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「優しき生の耕人たち」 230613

アーキグラムまじおもろい。
Archigram is so interesting.

雑誌作りたいっていってくれたぜ!
初の一緒の活動楽しみ!
She told me she wanna make magazines with me!
I’m looking forward to the first creation.

幸せな日常を過ごしながらも、一緒に大きくなっていける。そして多くの人に憧れられる。
そんなカプルでいたい。
We wanna be influencing couple everyone admire with spending happy daily together.


Y-GSAにて多木陽介さん(と大西麻貴さんと藤原徹平さん)のレクチャーを聞いた。
タイトル:「優しき生の耕人たち」

前提として
耕人=「控えめ」な創造力の持ち主で、自分のビジョンを押し付けない黒子     的な存在。

創造には「進歩」と「退行」が必要で、そのバランスが均衡されている時、社会が最も良い状態になる。

「創造力の木」というメタファーで説明しているのが面白かった。

現代の世界は、技術の発展や専門領域の洗練ばかりに目お向けている、つまり「進歩」ばかりなのだ。「進歩」をバランスの良い状態の社会に内包するためには、「退行」の姿勢も必要。
(ここでの退行とは、ちょっと待ったという姿勢であり、環境や歴史に目を向けること。)

僕はこのレクチャーを聞いて、自分自身は「反耕人」的な思考が強いと感じた。誰かのために、その土地のためにデザインするという思考ではなく、自分のデザイン、かっこいいものを作ってそれで社会を変えていきたいという思考が強いからである。

僕はここで質問をした。
レクチャーを聞いた上で、自分自身は「反耕人」的な思考が強いと思う。
今、ファッションと建築の研究をしていて、両者が似ているよねという議論ではなく、ファッション的なまなざしで建築を見ると、建築を逆説的に考えることができて、面白い。という研究の話を挟みつつ、
「自然共生」や「コミュニティをつくるために」という言葉が美しい言葉であるとされすぎていて、毛嫌いしてしまう。コンテクスチュアリズムに対して、疑問を持つことが多々ある。
ということを投げかけた。

「今の世の中は君だけじゃく、ほぼ全員が反耕人だよ。」と。
「自然共生」や「コミュニティをつくるために」ということを歌いつつも、各々の作家性が前面に押し出されている。

彼らが創る居心地の良い空間、ないしプライベートがある一定確保されるインターネット上でも、本当のコミュニティ形成は為されない。

記憶は曖昧だが、これがおおよその返答だ。

自分にしかない媒体と共に、前衛的な姿勢を持ち続けることは大切でありつつも、耕人的な思想はどこかにもっていた方が良い。
性格に嘘をつくことはできないので、俺はずっと進歩し続けるだろう。
それはそれで良い。
時に退行することが大切。
本当に良い社会を作るために、真のクリエイションをするために。

これが俺の返答かな。

耕人ばかりの社会は本当にユートピアだろうか。
向かう先は「無の世界」なのではないか。

あまり腑に落ちていない部分もあるし、書き留めておきたいこともまだまだあるが、この辺で終えておこう。

俺は彼と対極な人間かもしれないが、きっと彼の言葉は俺に救いの手を差し伸べてくれるはず。




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