生きてきた事、そして生きていくことを整理してみる『ドライブ・マイ・カー』

全くもって沼のような作品。
丁寧とかでなく緻密に作られている様は圧巻。

村上春樹のモダンな世界観の映像美や空間が美しい画角から、
いつしか物語へと没入させる展開は見事。
現実と過去、過去からの現在、時が流れるように
チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」が絶妙に織り込まれているこの作品。

【家福悠介】(西島秀俊)は
愛していた妻の【音】(霧島れいか)の運転が嫌いだったし。
【音】が望まない物は自分だけ望んでも仕方ない。と、
愛していたからこそ【音】 と同じ人生を選択したし。
本当は全てをわかっているのに見ないふりしてる【悠介】に
ごめんね。と、あなたで本当によかった。と言える【音】 だった。
間違いなく2人は生涯愛し合っていたし、必要とし合っていた。

だが、2人にとっての最後の八目鰻のくだりを、話し聞く互いの目は
身体は重なり合っていても、心の通わないビー玉みたいだったのが印象的で
心と肉体のバランスが美しく表現されていた。

え?ここまででプロローグですか?って 
突然の簡素なオープニングクレジットに、ハッ❗️とするほど、
すでに驚きの没入感。。。。



ワークショップの仕事先で出会うドライバーの【みさき】(三浦透子)は
寡黙で運転が上手く、【悠介】が大切にしている<サーブ900>を任せるに値する人物で、その事実は【みさき】を手放しで信頼していくことに直結していく。


「ワーニャ伯父さん」戯曲の最後。
辛く苦しい心を吐露するワーニャに、ソーニャが語りかけるくだりがある。

【音】が帰ってきたら今日も話をしようとわざわざ口にしたあの日、
【悠介】は得体の知れない怖さに家に帰るのを恐れ、立体駐車場前で止まったままゆったりと点眼する。
〜その車の中 テキストテープが淡々と流れる〜
この「ワーニャ伯父さん」の同じ戯曲シーンがラストの舞台にもリンクしている。


すなわち、簡単に片付ければ、時間軸では進むが過去と現在に繋がり
まるで飲み込まれていくように現実が感情を残したままに動いていくが
進行していく現実言動は、それぞれの人生のこれからに進んでいく道標となる。

人は誰もが親であったり、愛する人だったり、と
必ず誰かの人生と関わり、誰かの影響を受け、誰かに影響を与えている。
誰もが傷つく事を恐れている。だから色々なことにそっと蓋をして生きている。

許せない自分の罪、向き合えない真実、そして得体の知れない後悔。
しかし生きていること、生きていくことを肯定していく尊さを強く感じる作品。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?