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コロナに翻弄された3年

まさに令和の幕開けと同時に介護職としてのキャリアが始まりました。自分で言うのもなんですが、地元ではわりと知られたケアマネジャーだったので、入職の際にケアマネジャーを選ぶ選択肢もいただきましたが、迷うことなく「介護職をさせてください」と言いました。所属はデイサービスでした。

50歳を過ぎてから新しいことを覚えるのがこんなにも難しいことか!と痛感しました。朝の業務ひとつとってみても、限られた人数の中で、玄関でお出迎えするのか、フロアで見守りをするのか、バイタルを測るのか。
そうしてる間に足元の不安定な人が一人でトイレに行こうとしてる!ついて行かないと!なんてことばかりでした。
動きを覚えるのに1年はかかりました。

しかし、たくさんの失敗を重ねる私でも周囲は温かく支えてくれました。そして、もともと介護保険制度に精通していることや事務方の経験もあったり、年齢的に適任と判断されて1年後に管理的立場を任されることになりました。

ちょうどこのタイミングで世界中に混乱をもたらした「新型コロナ騒動」が始まり、介護現場にも影響を与えました。
騒動当初から新型コロナ対策のために書物を読んだりして情報収集をしましたが、私としては「コロナ、怖がること無し」の結論に至りました。
しかし、それはみなさんもご存じのとおり、世間一般とはかけ離れた考えであり、法人内では当然受け入れられませんでした。

検温を一日に3回行う、陽性者はもちろん濃厚接触者でも数日休む、テーブルにパーテーションを立てる、レク中は声を出さない。すべての対策が私にとっては無意味であり、しかし、それに従わないといけない立場であることにストレスをため、憂鬱な日々でした。

そんな日々が2年続き、ある日、上司に呼ばれ、部署異動を言い渡されました。
いわく、私の言動が組織をバラバラにしているということでした。

私がデイサービスのトップであるため、デイサービスだけがコロナ対策で足並みをそろえていない、と思われていたようです。
自分としては現場が回らないことは拒否しつつも、世間に合わせてやるべきはやったつもりでしたが、それでも足りなかったようです。

生え抜きの人間であればその辞令に従っていたかもしれませんが、50歳を過ぎて組織に入った外様の私には、この辞令が「この組織にあなたはいらない」と言われているような気がして、4度めの退職を選択しました。

しかし、その法人とは今でも仲良く付き合っています。カイロプラクターになったことを真っ先に報告したのは、その法人で辞令を言い渡した上司でたから。「退職しましたが、こうして頑張っています」という思いを伝えたくて。
たった3年間のことでしたが、介護業務を教わり、20人を超える部下を持ち、働かせてもらったことは、何事にも代え難い私の財産ですし。

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