「知るかボケ」マインドで聖母になる

いしかわゆき(ゆぴ)さん著 「書く習慣」を読んだので思ったことを書いてみました。

私が特に心に残ったのは、『すべての文章は「知るかボケ」前提で書く』という箇所です。
意味は、自分が知っていることを世の中の当たり前だと思わないようにする、ということ。
当たり前だと思って書く、発言すると、相手に伝わらないから、と書いてあった。

ゆぴさんの原体験である、
数学がわからなくて父に教えてもらったときに、
父が、当たり前のことなのでなんでわからないのか、という態度だったので、悔しくなって途中で諦めてしまった、ということがあった。
それ以来、説明をする際は相手は何も知らない前提で話をしているとのこと。

自分も筆者と似たような経験を記憶の彼方から思い出しました。

中学受験の際、算数の成績が良くなかったため、夜寝る前に算数の問題を毎日数問解くことになりました。母に教えられるも全く理解できず私も諦めてしまいました。
母は、「教えてやってるのになんでわからないのか」と何度も口にしていました…。
こっちからしたら、(そんなことを言ったってわからないものはわからない。なんで勝手に決められて、毎日寝る前に算数ドリルを切れられながらしないといけないんだ。)という気持ちでいっぱいでした。
ゆぴさんとほぼ同じ体験です。

大人になっても同じような経験は、あるんじゃないでしょうか。
友達との会話でお互いの仕事の話をするときに、知らずしらずに専門用語を使ってしまいませんか。ちゃんと相手の話を理解できず、反応も浅い上っ面なものになってしまうことを思い出しました。
友人から以下の様に愚痴を言われました。
「この年度末の忙しいときにさ〜、業者の請求書が間違ってて、〇〇×■■×税金で計算すればいいのに、うちはその計算方式でやってないって言われて〜計算あってなかったんだよ〜!」

待って〜!こっちからしたら、〇〇も■■も何かわかんないんだけど!

何を話しているのかよくわからないから反応は、
「そっか〜、大変だったんだね〜…」となってしまう。
ごめんね…私が理解できてないのが悪いかもだけど、でもあなたもちゃんと説明してよ!という気持ちです。

以前、一語一語ちゃんと説明してもらったら、話の熱が冷められて、「もういいや」と言われてしまった…ああ…なんかごめんね…

逆に、説明が上手な人は、一つの事柄をあの手この手と表現を変えて説明してくれます。私の昔の上司が大変説明が上手な方で、理解できなくても、一切怒ったり呆れたりしない聖母のような方でした。

コミュニケーションがうまくいくかどうかって、ほぼ話し手の問題だと思います。
知るかボケマインドを持っていないと、誰かと話すコミュニケーションコストが高くなってしまい、話し手も聞き手も、会話がめんどくさくなってしまう。
めんどくさくなったら、上っ面のしょうもない会話しかできなくなってしまう。
そして、会話で、相手に本心から共感できないことで、この人と話しても面白くないな、めんどくさいなと思ってしまい、人は疎遠になってしまうんじゃないか。

知るかボケマインドは、人間関係の維持に必要不可欠なマインドセットだと思う。
誰かと話すときは、「知るかボケ」という言葉を思い出し、聖母のように話していきます。(いつか聖母になれるかな…)


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