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新島襄の”良心”教育が経営にも生きている

母校である同志社大学の校門を入ったところに「良心碑」と呼ばれる石碑が立っています。
そこにはこう記されています。

「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」

「良心が全身に充満した青年が現れることを望んでやまない。」
創立者の新島襄が晩年、療養に励む東京から当時の学生に送った手紙の一節だそうです。

 卒業後、ずいぶん久しぶりにふらっと母校を訪れたとき、目に飛び込んできたのが、この「良心碑」にある「良心」という言葉でした。 

ちょうど事業の構造改革に取り組んでいた頃のことです。
構造改革がうまく行くのかどうか、事業構造が変われば本当に業績が良くなるのかどうか、先は見通せず、内心は不安ばかりでした。 

結果がうまく行くのかどうか?
社員が喜んでくれるのかどうか?
もっと言うと、反対を押し切って改革を推進する自分が社内で嫌われていないかどうか?

現場の社員たちが決して僕の経営方針に好意的でもない中、このまま事業モデルの転換に失敗したらどうしようかと、経営にあたる気持ちは迷いに迷い、覚悟も定まっていない時期でした。

そんな迷いだらけの心に飛び込んできた言葉が「良心」でした。
在学中に何度も見ていたはずなのに全く響かない言葉だったのですが、このときは心に刺さり、ハッとしたのです。 

事業の改革は、社員のために良かれと思って始めたことではないのか?
人のために良かれと思って始めたことなら、結果がどうなっても、それ以上に責められるものは何もないのではないか?
仮に誰かに迷惑をかけたとしても、業績が悪化して倒産したとしても、人のために良かれ思って始めたことなのだから、もう誰も責めることはできないのではないか?

こうして、やり抜くまで続ける覚悟が定まりました。

その後、事業の構造改革は思いのほか長期戦になるのですが、これ以来でしょうか、自分自身だけでなく、他の誰かが人のために良かれと思って始めたことは、結果はどうあれ責めません。
「良心」からスタートしたなら、それはもう「良くやった」ということですから。

これから先、会社の経営ですから、思いもよらないことはきっと起こるでしょう。
良かれと思って始めたことで会社が潰れるようなこともあるかもしれません。
でも、そうなったら、また一からやり直せば良いのでしょう。
そう考えたら、いろいろと吹っ切れます。

在学中には新島襄の言葉など全く興味も持たない学生でしたが、すでに青年をすぎ、中年になって、「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」で示された母校の教育の原点「良心」を、やっと少し理解できた気がしています。


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