦運動、環境破壊への反対運動などとも連動しながら社会に広がっていきました。

同時にJAS認証制度の導入など政府主導で一般化が進められる中で、思想的な側面は削ぎ落とされていった、というのが有機農業の辿った変遷でした。

一方で有機農業とは対照的に、技術のみでなく現代社会批判の思想まで失われずに現代まで受け継がれ、全国各地の農園で実践されているのが、今回取り上げる自然農法です。

自然農法とは、「自然の力を活かして農作物を栽培する農法」であり、言い換えれば、なるべく人の手をいれず、労力をかけずに勝手に米でも野菜でもなんでも採れてしまうという驚くべき農法です。しかし実践している農園の数は少なく、一般的にはあまり知られていないという現状もあります。

その理由の一つに、自然農法が栽培技術に関する考え方であると同時に、「自然と調和して生きる」という生き方そのものとして実践されていることにあります。後述するカリスマ的な創始者の存在によって、自然農法=「思想が強い」「怪しい」というレッテルを貼られることが多かったのです。

また農業、つまり産業としての収益性が観光農業や有機農業と比べて必ずしも良い訳ではなかったので普及しなかったという背景もあります。

ですが!実は世界に視点を広げると、自然農法は日本が産んだとんでもない発明であり、その生みの親である知る人ぞ知る思想家、福岡正信氏は未だに世界中の人々から尊敬を集める伝説の人なのです。


福岡正信氏が生まれたのは1913年、今から100年以上前のことです。彼は農家の長男として生まれましたが、大学では生物の研究をしながら平凡な大学生活を送っていたと言います。

しかし25歳の時に病に倒れ、生死を彷徨う経験を経ました。その結果、彼は人生というもの、人間の人為というものの「無意味」を悟ったと言います。周りからは狂ってしまったと思われた彼はしかし、自分ではこれがおかしいようには思えない。そこで彼は、自分が感じている「無」というものを、農業の世界で証明してみせることを決めます。

どういうことかと言うと、これまで人があれが良いこれが良いと考えて作ってきた農法は、実はすべて無駄なことで、自然からどんどんと掛け離れて問題を増やしているだけなのだ、とそう農業の世界へ挑戦をしかけたのでした。

そして彼は親から譲り受けた農園で何もしないところから農業に取り組み始めます。これが、自然農法の始まりでした。この時点でただ者ではないですね。

時代は第二次大戦を経て日本が食料増産、西欧諸国に追いつけ追い越せの経済大国になろうとしていた時期でした。

もちろん農業界でも多収量が絶対の目標として目指され、単位面積あたりの収量効率を上げる研究がされたり、様々な肥料や農薬、機械が発明され、大規模な暗渠工事などが行われていきました。

そんな時代にあって福岡氏はひとり正反対のことを言い出すのです。

彼の最も有名な著作である「わら一本の革命」では、人間の行う知恵という知恵は全て全く無意味であると喝破します。

自然を前に人の浅はかな知恵など何の意味もない。何が正しいかは自然のみが知るのだから、農業でもそうなのだと。

官民どちらからも異端視され、狂っていると言われ続けましたが彼は自分の道を突き進みます。

もちろん数えきれないほどの失敗を重ねた末についに、耕さない、肥料も入れない、農薬も使わない、ただ種をまくだけで、米も取れる、野菜も作れる、果物も栽培できる、という究極の農法に到達するのです。

しかもそれはただの農法ではありません。彼にとってそれは、科学偏重主義への闘いであり、科学が基にしている西洋的な哲学 - 分析的な理性、知恵というものを悉く批判していくのです。

その時代、同じように科学信仰への批判を展開した論者や、分析的理性の限界を指摘する学者もいましたが、彼が特別だったのは、論を語るだけではなく、農民として実践を通してそれを証明して見せたことにありました。

技術の発展、社会の発展というものがいかに空虚なものか。私たちは自然、すなわち福岡氏にとっての神への畏怖の念というものを、思い出さなければいけない。そう彼は説きました。

そして現代の老子とまで言われた福岡氏に影響を受けて、独自の農法を考案する人々が次々と現れました。

川口由一氏はさらに自然農法を独自に発展させた自然農という農法を完成させました。また岩澤信夫氏は福岡氏の耕さないという考え方に着目し、稲の不耕起栽培を完成させました。


彼の影響は日本にとどまらず、アメリカやヨーロッパにも招待され、それぞれの地で臆することなく欧米中心の資本主義社会へ警告を鳴らしていきました。当時いち早く資本主義社会の限界に気がついていたヒッピーたちから絶大な支持を得たのでした。


ヒッピームーブメントが去った後も彼の教えの影響は色濃く残りました。近年アメリカ発祥として世界中で流行し、国連など国際機関でも採用されている不耕起栽培も実は、福岡氏の自然農法を元に考案されたと言われています。

さらに晩年はアフリカ諸国へ趣き、砂漠の緑化事業を行いました。近代文明は森林を伐採し、農地を酷使し、無理な灌漑を続けてきました。その結果として砂漠化したり塩害被害がでてしまった土地に、再び緑を甦らせる自然の再生活動を、自然農法の技術を生かして精力的に行ってきたのです。

インドでは粘土に種子を混ぜた粘土を団子にしてばら撒く斬新な手法を広めるなど、彼の功績が讃えられラジブ・ガンジー元首相から最高名誉学位を授与され、同年アジアのノーベル賞と呼ばれるフィリピンのラモン・マグサイサイ賞も受賞しました。

今なお彼の著作は世界中で翻訳され、多くの人に読み継がれています。彼が世界中で残した功績の大きさは計り知れないものがあるのです。


しかし日本でその名前を聞く機会はほとんどありません。

窒素肥料の化学合成に成功したイギリスの研究者ハーバーボッシュは中学生でも習うのに、一方で世界で賞賛される農法を産み出した日本人である福岡正信氏については触れられないことは、正直残念でなりません。

私たちの社会はいま、化石燃料への依存や環境負荷の大きい農業からの脱却に迫られています。
今こそ、福岡氏の思想から学ぶべきことが多いのではないでしょうか。

次回、闘う農民たち③では、現代の闘う農民たちについて話をしていきます。お楽しみに!

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