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世界経済の歴史について(1)

世界経済の進化について、簡単に説明します。

専門家ではないため間違っている部分もあるかもしれませんが、
自分が得た知識を皆さんに共有できたら、という思いでこの記事を
綴っています。

今、私たちは資本主義の世界で生きています。
資本主義とは一言で言うと、生産と消費が自由に行われ、
生産者の権利と私有権を認めてくれる世界でしょう。

個人の財産を補償するからといって、
それは私たちが知っている資本主義ではありません。
共産主義体制でも個人の財産は認めているのです。

生産できる生産先の所有を認めることが資本主義と考えてください。
反対に、共産主義/社会主義は生産先を国家が統制し、
国家所有に帰属させています。

共産主義でも国家が配分して個人に渡る品物や食べ物に対する所有権は
認めてくれます。

代わりに品物、食品を生産する工場に対するものを国家所有に限定する、
と考えればよいでしょう。
そうすると私たちは資本主義から生産されているということに
注目しなければなりません。
その部分を理解すれば、今私たちが生きる経済体制がどのように形成され、
今後はどのような方面で世界経済が回ることになるか?
までを類推することができるでしょう。

そのためには資本主義の歴史から見なければなりません。
(話が長くて頭が痛くなる場合は、スキップしてください^^)

もともとはフランス大革命から始めなければなりませんが、
それは簡単に説明します。

(フランス大革命)

フランス大革命は世界史上初めて王の権威に市民が挑戦し、
勝利した市民革命です。
これは不満が募っていた市民階級がルイ16世を断頭台の露として送り、
王権政治を終了させた事件です。

この事件をきっかけに市民の社会的な権威が高まり、
王による経済体制ではなく市民による経済体制がスタートします。

(余談ですが、レミゼラブル<ジャンバルジャン>がこの時の背景として
作られたミュージカルですよね)

演劇の市民革命(名誉革命)、そしてアメリカの独立、
フランスのフランス大革命をこの時期に互いに影響を与えた事件に
分類することもあります。

これらの影響で、世界は産業革命の時期に到来し始めます。

1. 産業革命の時期

- イギリスから始まった産業革命は、
過去の封建制を崩すきっかけになります。
つまり、言い換えれば生産力が増大したのです。

(産業革命)

生産力が増大したということは、全てが豊かになったということです。
例えば、人がパンを作るのに1つ1つ手作りすると1日に10個のパンを
作るのが精一杯だったとすると、この時期からは100個から200個のパンを
作れるようになったのです。

-これによって何が起きるでしょうか?需要は限られていますが、
供給が多くなるのです。これまで10個のパンを消費していた階層が急に
100個を買って食べることはできないでしょう。

- 品物が残ることになります。
品物が残ると生産者は最初は供給にメリットがあるのでいいのですが、
時間が経つにつれて在庫がたまるという問題点が発生します。

- 在庫がたまると、生産者の立場では運営が難しくなり、
そうなることで従業員を減らさなければなりません。
従業員を減らせば、彼らの生活が苦しくなるので、
パンを買って食べる消費者も減るのです。

まとめると、
産業革命で物品の供給は増加→余剰生産物も増加→生産者は生存の為に
従業員解雇→従業員=消費者、これにより消費はさらに悪化。

全世界的に産業化が加速することで、
このような悪循環が影響を及ぼし、国民、会社が厳しい状況となり、
結局は国家不渡りの危機に直面するのです。
そして産業革命によって成長を続けてきたイギリス、フランス、ロシアなどは外部に目を向け始めます。

2. 植民地化

-余剰品を売る消費市場が必要だったのです。
国内は飽和状態なので、これらの列強は国外に目を向けます。
これがまさに植民地化です。

(植民地化)

- イギリスは代表的な国家としてインドを植民地にしました。
ここに興味深い部分があります。

- インドがイギリスの植民地となり、
イギリスはインドに綿織物を売り始めます。
綿織物の代金を何で受け取ったかというと "紅茶"と "アヘン"です。

-現代、イギリスの紅茶がとても有名ですよね?
この時インドの質の良い紅茶を国内で再度流通しイギリスの"紅茶"文化が
形成されたのです。

- では、アヘンはどこに売られたのでしょうか?それは中国です。
中国全土にアヘンを輸出し販売し始めます。

中国の国民たちはそのアヘンを吸い、精神状態までも荒廃化し、
社会問題として取り上げられます。
しかし、力の強い国なので仕方ないのですが、
中国でイギリスのアヘンを積んだ船を燃やしたことが原因で
起こった戦争が、有名な"アヘン戦争"です。

(アヘン戦争)

- 中国はその戦争に負けて、
100年間香港をイギリス領として引き渡すことになります。これに
より皮肉にも香港が発展し、イギリスの文化が多く残っているのです。

- フランスはアフリカに行きました。
アフリカ諸国を植民地にしながら、余剰物品を供給し始めたのです。

- フランス国民の中で黒人が多い理由もこれによるものです。
往来が多くなり、フランスに入り住み始めた黒人が定着したのです。
またフランスのサッカーを見ると"ジダン"をはじめとする、
アルジェリア系が多いです。

*このようにヨーロッパ諸国は植民地として生産の余剰部分を植民地国家で
売り込み始め、本国では豊かに暮らすようになりました。

人権と植民地国家主権は無視したまま、力の論理で支配し始めたのです。
これらは全て、経済における生産過剰によるものです。
次に第一次世界大戦があります。第一次世界大戦、第二次世界大戦は有名ですが、なぜ起こったのか、これに対する影響が何なのか、
私たちは見過ごしています。
これもまた、経済と密接な関係を持っています。

3. 第一時世界大戦

第一次世界大戦はドイツが起こしたヨーロッパ戦争です。
その後、アメリカが一歩遅れて参戦しましたが、
ヨーロッパ諸国の戦争と言っても過言ではありません。

ドイツはイギリスやフランスのように、
産業革命が急速には進みませんでした。
内部封建的な要素の対立と整理が遅れ、
周辺国のように発展できなかったのです。
上記で述べたように、産業革命=過剰な余剰品という公式が生まれました。

すると、再び
「供給は増加→余剰生産物が多くなる→生産主は生存の為に従業員を
解雇→従業員=消費者、これにより消費は更に悪化→供給先が追い込まれる→国家も追い込まれる」となるのです。

ドイツはこの時期がもう少し遅くなりました。
それで同じように物を売ることができる植民地を探すことになりますが、
既に周辺ヨーロッパの強国が他の国で植民地開拓をしていたため、
ドイツは焦り始めます。
「大変だ、このままじゃ国が滅びてしまう。どうしよう?」
ここで見つけたのが戦争です。

そして実行に移したのがまさに第一次世界大戦です。
ドイツがとんでもない事件でロシアと初めて対立することになったのです。

(正直ドイツはロシアと戦うのが嫌でした。
はるかに弱いセルビアに宣戦布告しましたが
<*それも大理国を立てて:オーストリア>
突然ロシアが
「セルビアはわが民族だ。お前たちをひどい目にあわせてやる。」
と言って始まった戦争です。)

Aチーム: ロシア、イギリス、フランス(アメリカ:後に参戦)
Bチーム: ドイツ、オーストリア、ハンガリー

結論はご存知だと思いますが、Aチームが勝利しました。
勝利したら何をしますか?
戦争賠償金をもらうのです。
しかしロシアは財政問題のため、戦争の途中でそっと抜けます。
(喧嘩を売って抜けたのです。)
これも結局のところ、経済的な問題が理由です。
この時に共産国になりいくつかのイシューがありますが、
この件については後で説明します。

いずれにせよ、最大の受益国であるイギリスとフランスは、
ドイツに戦争賠償金を要求します。
当然イギリスとフランスが勝利したので、2か国に呼び出し、
お金を請求したのです。その場所はフランスです。

これが有名な条約である、フランス・パリのヴェルサイユ宮殿で行われた
"ヴェルサイユ条約"です。この条約でドイツは唯一少しだけもっていた
植民地さえ奪われ、莫大な戦争賠償金を払わなければならない
借金国家になったのです。


(ヴェルサイユ条約の調印)

ドイツが置かれている状況をよく把握しなければなりません。
これが第二次世界大戦の原因となり、ドイツのヒトラー、
そして日本の帝国主義によって韓国、中国などアジア諸国にも問題が生じることになります。
今日の記事はここまでにして、続きは2部でまた綴ることにします。


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