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岡本太郎展in愛知県立美術館 レポ

先週の金曜日、愛知県立美術館にて開催された岡本太郎展に行って参りました。岡本太郎『自分の中に毒を持て』に衝撃を受けつつ少し敬遠していた芸術家展に行って何を思ったのか。少しだけまとめてみようと思います。

①疲れた


 本当に疲れた。いや、訳がわからないくらい疲れた。往復1500円くらいの交通費と移動時間使ってわざわざ名古屋行ったのに美術館だけ見て帰ってきてしまった。普段美術館は割と訪れますがこんな体験ははじめてでした。新しい喫茶店開拓しようかな〜と思ってたのに。美術館出たら勝手に帰路についてましたね。
 多分、岡本太郎の光が強すぎた。強烈というかもうなんていうか。「今を!!行きてます!!!!」みたいな。
 いや、すごいんですよ。すごいし、「今を生きよう」ってのは本当にいろんな本に書いてあることなんですが、あそこまで見せつけられるとしんどいですね。生物としての差を感じさせられました。

②距離


 岡本太郎、光が強いせいか残した言葉も強いんですよね。美術展の一角では「岡本太郎の言葉集」のような展示がされてました。「壁は自分自身だ」
「危険だ、という道は必ず自分が行きたい道なのだ」
「人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ」強いですね〜。私のような、おっかなびっくり人生を送っている者にとってはもう逃げ出してしまいたいくらい。 最近、辛いんですよね。「ガンバレ!!」みたいなの全部。光が強かったり、芯持って生きてそうな人。以前までは
「あー、すごいな、俺もやんなきゃな」
でしたが最近は
「あー、違うんだろな、あの人は」
みたいに距離を置いてしまいます。本当は憧れてるのにね。なんなんでしょう。そういう時期なんでしょうか、それとも若くして自分を見限ったのでしょうか。
 うーん。自分が可愛いんでしょうね。色々動こうとしてる割には失敗したくなかったり、怠けてたり、、、
 そんな自分がハッキリ見えちゃうから光を避けちゃう。最低ですね〜。岡本太郎がいたらなんと言うでしょうか。でもね、言ってるんですよ、岡本太郎。、こういうどうしようもない心の弱い人間に向けても。ポーズばっかりで動けないやつにも。「人間は精神が拡がる時と閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に拡がる時が来る。」
「自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!」優しいですよね。岡本太郎にも弱くなる時期があったから言えるんでしょうか。割と勇気づけられます。。。でもしっかり厳しいことも言ってます。「挑戦した不成功者には再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などない。」きっつ。胸をつかれました。

③言語化できない


さて、ここまで語ってきたのは言葉と私の心についてです。美術展に行ったくせに。というのも、言語化、できないんです。彼の作品。
言語化力?みたいな所は割と得意だと思ってたんですが、今回ばかりはできません。衝撃が強くて、光も強くて。ただただ、「絵を通して自分の在り方を映し出された」みたいな。強烈すぎる刺激を受けると言葉にできないんだなと思いました。ので。是非ともみなさん、機会があれば岡本太郎の作品に触れてみて頂きたい。彼の作品を前にして「鑑賞者」でいられる人がいたら相当な強者でしょう。私は「挑戦者」のつもりで相対しました。そして完膚なきまでにボコられました。強すぎるもの。しかし、かろうじて感じたことをメモにとってあったのでいくらか引用します。【芸術は呪術である
まず己を呪縛する
己にとって、神秘であり、不可解である
自分自身価値づけられない
価値を超越したものが一つあるということそれが大事だ。
→あ、これ今ってこと?自分自身価値づけられないけど、何か一つあるのが大事ってこと?
え、何があるの??!なんでもかんでも言語化できると思うのは大間違いだし、そのグレーにとどまることも必要ではある???】【岡本太郎、現在を生きすぎている。のくせに、明確な析出はない。私は全ての脳内というか、生川開晴という人物を表現しうるものだと思っていたが、岡本太郎ですらそれは難しかったんじゃないか。何か残すために、目的的に創作をしようとしていたが、、、そんなことをしていては自分の変化が無かったことになる。間に合わない。】
何言ってんだ。展覧会中の自分。わけわかんねぇ。
多分、
「芸術を通して、自分の価値観の中になかったけれど強烈に惹かれるものを発見するが大切」
「岡本太郎のような大家でも、自分の生きる道とか目的は分からなかった(実際、特に20代前半の作品は全然岡本太郎感はなかった)ので、焦るな。ただ、彼は膨大なアウトプットを繰り返してその瞬間の自分を出し尽くしてはいるけどね。」の2点を感じたのだなと今眺め返してみて思います。でもやっぱり、「全てを言語化できる」なんて思うのは傲慢なのかもしれない。言語化できない領域にとどまりつつも動き続けられる、そんな人になれたらいいなー。
 以上、岡本太郎レポートでした。彼の芸術は強烈です。強烈であるが故に生半可な気持ちで観ると潰されます。が、その強烈な光で自分自身すら投影されるているような気もします。美術展の時はほんっっとうに疲れたけれど、やっぱりまた挑戦したい。そして誰か、岡本太郎展に行った方がいれば話してみたい。
今の私は、まだ言語化できない領域に留まれるほど強くないので。


以下、写真と共に振り返る。


岡本太郎の言葉。


・ 『夜』

『夜』

 当時、岡本太郎が「近代美術権威・思想」への叛逆を胸に描いたもの。少女が短刀を携え向かう木は、遠くから見ると骸骨のように見える。 第一次世界大戦後派を中心とする文学者集団「夜の会」は当時アトリエにこの絵がかけられていたことに由来するそう。安部公房なんかも参加してたらしいです。うれしいね。

・『雷人』

『雷人』


岡本太郎の最晩年作。死に際に至ってこうもエネルギーを発せられるのか。と畏怖すら感じた作品。人間として咲ききっている。そんな感覚を起こさせるとともに、人生長いなとも感じさせられた作品。


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